6話 逆襲
大阪 心斎橋
ここであやめが根城にしているBAR"ROSE GARDEN"。
ビルの一階層そのまますべて使用した贅沢なそのBARの奥には、あやめ専用のVIPルームがあった。
まず配下が立ち入ることはない。
あるとすれば相当な緊急事態ということであろう。
室内はホールと同じく赤いインテリアで纏められており、中央には大きなキングサイズのベッドが設置されていた。
その上で二人の女性が身体を重ねている。
あやめと月夜であった。
あやめは恍惚の表情で月夜の身体を楽しみ、月夜は嫌悪感に苦しみながらその身を抱かれていた。
月夜が受けたライフル弾の傷は未だ治っていない、それどころか新たにいくつもの傷があやめによってその身に刻まれていた。
右手は肘から一度折られ内出血のせいでどす黒い色に染まっており、肋骨も数本折られている。
身体は痣だらけだ。
この程度の傷、本来であれば簡単に治る。
それができないのは銀製の銃弾で受けた傷の影響と、治るたびに身体を壊され続けた結果であった。
そしてもう感覚が鈍くなってきているはずの月夜の肌にはゾッとするような寒気のするものが這う感覚が奔っていた。
あやめの舌が這っているのである。
これが二十年前ならな、と身体を舐め回されながら月夜は思う。
もし恋を知る前であれば目の前にいる吸血鬼と思う存分に交わり、自身も楽しむことができたのにと思う。
しかしそれはもう無理な話だ。
あの時以来、月夜の時間はその見た目と同じく止まったまま。
立ち振る舞いや物腰こそ大人びたものになってはいるが、こと恋愛というものに関しては何も成長していない。
これは罰だと月夜は想う。
人間に恋心を抱いた末にそれを捨てることができず、未練がましく縋りながらそれを生き甲斐とするしかなかった日々を送ってきたことに対してだ。
あまつさえその人間の娘に対し甘酸っぱい青い恋心まで抱くところであったのだ。
「…お姉様ぁ、お楽しみの最中に他の女のことを考えるのは如何かと思いますわよ?」
月夜の表情で今抱いてる感情を大方読み取ったのであろうあやめが言う。
「はん…こないな抱き方しかできひんクズに言われたないわ。」
「おほほほ、たしかにそうですわね失敬しましたわ。」
あやめは楽し気に笑う。
そして指先を軽く舐めると、月夜の左腕の傷口に抉るように突き込んだ。
「んがぁッ!!?」
あやめが月夜の傷口を乱雑に指でかき回し、月夜がたまらず身体を跳ねさせる。
激痛などという代物ではない。
気絶してもおかしくない程の猟奇的な痛み。
月夜がそれに悶える程、あやめの指の動きは激しくなる。
たっぷり一分程あやめは月夜のナカを楽しみ、指を引き抜いた。
その指先は再びあふれ出た鮮血で真っ赤に染まっており、あやめはそれを舌先でちろちろと舐めながら楽しんでいる。
「うふふふ…吸血鬼同士血を吸っても意味はありませんけどぉ、なかなか悪くありませんわね。」
「この…気狂い女が…!!」
「気狂い上等、愉しまなければ生きていても意味がないでしょう。」
あやめが真っ赤に染まった舌先でマーキングするかのように再び月夜の身体を舐め始める。
舌が這った後に薄く赤い線が引かれていく。
その時だった──
ドパアアアアアン。
強烈な爆発音が扉の外から響いた。
「なんですの…!?」
あやめはすぐさま月夜から舌を離し、ベッドから立ち上がりながら傍らに脱ぎ捨てていた赤いカジュアルドレスを手にする。
それを身に着けている途中に部屋の扉が開かれ、血相を変えた配下の吸血鬼が転がり込んでくる。
「あやめさん!カチコミです!」
「カチコミぃ?一体どこのどなたが?」
「分かりません!若い女が一人だけで、でもその女、化物で──」
その言葉を言い終える前に吸血鬼の身体が爆発と同時に弾け飛んだ。
地面に叩きつけたスイカの様に無惨に肉体を分離させ、散っていく。
あやめはその肉片を叩き落としながら、爆炎の向こうからやって来る相手の姿を見ると、思わず笑みを浮かべてしまった。
「あらあら、やはり貴女はあの吸血鬼ハンターの子供ということなのね。」
「まぁね、つまりあんたの殺し方も理解してるってことだよ。」
ゆらり、と日向が姿を現した。
その手に持っているのはM79グレネードランチャー。
着弾と同時に爆発する榴弾を発射する銃器であった。
「ひ、日向…なんで…!?」
月夜がベッドからどうにか弱った身体を起こす。
吸血鬼とは無縁だと思っていた日向が全身に武器を纏って自身を助けに来た。
あり得ない光景に困惑したように目線を泳がせる。
「ごめん月夜さん、説明はあとでするよ。」
傷口を手当てされることもなく、惨たらしく血を流したまま痛めつけられ身体を弄ばれていた彼女を見た途端、日向の瞳が獣のように凶暴に光った。
日向があやめと向き合いながらグレネードランチャーを地面に投げ捨てる。
このグレネードランチャーは単発式で次弾を撃つには弾薬を装填する必要がある。
目の前にいる吸血鬼が相手ではそれは不可能、そう判断しての行為だった。
両者に開いた距離は距離はおおよそ五メートル程。
この程度の距離、女性の吸血鬼であれば瞬間的に詰めることができる。
日向がゆっくりと首に掛けたアサルトライフルに手を動かしていく。
「こいつぶっ殺してからね。」
「おほほほ、若いっていいですねぇ~無鉄砲なところが。」
「鉄砲なら大量に持ってるんだけど。」
「もののたとえですよぉ。」
「知ってるよ。」
「そうですかぁ。」
「うん。」
「はい──」
あやめの足元が弾けた。
瞬く間に日向との距離を詰めるが、一直線ではない。
稲妻の描く軌跡の様にじぐざぐに視線を惑わしながら日向に接近する。
日向がアサルトライフルを発砲するが当たらない。
一定の拍子ではなく巧みに拍子をずらしながらあやめが移動しているせいだ。
歪な指揮者によって導かれる楽曲の演奏のように捉えどころがない。
そうして日向の間近に迫ったあやめは不意に身体を沈め、地面を薙ぐ様に足を回転させ、日向の足を払いにかかった。
左右の動きを意識させてから不意に下方に沈む足払い。
並の人間なら呆気なく地面に転がされ、そのまま殺されてしまうところであろうが、日向は違った。
「ふぅん。」
日向は自然に後ろに跳んで足払いを避ける。
それどころか宙でライフルを構えあやめに狙いを定めようとしていた。
「あらあら!」
あやめは咄嗟にさらに地面で身体を回転させ、日向のライフルを後ろ回し蹴りで蹴り飛ばし、狙いを反らした。
そして身体を起こしつつ、日向に向って今度は一直線に踏み込み右拳で突きを放った。
「チィッ!!」
日向がライフルの銃身で突きを払いつつあやめの頭に狙いを定めるが、発砲する寸前にあやめが左掌で銃口を払い狙いを反らした。
さらにあやめは身体を回転させ右のバックブローを放ってくる。
日向が頭を低くして腕の下をくぐり抜けて回避し至近距離から再び狙いを定めるが、下方から急に突きあがってくる何かに気づき咄嗟にライフルを盾にする。
「ぬがッ…!」
膝だった。
バックブローを振りぬいたあやめが日向に向って膝蹴りを放ったのだ。
日向の身体がふわりと宙に浮き、吹き飛ばされる。
もし日向がライフルを盾にしていなければ一発か二発弾丸を命中させたことと引き換えに死んでいてもおかしくなかった。
日向は吹き飛ばされながらもライフルを構えようとするが、その際に違和感を抱き、一目ライフルを見て顔をしかめた。
あやめの一撃でライフルが半ばほどから軽く歪んでしまっていたのだ。
日向はわざと吹き飛ばされた勢いに乗るように後方に転がり、猫のように受け身をとりながら距離をとりつつ首にかかっていたライフルを捨てた。
地面に膝をついて立ち上がると、すでに目の前にはあやめがいる。
足裏が天井に向くまで足を掲げ、膝をつく日向目掛けて処刑人が斧の振るう様に踵を振り下ろそうとした。
「甘いよ。」
「なッ…!?」
踵が落とされる寸前、日向は膝をついた状態から身体を回転させ、あやめの軸足の膝の裏を踵で蹴り飛ばした。
かくんとあやめの膝が曲がり、バランスを崩したせいであやめの踵の軌道が逸れていく。
吸血鬼の身体は強靭だが肉体の構造は人間とほとんど変わらない。
たとえ肉体が強くとも構造的に弱い箇所をつけばこのような芸当も可能であった。
日向が地面から立ち上がる。
そして踏み込んだ先は、なんとあやめの懐目掛けてであった。
低い姿勢から相手に向って飛び込むその姿はまるで獲物を狩ろうとする虎の如く力強かった。
「しゃあああああああッッッ!!!!」
弾、と音が鳴る。
踏み込みと同時に地面が震える程の音を鳴らし、日向があやめに背中を向けながら強烈な体当たりを放った。
「ぬぁぁ…ッ!!?」
バランスを崩していたこともあってか、あやめの身体が突き飛ばされ、人形のように宙に浮きあがりながら地面を転がっていった。
吸血鬼は見た目相応の体重しかない。
日向より背が高いあやめでさえおそらくは七十キロにも満たないであろう。
その程度の質量であれば自身の技でこの程度のことはやれるはずだ、そう判断しての日向の行動であった。
あやめとの距離が大きく開いた隙を見て、日向は月夜の元へと足を動かした。
「月夜さん!!」
同時に地面を転がるあやめに向って日向が腰の愛銃STI2011を引き抜き発砲する。
しかしあやめも突き飛ばされただけで身体に大きなダメージは無い、咄嗟に両腕で頭をカバーしつつ地面から跳ね起きた。
日向の銃弾が一発、あやめの腕に命中する。
「くぅッ…!?」
あやめは自身の身体から流れ出る血を忌々し気に見つめる。
更に日向が銃弾を放つが立ち上がったあやめは大きくその場から跳んで避け、そして数巡迷った末に部屋から逃げ出した。
今戦いの流れを掴んでいるのは日向だ、このままでは不利だと踏んで仕切り直すつもりなのであろう。
あるいは増援を呼ぶつもりなのか。
そう考えながら空になった愛銃のマガジンを入れ替えつつ、日向は月夜に駆け寄る。
その身体はすっかり衰弱しきっており、目にも力がなかった。
しかし日向が近寄ると月夜は少しでも心配させまいと、力なく笑って見せた。
「あっは…日向…凄いなぁ…陽子──お母ちゃんから習ったんか?」
「まぁね、隠してたみたいになってごめんね、月夜さん。」
「いや、勝手に勘違いしてたあたしも悪いわ…。」
自嘲気味に月夜が笑うが、大きくせき込み口から血を吐き出した。
咄嗟に口元を押さえるがごまかせない程の量の血が出ている。
それを見た月夜が何かを悟ったかのように顔を歪める。
「日向…あたし多分あかんわ…。」
「へぇ…。」
「へ、へぇって…日向…あたしは真剣に──」
「真剣に何?私だけこの場から逃げろって?」
日向は澄ました顔で月夜を見る。
ここから一人で逃げる選択肢などあるわけがないと表情で月夜に告げる。
「あかんて…日向…今なら日向だけでも──」
「じゃあ聞くけどさ、月夜さんが同じ状況で母さんを見捨てる?」
「それとこれとは話が違うやろ…ッ!」
「違わないよ、私も月夜さんと一緒だし。」
マガジンを装填した愛銃のスライドを戻しつつ、日向が月夜をまっすぐに見つめて言った。
「月夜さんは私がもう覚えてないって勘違いしてたけど、私は月夜さんのこと覚えてたよ。」
「…え?」
「駅で月夜さんを見たときすぐに分かったし、あの頃と変わらない"初恋"の人がいるって。」
「……へ…!?」
弱弱しかったはずの月夜の口調が、その時だけは微かに強くなった。
日向は月夜にそう告げながら、胸元のナイフを引き抜いた。
「ムッカついたなぁ、こっちは三歳の時に出会ったお姉さんにずーーっと恋してて、やっと念願かなって再会できたのに勝手に覚えてない扱いですかって。」
「そ…そんなもん…しゃあない…やん。」
「それは理解してるんだけどね、感情が追い付かないって言うか、それなら徹底的にアプローチしてやろうと思って。」
「それであんなことしたん…かいな…!」
「そうだよ。」
「そうだよって…で…日向…何してるんや…?」
日向が引き抜いたナイフの切っ先をを何故か自分の口元まで持ってきていた。
「何って、月夜さんに血、飲ませようと思って。」
「なッ…!?」
「私の生き血を飲めばその傷も多少は良くなるでしょ、そんで二人でここを切り抜ける。」
日向が口先から舌を出すと、その表面を浅くナイフで切った。
切り口から瞬く間に血が滲みだし、先端から零れ落ちる。
「好きだよ、月夜さん。」
「ひ、日向…。」
月夜の顎に手を伸ばし、日向が言う。
直球の告白であった。
「まだ月夜さんが母さんのことを未練があってもいいよ、ただ、私が月夜さんを好きなことは受け入れてくれないかな。」
「あ…ぅ…。」
「お願い、月夜さん。」
そう言いながら血に濡れる舌を月夜に差し出す。
二人して窮地にいるというのに、日向の瞳はあまりにも優しく、穏やかであった。
月夜はその瞳に吸い込まれるように日向の舌に自身の舌を絡め、その血を口に含んだ。
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