少年のいう面白いところ、とは、なんのことはない。繁華街だった。煌びやかな装飾が施された建物が立ち並び、その中を大勢の人間が歩いている。少年は目を輝かせてその光景を見ていた。


「親方は行かせてくれないんですよ」


「そりゃあ、そうだろうね……」


 表通りは華やかながらも健全な建物が並ぶが、ちょいと裏をのぞけば真昼間だというのに静まりかえったアヤシゲな街だ。やたら濃い化粧の女が物憂げにタバコをふかしている。その奥まったところにある薄暗い店からは、女の笑い声が聞こえてくる。


「ここはね、あっしみたいなガキが来ちゃいけない場所なんでございますけど」


「うん」


「でも、今日は先生がいるから大丈夫です」


「そうかい」


 まあ健全な店しか見せなければ大丈夫だろう。子どもの好奇心は押さえつけるものではない。子どもの頃に押さえつけられたものは大人になって溢れ出る。私のようにね。学者は口の端に笑みを浮かべた。


「わー、見てくださいよ! 」


「おお」


 二人はまず手近にあった硝子張りの陳列箱を眺めた。陳列箱といっても人が何十人も入るような大きなもので、中には服を着た人形がいた。


「こりゃまた、すごいねえ」


「えっへん」


なぜか少年は誇らしげな顔をしている。学者はその様子に微笑ましいものを感じながら、硝子の向こうを覗き込んだ。


 向こう側には、派手な服、奇妙な帽子、足の痛くなりそうな靴、何いずれもあまり感心するものはない。


 しかし、そういう不愉快なものでも、この硝子窓の中とか、少年の笑顔とかに彩られ、美しい感じを見出すことが、まあ、学者ほどの偏屈であってもないわけではない。


「次は本当に先生が一緒じゃなきゃならない場所に行きますよ」


「楽しみにしている」


少年と学者は連れ立って歩き出した。


 少年は鼻歌を歌いながら、楽しそうに歩く。まるで自分がどこかの金持ちになったかのように。


 少年の言う『先生が一緒じゃならないところ』というのは舞踏場のことだった。


 駝鳥の羽根のついた帽子だの、厳いかめしい金モオルの飾緒だの、いろいろの贅沢の標章に埋まつているような男女が、やたらと速い拍子にのせて踊っている。半白の髯の間に、こちらをじろりと見た店主らしき男に、入店だけで結構な金を毟り取られた。


「ここがあっしがずっと行きたかった場所なんですよ!」


「ほう」


学者は不機嫌に言った。


「こんなところに出入りしてるのかい?」


「まさか! 大人がいないと入れないんですよ!」


「なるほどねえ。私の頃からそうだが、子どもってものはどうしてこう、だめと言われるものに興味を持つんだろうね。男の子は特にそうだ。男の子だけじゃないが、こういう如何わしいところにどうして入りたがるんだか……」


「へえへえ」


 少年は学者のお説教など耳にも入れず、舞台で踊っている若い女の尻を真剣にみつめている。全くもう……。学者はため息をついた。


「ほら、君も踊ったらいい。ここは女の尻を見る店じゃない。踊って楽しむ場所だ」


「へっ!? 」


学者は少年の手をとって、無理矢理踊らせ始めた。


「先生、あっしは踊ったことなんてありませんぜ」


「私だってそんなに上手くはないが」


 そういいながらも学者はなかなかの腕前を披露している。地味で時代遅れの服の中年女が器用に踊る様は注目の的だった。少年は気恥ずかしくなって顔を伏せたが、学者はそんなことお構いなしで話しかけてくる。


「ほら足の運びはこうだよ、私の真似をしてみるといい」


 普段はいつも不機嫌で、髪もボサボサで、恐ろしい魔物のように見える人嫌いのこの女が、何故か器用に踊っている。その様はなかなかに奇妙だったが、少年は不思議にも驚かなかった。学者は唯の不機嫌中年女ではない。――そんな事はなぜかわかっていた。顔のせいか、言葉のせいか、それとも少年が出入りするようになるずっと前から持っていた大量の本のせいか、兎に角わかってはいたのだった。


「今日はね、ちょっと街へ降りようと思うんだ。でも一人じゃ寂しいからさ」


 あの言葉を聞いた時に、つまらない日常に風穴が開くような、そんな気がした。


 ありふれた痩せた土地の貧しい田舎で小作人の三男として生まれ、当然のように奉公に出され、それなりに厳しい親方のもとで仕事をする少年は、この如何わしくて汚らしい町に、夢と希望の絵具で絵を描いている最中なのだ。下働きらしき同じような年頃の子どもの視線を感じて、少年は得意げに胸を反らせた。夢と希望の絵具は、無限にあるように思われた。この町は美しいものも汚いものも飲み込んでしまう妖しい町。少年に酒は要らない。そんなものなくても酔えるから。

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