第3話 相川 vs 綾菜

 A市案件の仕事が始まり2週間ほど過ぎた頃……


 始業時間になっても綾菜の姿はなかった。綾菜は遅刻してくる日が多く、それによってA市案件全体の作業効率も落ちてしまう。20分ほど遅れて、綾菜が慌てて入ってきた。


 その時……


「いい加減にしろよ!」


 突然、相川の怒鳴り声が響く。


「なんでそんなにしょっちゅう遅刻ばかりするんだよ! お前のせいで仕事が進まないだろ!」


「お前ってなによ! たしかに遅刻したのは悪いけど、いきなりそんな怒鳴らなくてもいいでしょ!」


 綾菜も、突然相川から怒鳴られ怒っている。

 どうやら、相川は綾菜の遅刻のことで腹を立てていたらしい。それが、今日になり爆発したようだ。


「まあまあ、2人とも、少し落ち着いて」


 邦恵が優しく宥める。


「そうだよ。一旦冷静になって、落ち着いて話し合おう」


 奏太も2人に話を聞こうと声を掛ける。

 騒ぎを聞いてやってきた安田が、


「どうしたんですか?」


 状況が分からないため、A市案件の人たちに話を聞いた。


「相川さんが綾菜ちゃんの遅刻のことで怒って、揉めてしまって……」


 奏太が安田に説明する。


「確かに、僕も平井さんの遅刻に関しては話さないとと思っていました。平井さんはこの仕事が始まって2週間ほどの間に、何回も遅刻をしてきていますよね? 平井さんの家はここからそんなに遠くないですけど、いつも遅刻してくるのは何か理由があるんですか?」


「それは……」


 安田が遅刻の理由を聞くが、綾菜は理由を答えることを躊躇っていた。


「それは、なんだよ。理由があるなら言えばいいだろ! どうせ寝坊しただけなんだろ!」


 相川が怒り、邦恵や奏太が「まあまあ……」と怒りで熱くなった相川を落ち着かせる。

 結局、綾菜は遅刻の理由を話さないまま、これからは遅刻しないよう気をつけると約束し、この話は終わった。


 その日の昼休み、勇樹は奏太と会社の近くのカフェでランチをしていた。最近は奏太と会社の前のワンコイン弁当を買って食べたり、たまにカフェのランチを食べに行ったりしている。


「遅刻ばかりの綾菜ちゃんも悪いけど、あんな風にいきなり怒鳴る相川さんもどうかと思うけどね……」


 ランチを食べつつ、奏太は今朝の一件について話している。

 今日のランチはハンバーグランチだった。ハンバーグは勇樹の好物で、ここのカフェのハンバーグはデミグラスソースと肉汁の香りが鼻を刺激し、肉の味と柔らかな食感に初めて食べたときは感動したほどだった。ハンバーグに夢中になっていた自分の頭を、一旦奏太さんの話に切り替える。


「綾菜ちゃんも綾菜ちゃんだけど、相川さんも相川さんですよねぇ」


「相川さんはなにかと上から目線だし、言い方も人を見下したような言い方をするんだよな。正直、A市案件の他の人たちも相川さんのこと苦手だって言う人いるしね」


 奏太さんが言うには、相川さんはA市案件のメンバーとあまり馴染んでいないようだ。俺も、高圧的な言い方をする相川さんのことは少し苦手だった。




 ある土曜日、仕事が休みで暇だった勇樹は1人で桜ヶ丘町の商業施設に行きウィンドウショッピングなどしていた。桜ヶ丘町は都心で店も多く、休日は多くの人で賑わう街だ。


 商業施設も一通り見終わったため、周辺をブラブラ散策していると、"ほほえみデイサービス"と書かれた送迎車が目に入った。その送迎車のすぐ脇に見覚えのある顔があった。綾菜ちゃんだ!


 送迎車からは1人の杖を突いた男性が降りてきていた。デイサービスのスタッフに介助されながら車を降りた男性を、綾菜が介助しながら家へと入っていく。


「綾菜ちゃん?」


 勇樹は咄嗟に声を掛けた。綾菜は勇樹の顔を見て驚いた顔をしていた。


「勇樹さん……ちょっとそこで待ってて」


 綾菜は男性を介助しながら家に入っていき、しばらくしてまた家から出てきた。


「実は、私のお父さん、1年ぐらい前に脳梗塞で倒れて、右半身に麻痺が残ったの。母は若い頃に亡くなって、父が男手ひとつで私のことを育ててくれて……1年前から私が父の介護をしながら生活してるの」


「もしかして、ジャングルジムの仕事を遅刻してきたのって、お父さんの介護が原因だったの?」


「……うん。私の出勤前に父がデイサービスに行くための準備をしなきゃいけないし、父も麻痺があるから思うように動けなくて、時間が掛かってしまうことがあって……それで遅刻してしまうことがあったんだよね」


 綾菜は気まずそうな顔をしながら、お父さんのことを話してくれた。


「でも、それならジャングルジムのみんなにもお父さんのこと話せばよかったのに……事情が分かればみんな理解してくれるし、相川さんだって分かってくれたと思うよ」


 勇樹は、綾菜が何故お父さんのことをジャングルジムのみんなに話さなかったのかが理解できなかった。


「……お父さん、自分が脳梗塞で倒れたこと、周りの人にあまり言ってほしくないんだって。脳梗塞になって麻痺が残ってるなんて知られて、周りの人を心配させたくないみたいなの。ジャングルジムはうちからすぐ近くだからさ、ジャングルジムでお父さんのこと話して、近所の人にも伝わっちゃったらお父さんに悪いんじゃないかと思って、言い出しづらくて……考えすぎかもしれないけどね」


 見た目は派手なギャルの綾菜ちゃんは、俺の勝手なイメージとは違って、お父さん思いな優しい性格なんだと知った。


「でも、お父さんの介護のこと、ジャングルジムの人達にも話せばもっと仕事と介護がやりやすくなるかもしれないし、一度お父さんに確認して大丈夫なら、ジャングルジムのみんなにも事情を話してみるよ」


 綾菜は明るい笑顔で勇樹にそう言った。

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