最中とシュークリーム

百川 凛

第1話

 教室がチョコレートの甘い香りに包まれる、二月十四日。


 そのど真ん中の席で眉間にくっきりとシワを寄せ、右足をタンタンと上下に震わせている私は苛立たしさそのままに口を開いた。


「あのさぁ、みんなバレンタインバレンタインって浮かれ過ぎじゃない? 知ってる? 好きな人にチョコレートあげるのって日本独自の文化なんだよ? 海外じゃ主に花束やアクセサリーをプレゼントするの! それも男性から女性に! あるいは男女関係なく大切な家族や恋人に! そこにカードを添えて好きだって告白したり、日頃の感謝を伝えたり、デートに出掛けたりして過ごすのよ! それなのに!! この国ときたらどいつもこいつもバカの一つ覚えみたいにチョコチョコチョコって! いい? これは日本の製菓業界が仕組んだ陰謀なの! チョコの売り上げを伸ばすために作り上げられた偽物の文化なのよ!! みんな騙されてるだけ!! 義理チョコ? 友チョコ? 本命チョコ? 渡す対象を広げる事で売上げをさらに伸ばそうっていう魂胆が見え見えじゃん! 大体さぁ、なんでチョコがメインなわけ!? 別にチョコじゃなくても良くない!? 饅頭でも良くない!? 餡子たっぷりの薄皮饅頭でも良くない!?」

「うるさい。文句が長い。一方的な恨みで独自に発展した文化を否定しない」


 私のこの悲痛な思いを、友人である天津あまつ蘭華らんかはスマホを弄りながら興味無さげにバッサリと切り捨てた。


「ありえない! 日本人なら迷う事なく餡子でしょ!?」

「あーハイハイ。いくら和菓子屋の娘だからってバレンタイン恨んでも仕方ないでしょーが」

「だって!! 売上げが!! 二月の売上げのほとんどが洋菓子屋チョコレートに持っていかれるんだもおおおおおおおん!」


 叫ぶように言って、私は机に勢い良く突っ伏した。


 三日月みかづきもなか。三日月あんという老舗和菓子屋の一人娘──私の事である。ちなみに蘭華ちゃんは近所の中華料理店の娘さんで、昔からとても仲が良く、幼馴染の関係だ。

 ……話を戻そう。そんな我が家では毎年一月の後半から二月の前半になると、胃に穴が開きそうになるほど大きな悩み事が発生する。


 そう、バレンタインだ。


 いや、おそらくこれは和菓子業界共通の悩みだろう。この時期の主役はチョコレートに奪われる。つまり、ライバルである洋菓子屋に業界の主導権を握られてしまうのだ。なんとも忌々しい。ちなみにもう一つ、十二月の下旬にも和菓子業界に大打撃を与えるクリスマスという大イベントがあるのだが……もう過ぎたことなので十二月まで忘れることにしている。それより今はバレンタイン問題だ。何故バレンタインにチョコを渡すというニセ文化が広まったのか。そして何故それが定着したのか。そのせいで和菓子が売れなくなっているというのに。解せぬ!


「ねぇ蘭華ちゃん! うちの店、世の中から営業妨害受けてるんだけどどこに訴えればいいと思う!?」

「確実に負けるからやめときなさい」


 蘭華ちゃんは再び私をバッサリと切った。タンタンと上下する足の動きを早めていると、今最も聞きたくない声が聞こえてきた。


「おはよう」

「げっ!」


 この反応はもはや条件反射だろう。登校してきたらしい隣の人物を思い浮かべて、私の眉間のシワが濃くなった。


「おはよう、三日月さん」


 名前を呼ばれて仕方なく顔を上げると、甘だるい笑顔を浮かべて立っている男子生徒が目に入った。この男の名は佐藤さとうしゅう。我が家にとって商売敵、ライバルであるシェ・サトウというケーキ屋の息子だ。ケーキだけじゃなく焼き菓子やチョコなんかも売っていて、腹立たしい事にそれなりに人気がある店らしい。女子が騒いでた。そんな天敵である彼と私は仲良くする気は毛頭ないのだが、彼はいつも笑顔で話しかけてくる。和菓子屋なんか敵じゃないってか? 余裕ぶってるのが気に入らない。


 まったく。何故こんな奴と同じクラスでしかも隣の席なのか。イライラは順調に募っていく。


「今日はバレンタインだね。三日月さんは誰かに渡すの?」

「あ゛あ゛っ!?」

「わぁ、すごい迫力」

「佐藤くんごめんね。今その話題この子の地雷だから」

「地雷? なんで?」


 蘭華ちゃんの言葉にこてんと首を傾げる。同時に柔らかそうな薄茶色の髪が揺れた。この男はとことん私の地雷を踏んでいくスタイルらしい。


「はぁ!? なんでってこっちがなんでって聞きたいんですけど! 佐藤修の家はケーキ屋! 洋菓子の専門店! そんでうちは和菓子屋! 察しろ!!」

「なるほど。和菓子が売れなくなるからか」

「ぐっ……! さ、察しろとは言ったけど、それを口にしろとは言ってないっ!!」


 不意打ちでダメージを受けてしまった。ライバル恐るべし。


「で? 誰かにあげるの? チョコレート」

「話聞いてたぁ!? チョコなんてやるわけないでしょ! 渡すなら餡子たっぷりの饅頭渡すわよ!! 今なら特別につぶあんとこしあんの二種類をね!」

「ははっ、相変わらず拗らせてるね」

「うるさい! 洋菓子屋にはこの絶望がわかんないのよ!」


 そうこうしているうちにクラスメイトの女子が佐藤修の周りに集まり始め、義理なのか本命なのか分からないが可愛らしくラッピングされたチョコレートを渡していた。


 佐藤修は甘だるい笑顔を浮かべたまま「ありがとう」と次々に受け取っていく。その様子に、私は思わず舌打ちを鳴らした。

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