第2話 妻の死

 B子さんは癌の摘出手術をしたけど、2年後には再発してしまって、骨に転移が見つかった。3年目にはステージ4になっていた。ちなみに、骨転移イコール末期ではない。乳がんは骨転移が多いんだ。医者の勧めで抗がん剤治療をやっていたけど、結果が芳しくなかった。


 Aさんは奥さんが入院すると、毎日、仕事帰りにお見舞いに行っていた。具合が悪い時期は、勤務先に相談して休職し、1日中病室にいるようになった。Bさんは、会話もままならないほどだったが、たまに調子のいい日があった。


「結婚してくれてありがとう」

 Bさんは言った。

「こちらこそ、ありがとう」

 Aさんは笑った。そんな風に普通に会話できるのが嬉しかった。

「どうしたの今更?」

「今思うとね、オーケストラなんかどうでもよかったの。A君と結婚できたことが私の人生で最大の幸せ。ごめんね。私のために会社やめさせちゃって」

「そんなことないよ。忙しいと家に帰るのも遅いし、もともと合わなかったんだよ」

「でも、大企業だし」

「・・・まるで今日が最後みたいじゃない」

「ほら、こういうことも、もう言えなくなっちゃうかもしれないから」

「そんな風に言わないでよ。きっとよくなるよ」

「もう、ならない」


 B子さんは寂しそうに笑った。


「そんなこといわないで。俺、B子がいなくなったら一人になっちゃうし」

「大丈夫よ。また再婚して・・・ごめんね。まだ25なのに。A君、寡男やもおになっちゃうね。嫌じゃない、って。未亡人だとちょっと素敵だけど・・・。男の人って未亡人好きでしょ?でも、男の人だと情けない感じになっちゃうね」

 Bさんは笑った。

「そんなの嫌だよ。俺はB子じゃないとダメだから」

「じゃあ、しばらくは喪に服して、1年経ったら、また女の子とデートしてね」

「大丈夫だよ。B子はまだ生きるから」

 Aさんはすがるように言った。

「自信ない」

「大丈夫」

 Aさんは手を握った。

「私の寿命ももうあとちょっとだと思うの。・・・音楽が聴きたいわ。ブラームス 交響曲第1番。かけてもらえない?」

 Aさんは個室だから、Bさんがいつも聞いている音楽をCDプレイヤーで流した。


「俺、B子がいなくなったら、もう一生結婚しないよ。だから、置いていかないで」

 Aさんは泣いた。

「大丈夫。私、亡くなってからもちゃんと見てるから・・・A君が幸せになれるように。守ってあげる。守護霊になるね。でも、彼女がいても嫉妬したりしないから・・・A君に彼女ができた時には、私は違う所に行くから・・・安心して」

「でも、死んじゃったら、もう話したりできないよね。寂しいよ」

「大丈夫よ。もし、あの世に行っても、コンタクトできるなら必ずするから・・・注意深く見てて」

 Aさんはなんと言っていいかわからなかった。

 ちょっと怖くなった。

 幽霊になった奥さんから何らかの知らせがあるのだとしたら・・・。


「ゴースト*みたいね」 

(*1990年に公開されヒットしたアメリカ映画。暴漢に襲われて亡くなった男が、ゴーストになって恋人を守ろうとする話)

 B子さんは笑った。


「自分がそうなると思わなかった」

「嫌だよ!行かないで」

 A君はB子さんの腕にしがみついて泣いた。

 Bさんのやせ細った手がA君の背中を撫でた。別れが間近に迫っていることを、Aさんは認めないわけにはいかなかった。


 それから10日後に、B子さんは亡くなった。


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