十四話 策を立てる

 夜が近づく。

 長屋から少し離れた場所で、たまと夜四郎は並んで歩いていた。美成は言いたいことを言い終えるや否や、さっさと帰ってしまったので、ちょうどその後ろを追う形になる。二人は太兵衛にのっぺらぼうの居場所の目星を付けたとだけ伝えて外に出ていた。


 たまは歩きながらうんうんと唸っている。斬るべき相手はすぐそこにいるのに、美成はそれを知っているのに(或いはそれ故なのか)、守るような素振りを見せたのである。斬るから貸せと言ったところで素直に従うはずもあるまい。

「なぜ美成さまが……」

「のっぺらぼうを匿っているか、か」

「あい」

「さあなあ、あの御仁の心は分からんが──同調でもしたかな。或いは同情でもしたのか」

「美成さまが妖に、です? 姿を模されて悪いことをされているのに……?」

夜四郎は頷く。

「ま、どちらも縛られているからさ。人にこうあれと勝手に期待されて、その虚像に縛られて、結局どういう顔をしていいのかを見失う──そうやって他人勝手に当て込まれたような役はさっさと降りちまえばいいんだが、中には生真面目いそれを全うしようとする奴もいるんだなァ」

美成殿もそうなんであろうよ、と夜四郎は呟いた。

「しかし、佐伯美成というかおに縛られた男の形を模したのが、なんのかおも持たぬ妖とは、なかなかの趣向じゃないか」

「……どうしましょう、これから」

「俺のやることは変わらんよ。なに、ここは一つ太兵衛殿に頑張っていただくとしようか──」

夜四郎がふっと笑ったのと、背後から呼び止められたのはほとんど同時であった。


 たまと夜四郎が足を止めれば、すぐに太兵衛が駆けてきた。随分慌てたのか、大した距離でもないのに肩で息をしている。

「あ、あのさ」

太兵衛が恐る恐る口を開いた。

「のっぺらぼうの目星がついたと言ってたけど、それって本当かい?」

「ええ。近いうちにまた、誰かが──はっきりと言って仕舞えば、美成殿が狙わるかと踏んでます」

「あ、兄さんが……」

夜四郎のどこか意地悪さを含んだ物言いに、太兵衛がゴクリと唾を飲み込んだ。それから少しだけ見えた迷う素振り。

「ええ。美成殿の近くにいるのは確かです。後は誘き寄せるだけ──というのを、ちょうどたまと話していましてね」

「……お、おいらじゃ、そのさ、おいらのところにゃ呼び出せないのかな」

「ほう?」

夜四郎の目が輝いた。

「太兵衛殿がのっぺらぼうを呼び出すと。それは僥倖、私としても美成殿から引き離したいところではありますからね」

「……おいらは正直さ、夜四郎さんのいう話もわかっちゃないし、美成さんが何を望んでるかもまだわかンねェよ。だけど、このまま何もしないわけには行かないじゃんか。……のっぺらぼうを誘き寄せりゃ、いいんだろ。それが兄さんのところにいるならさ、兄さんに伝えた内容はそのままあいつに伝わるかな?」

「必ずしも、とは保証できませんが」


 それでもいいと太兵衛は呟いた。

「ダメならおいらが兄さんの家に張り込むとかさ、忍び込むとかさ、やってみる。だけどさ、話し合いとか、もしくはこれ以上兄さんを巻き込まないで済むならそっちの方がいいよ」

「あ、あのう、太兵衛さんはどうするおつもりなのです?」

太兵衛なら単身勢いのまま乗り込みかけない、とたまは恐る恐る聞く。

「えっとな、おいら、新しく絵を描こうと思うんだ。今度こそ絵なんかじゃなくて、いなせな二本差しの絵さ。そののっぺらぼうにも顔を描くんだって──おたまちゃん、夜四郎さん、すまねえがそれを美成さんに伝えてくんねェかい」

「ふむ……」

「あいつのを描くんだって──な、こんな言葉、きっと美成さんも怒るだろ。誰かの代わりだとか、失敗作だとかそういうのを嫌っているってのはわかるよ。──のっぺらぼうも怒ってくれたらいいんだ、なんてひでぇ絵師に描かれたもんだって。そンでのっぺらぼうがおいらの方に来てくれりゃあもっといい。……ただよう、おいらは刀なんて振れねえからさ、やって来たそこをさ、夜四郎さんに斬ってもらいたいんだけど、いいかな?」

「ええ」

「夜四郎さんならのっぺらぼうを斬れるのかい」

「斬れます」

夜四郎はきっぱりと頷いた。


 太兵衛はほっとしたように肩の力を抜いた。

「あいつは人を食うんだろ、そんなのは危険だもんな」

「ええ。さて、それでは太兵衛殿には一時長屋を開けてもらいましょうか。決してひとりにならない場所で私たちが呼びに行くまで過ごして居ていただきましょう。明るく、人が多く、そんな場所ならばどこでも良いですから」

「お、おう。なんなら今日は誰かの家に泊めてもらうよ」

「それが安全でしょうね」

ひとつ頷いて、それから──と続ける。


「のっぺらぼうも、元になった掛け軸も切ってしまってもよろしいですね」

「……か、掛け軸の方もかい?」

「……確実に奴と此方こなたとの縁を斬りたいので──まあ、無理にとは言いませんよ」

「持って帰ってきてくれるねェかな。もちろん、できる範囲でいいよ」

「なぜかお伺いしても?」

「……何が正しいとか正しくないとかおいらにゃわかんねぇけどさ」

太兵衛はまっすぐに夜四郎をみた。

「おいら、改めてあいつに顔を描きたいんだ。今ののっぺらぼうにゃあ顔をあげらんねえけど、終わった後にさ、ちゃんと供養のつもりでおいらの渾身の美丈夫に仕上げてやりてえんだ」

「……のっぺらぼうを斬って彼方かなたへ還し、元となった掛け軸は可能な限り取り戻す──では、そのように」

夜四郎はしかと請け負った。


 太兵衛が「おたまちゃんもごめんな、面倒に巻き込んじまって」と謝ってから来た道を戻っていく。その背中を見送りながら夜四郎はたまに向き直った。

「こんなところで方針は決まったからな。……おまえさんは今日のところは家に帰るかい」

「えっ⁈」

「この先の顛末てんまつはおまえさんには辛いだろうよ。少なくても、全員が救われるような道を俺は選ばない」

少なくても美成はのっぺらぼうを匿っているくらいだ。斬ることを望んではいまい。食われたと言われていた人が戻って来て、人死にもなし、いずれは風化するかもしれないこの事件。それを斬るのはただ、夜四郎が夜四郎のためだけにするのだと。たまはでも、と夜四郎を見上げた。

「その、夜四郎さまは大丈夫でしょうか」


 たまは夜四郎の腕を信じていないわけではない。彼の剣の腕が立つことは素人目にもなんとなくわかるものだ。しかし彼はのっぺらぼうを視ることができるのか──彼方と此方の交わる辻なんかに誘き寄せなくてもいいのかと、視えるたまが誘き出してそこを斬るのだと、たまは思っていたのだが。


 夜四郎はゆっくりと頭を振った。

「あからさまに人の姿を模していなきゃあ平気さ。笠でもかぶっていたら厄介だがな、今回ばかりは見間違えやしないさ。太兵衛殿も、他の町の人もその姿を見て騒ぎになるくらいだ──奴は此方こなたによほどしっかりとした縁を結んでいるんだろうな。此方こなたに近けりゃ、俺一人で捉えて斬ればいい」

「まあ……」

「それに奴はお前さん相手でも斬るだろうよ。飲み込まれでもしたら、それこそ手出しがしにくくなるってのはあるな」

「そ、それは確かにそうなのですが……」

たまが足を引っ張ることはあれども、戦力になることはまずあり得ない。たまも夜四郎と協力したのは己のためであったとしても、彼の目的を阻むことは望むわけはない。


 それでも、たまは見届けたいと願っていた。

 かつて、人愛しさにあやかしになってしまった美しいひとがいた。たまとも長いこと親交のあった彼女は、たまの知らぬ間に世を儚んでしまったのだ。悲しみの底にいた彼女を救えなかった、気づけなかった、たまはそれを悔いていた。


 相手が妖でも、人でも、その心を救いたい。救えぬのなら、そのいく先を見届けたい。

 たまには視える、しかし救ったり彼方へと送り返すような力はない。だからこそたまは夜四郎と掛け合ったのである。


──たまの目を存分にお使いください。

──なら、おまえさんは俺の力を存分に使えばいい。


いつか交わした言葉を耳の奥で反芻はんすうして、たまは顔を上げた。


「夜四郎さま、たまも見届けたいのです。たまと夜四郎さまの二人で、あやかし手帖を作りたいのです」

「……そういう約束をしたもんなア」

「あい」

「だが、平気かい。家を抜け出すにゃあ遅すぎるぜ」

「それもなんとか出来ます」

「……それはそれでどうかと思うんだが──まァ、約束は約束だ」

夜四郎がじっとたまに視線を投げかける。

「おまえさんにゃ手出しはさせねえが、お前さんも絶対に手出しはするなよ。たとえ俺が斬られようともだ。お前さんは視るだけだよ」

約束できるかいと言外に伝えてくる。

「あい」

「斬る瞬間にゃ目をつむっているんだ。見届けると言っても、その瞬間まで見る必要はないだろう」

「わかりました」

「よし、俺が守ると言ったって、守る側の協力があってこそだからな。おまえさんが何よりも守るべきなのはおまえさん自身だってこと、忘れるな」

「……」

たまはしっかりと頷いてみせた。


 たまだっておっかないことは嫌いなのだ。

 ただ目の前にある事象が例えそのおっかなさを孕んでいたとしても、無視できるようなことはなくて。おっかなさと目の前のことを秤にかけて、結局は踏み込む他無くなるのだ。そうしなくては気もそぞろ、そういう風に出来ている。


 夜四郎は

「さて、早速だがおたま、お使いを頼まれてくれるかい」

と優しく尋ねた。体は絵草紙屋の方から、一度破れ寺の方へと向けられている。

「美成殿にこれから書く文を届けてくれ。届けたらすぐに美成殿の家から離れるんだぜ。なんなら、店の人に火急の要件だって渡してもらいな」

「あい。夜四郎さまは?」

「近くまでは一緒に行くよ。それからは……太兵衛殿の長屋にいるさ。俺が妖を斬るのだと知っている以上、破れ寺に呼び出して素直に来るとも思えんからな。おまえさんは志乃屋に戻るでもよし、そのまま破れ寺へ向かうでもよし──」

「破れ寺、です?」

「流石に長屋で戦うわけにもいくまいよ。昼に派手に喧嘩をしたその晩にさ、また騒ぎを起こしたら美成殿もいよいよまずい立場になるだろう。あいつの姿が多くの目に映るなら、町中でというわけにもいくまい」

その点、破れ寺なら隠れる場所もごまんとある。境内であれば夜四郎としても戦いやすいという。

「遅かれ早かれ、美成殿ものっぺらぼうがいないことに気がつくだろうしな。流石にあの人も斬り合いに入っては来ないだろう──おまえさんもいるなら、殊更な」

「……なるほどです」


 突然届けられた手紙、消えた妖、そうなれば美成は太兵衛の長屋か破れ寺に真っ先に来ることになる。そうなるとやはり、ある程度広さがあって、人気もない破れ寺に誘き出すのが良かろうという話になった。


 夜四郎としてはそうなる前に片をつける気であるのだが、万が一ということもある。

「美成さま……」

たまは少しだけ声を萎ませた。今回の結末はきっと美成の希望には添えないのだから。言えば、夜四郎も静かな声を落とす。

「あの人が必死に隠したものをさ、手前勝手に紐解いて、手前勝手に壊すんだ。美成殿に俺から立てられる申し分は何もないよ」

「たまもわかった上で夜四郎さまのお力を借りるので、同じです」

「まだ小さなおまえさんにこんなことを言うのもまた違うんだがさ、少なくても、俺たちは正義の味方なんかじゃないってことだよ。何もかも己の心のためにやっているんだから」

「……たまは、そんなに小さくありませぬ」

「俺よりはうんと小さいだろう」

「夜四郎さまが大きいのです」

夜四郎は大袈裟に肩をすくめてみせた。


 夜四郎はつと前を向く。たまはパタパタと後に続く。

「長屋から破れ寺まで、少し離れてますが大丈夫です?」

「さあて、やっこさん次第かな。たまにゃ申し訳ないが、見届けさせる約束を果たせるかも、奴さん次第だ。逃げられては元も子もない」

「わかっております」

「そん時はすぐにケリをつけておまえさんのところに行くよ。そうなってもいいな?」

「わかりました」

たまがしっかりと頷いたのを、横目に満足そうに確認する。

「じゃあ、いくか。あとは相手が食いつくかな──」

二人は誰そ彼時の町をゆく。

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