第21話 暗闇の対峙

 交番でデスクに座る一ノ瀬は、最後の書類を書き終えると大きく息を吐いた。至るところで頻繁にいざこざが起きるこの地域に所属していると、処理する書類の枚数も桁違いだ。今日も市民同士の軽いトラブルを制し、調書を何枚か書いた。

 ペンを置いて視線をあげると、先日向かいに座っていた高校生の女の子の姿が脳裏をよぎる。同時に、女の子のいかがわしい写真を撮ったという男のことも思い出された。被害者が出ている以上逮捕はすべきだが、こういう小さな事件の場合、残念ながら捜査は後回しにされるのが現状だ。

 SNSの身元を確認する為の情報開示の手続きはしたものの、返答は良くて数日後、酷い時には数ヶ月はかかるだろう。その間に写真が拡散されてしまえば、犯人は逮捕されたとしても写真自体はデジタルタトゥーとして一生残る可能性がある。警察官として、一刻も早く事件を解決したい気持ちはあるものの、ままならないことが多いのも事実だ。だが、彼はできる限り早く解決に導きたかった。少女のこれからの為にも、そして彼女の身を案ずる優しい女教師の為にも。

 そんなことを考えていると、不意に交番の電話がリリリと鳴った。わざわざ交番にかけてくるということは近隣住民からだろう。何気なく受話器を取った一ノ瀬は、メモを取る為にペンを握った。だが、電話口の相手の話を聞くうちにその表情は青ざめていく。


「わかりました、すぐに向かいます」


 いくつか質問をやり取りして事情を把握した一ノ瀬は、電話を切ると無線で応援を頼み、すぐに交番を飛び出した。



※※※


 たどり着いた先は、繁華街の中にヒッソリと隠れるように建っている貸倉庫だった。トラックなどが出入りする搬入口はシャッターがしめられていたものの、電話で言われた通りシャッター横の扉は鍵が開いていた。

 扉から搬入口に入った一ノ瀬は、耳を澄ませながら懐中電灯の灯りをつけた。シャッターが閉まっているから当然だが、中は真っ暗で誰もいない。


「誰かいますか?」


 十分に警戒をしながら声を上げる。電話の主がいたずら目的でなければ、彼女はここにいるはずだ。

 電話口の女性は泣いていた。お酒を飲まされて大人の男達に酷いことをされそうだ、助けてほしいという内容だった。彼女の話が本当なら、この場所で未成年への飲酒強要と性犯罪が行われているはずだ。

 懐中電灯をぐるりと回すと、建物内へ通ずる扉を見つける。とりあえずそこから内部へ入ろうと足を向けた時だった。


 ――コツ


 一ノ瀬の耳が、コンクリートの床に響く微かな足音を拾う。音は頭上から聞こえてきた。咄嗟に懐中電灯を向けると、吹き抜けになっている二階の搬入口の前に人影が見えた。


「誰だ!」


 鋭く声をあげて牽制する。全身黒尽くめの小柄な人影が、二階の手すりにもたれかかるようにしてこちらを見ていた。顔にはなぜか安物の仮面をつけている。該当の人物の顔をよく確かめようと目を凝らした時だった。

 人影が両手で手すりを持ち、足をかける。ハッとした次の瞬間には、黒ずくめの人影がひらりと空中へ躍り出た。


「!!」


 咄嗟に懐中電灯を捨て、両腕を広げる。手から落ちた懐中電灯がゴツッと鈍い音を立てて床に転がった。同時に両腕に人影が飛び込んでくる。だが思ったより衝撃はない。落ちてきた人間を受け止めた、というよりは自分の腕に飛び込んできた、という感覚に近かった。

 腕にかかる体重は思っていたよりも柔らかく、そして軽い。


 ――女か!


 床に転がる懐中電灯は明後日の方向を照らしている。目の前の女の顔を見ようとするが、中が暗すぎる為ぼんやりと輪郭が視認できるのみだ。顎下で切り揃えられた髪、均一ショップで売っているような安っぽい仮面、ふわりと漂う甘い石鹸の香り。

 ――仮面。

 目の前の人物情報が、一ノ瀬の記憶の中の情報と結びつき、一つの可能性を結びつける。


「……ぴよぴよ仮面、か?」


 絞り出すように言うと、女がフッと笑う気配がした。同時に細い指がスッと自分の胸をなぞり、まるで口説かれているかのような妖艶な感触にゾワリと背筋が泡立つ。


「私のこと、逮捕しますか?」


 ささやき声が聞こえた。


「じ、事情聴取はする。逮捕をするかどうかは、罪状が確定してからだ」

「ここの建物で、未成年への飲酒強要と性犯罪に繋がる行為が行われているの。女の子達を助けてあげて」


 そこで本来の目的を思い出してハッとする。同時に自分がずっと女の体を両手で抱いていたことを思い出し、慌てて手を離した。

 女が後退し、自分から距離を取る。直後、バタバタバタ!! と複数人がこちらへ向かって走ってくる音がして、一階の搬入口の扉がバタンと開いた。


「おい、ここか!? あの女、どこに行きやがった!!」 

「逃がすな! あれを外部に出させるな!」

「絶対に捕まえろ!」

 突如、バチンと音がして部屋の灯りがつく。搬入口の扉の前には複数人の男が呆然と立ち尽くしていた。


「しまった! サツだ! 逃げろ!」


 誰かの声で、今度は男達が踵を返して扉から出ていく。急展開に戸惑っていた一ノ瀬はハッとして無線を手に取った。

 ここに来る前に応援要請はしてきた。今頃はもう、数台のパトカーが現場に到着している頃だろう。無線で外へ指示を出しながら、もうひとりの不審人物を逃すまいと一ノ瀬は背後を振り返った。その目が、灯りの下であらわになった彼女の全身を捉える。

 顎の下で切り揃えられた茶色の髪と黒のシャツ、黒の短パン。そして両手には指紋を隠す為の黒手袋。女は今、搬入口の窓枠に足をかけていた。


「待て!」


 彼女を捕まえようと慌てて駆け寄るが、女は振り返ることなくグッと足に力をこめる。ふわりと軽やかに体があがり、短パンから覗く健康的な両の足が窓枠に乗る。


(あっ……)


 一瞬だったが、右の太ももの内側に小さいアザのようなホクロのような黒点が見て取れた。大きくはないが、肌が白い為か妙に印象に残る。だが、一ノ瀬の手が彼女の体を捕まえようとした瞬間、彼女はひらりと窓枠から外へと飛び降りた。


 ファンファンファンファン


 パトカーのサイレンの音が聞こえる。彼女が今しがた出ていった窓から外を見ると、チカチカと点滅する赤い光に紛れるようにして黒い後ろ姿が消えていくのを見た。


(彼女がぴよぴよ仮面なのか……?)


 髪の色は違うが、正太郎くん達が言っていた目撃情報とも一致する。今見た情報をメモに書き留めようと胸のポケットに手を入れた途端、指先が何かを掠める。ハッとして中を見ると、制服の胸ポケットの中に入っていたのはスマートフォンのSDカードだった。先程女が胸に触れた時に入れたものだろう。中のデータはわからないが、おそらくこの建物の中で起こっていたという犯罪と関係があるのだろう。

 SDカードを眺めながら、一ノ瀬は先程まで対峙していた女怪盗の姿を思い出す。

 彼女の意図は何もわからない。勝手に他人の家に侵入をしたかと思えば、こうやって隠された犯罪を暴くために警察に力を貸してくれるような素振りを見せる。行動が一貫していないように見えるのだ。


(いや、違うな。問題はそこじゃない)


 今のところ彼女が確実に関わっているのは、児童虐待があった家庭への住居侵入と、未成年への傷害が行われている事件だけだ。二つの事件に共通しているのは――子供。


(子供が関わる犯罪か……今後も注意して追いかけないと)


 なにはともあれ、詳しい話は彼女を捕まえてみないとわからないだろう。一ノ瀬は手に持つデータカードをぐっと握った。


 窓から入る夜の風がふわりと前髪を揺らす。風に乗って甘い、花のような香りがした。


 なんとなくその香りに覚えがあるように感じたのは、自分の気の所為なのだろうか。

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