株式会社ジャングルジムの人々

ぜにがめ

第1話 勇樹、仕事を辞める。

 今年は例年に比べて厳しい寒さだった。そんな冬の寒さもすっかり和らぎ、近頃は街の空気が春らしく変化してきた。


 俺は中山勇樹。黒髪にメガネの地味な見た目だが、学生時代はスポーツをしていて意外と活発だった。大学卒業後は、デスクワークの仕事をそれなりに頑張ってきた。昔からパソコンを触ることは好きだったためこの仕事を選んだが、働いていくうちにどうしても自分には合わないと思い始めた。


 職場の人間関係も、あまり良くない。上司は高圧的で苦手なタイプだし、小さな会社のため同世代もほとんどいない。スピードと正確性が求められるため、仕事が間に合わなければ残業の日々だ。


 これぐらいのこと、みんなやってるからお前も頑張れと言われてしまえばそうなのかもしれないが、俺にはこれ以上この職場で頑張れる自信がなかった。仕事のことを考えると眠れなくなり、夜中に何度も目を覚ますし、職場に向かおうとすると吐き気がしてしまうほどになった。


 そして、遂にこの3月末で、仕事を辞めることができた。職を失う不安よりも、これでこの職場に来なくてもいいんだという嬉しさや解放感でいっぱいだった。


 新年度が始まり、街には新入社員や新入生らしき初々しい人達の姿が多く見られた。

 俺はこれからどうすればいいのか分からず、とりあえず街をふらついていた。


「平日に自由に街を歩けるなんて、何年振りだろう」


 街中に咲く桜も、俺の退職を祝ってくれているようだ。


「そういえばここ数年、桜を見てキレイだと思う心の余裕すらなかったな……」


 とりあえずカフェに入って季節限定のドリンクを飲みながら、優雅に読書なんかしてみた。



 そんな自由な生活もしばらく経つと、焦りのような感覚が芽生えてくる。本当は雇用保険を受給しながらゆっくり就職活動をしようと考えていたが、街で働いている同年代の人達を見ているうちに、働いていない自分がダメな気がしてきた。

 実家暮らしの勇樹はすぐに生活に困るわけでもないのだが、罪悪感のような気持ちが溢れてきた。


 次の日、勇樹は何気なく朝の情報番組を見ていた。占いコーナーで自分の星座を見ると、【今日は思い立ったら即行動! 幸運が訪れる】と書いてあった。更に、駅に置いてあったフリーマガジンの求人誌の1番最後のページに載っていた星座占いには、


【今年は人生が変わる出会いが沢山ある年】


と書いてあった。


「なんかいいことが起こるのかな……」


 影響を受けやすい勇樹は、早速ハローワークに行ってみることにした。

 ハローワークには、大学生風の若者から50〜60代ぐらいまで、様々な年代の人が職を求めて訪れていた。勇樹はどんな職種を探すかも分からぬまま、とりあえず求人検索をしてみた。


「どれもパッとしないなぁ……。働かなくてもいい世の中になればいいのにな……」


 そんなどうにもならないことを呟いていると、ふと一つの求人に目が止まった。


「株式会社ジャングルジム?」


 簡単な事務作業で雇用期間の定めがある契約社員。

 次の仕事が決まるまでのつなぎには丁度いいかもしれない。給与も……良くはないが、これぐらいならなんとか次の仕事が見つかるまではやっていけそうだ。場所も通勤圏内。

 受けるかどうかは迷い中であったが、今朝の占いの【思い立ったら即行動!】という言葉に後押しされ、株式会社ジャングルジムの面接を受けてみることにした。




「えーっと……桜ヶ丘駅から北西の方に歩いてこの交差点を渡って……」


 3日後、勇樹は株式会社ジャングルジムの面接会場に向かっていた。


「このドラッグストアを曲がって……あ、あった! 木下ビルの8階か」


 B市の中心街・桜ヶ丘町、桜ヶ丘駅から歩いて10分弱の場所にある木下ビルの8階に、株式会社ジャングルジムはあった。

8階に着き、扉まで来たところで、"御用の方はインターホンを押してください"と書いてある。


ピンポーン……


(はい)


「本日面接していただく中山勇樹と申します」


(あ、中山様ですね。お待ちしておりました。少々お待ちください)


 間もなく、制服姿の女性が面接会場の部屋に案内してくれた。少し待つと、採用担当の男性がやってきた。爽やかな雰囲気でまだ若く20代後半ぐらいに見えた。


「はじめまして。今回の求人の採用担当をしています、安田です」


 安田は話しやすい雰囲気で、スムーズに質問に答えることができた。

 面接が終わり、結果は数日後に電話をもらうという話だった。



−−数日後、古本屋でマンガを立ち読みしていると、勇樹のポケットが揺れた。マナーモードにしているスマホの着信だ。画面を見ると、株式会社ジャングルジムからだった。先日の面接の結果、合格ということだった。

 次の正社員での仕事が決まるまでのつなぎのつもりではあるが、受かったことにホッとして嬉しくなった。




「忘れ物はない? 遅刻しないように余裕を持って行きなさいよ!」


母親に言われ、


「子供じゃないんだから。ちゃんと時間も確認してあるし、大丈夫だよ」


勇樹は遅刻しないよう少し早めに家を出た。


 今日はジャングルジムに初出勤だ。ドキドキしながら木下ビルの8階に着き、女性社員の方が勇樹の働く場所に案内してくれた。


「こちらが今回の業務を行う場所になります。中山さんのデスクはこちらになりますので、担当の者が来るまでこちらで少しお待ちくださいね」

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