第7話 過去1-1

 2018年4月30日午後12時30分


 時は、紗奈がFTTに入社して間もない、四月の頃に遡る。

 

 時間警察広報課は閑散としていた。元々社員は八人で、昼休憩の時間は、そのほとんどが外に出るからである。


 ただ、新人の川野紗奈だけはそうも行かなかった。机の上に散らばったファイルや資料が、彼女の仕事の状況を表している。


「……終わらない」


 時間警察の中でも時空学とは縁の無いはずの広報課。しかし、処理する書類やまとめるべき資料には、その専門用語が散見される。


 そんな事、入る前には知らなかった。一つ一つ調べてみても、文系の紗奈には難しい。用語に阻まれて仕事のペースが落ちれば、課長の怒鳴り声に怯えなければならず、残業時間も当然増えるばかりだ。


 最初は助けてくれた先輩も、だんだん紗奈を避けるようになった。

 誰だって早く帰りたいのだ。後輩の仕事を手伝っても得にはならない。

 だから紗奈には、そんな彼らを引き留めることは出来ないし、責める事も出来ない。

 

 悪いのは、不甲斐ない自分だ。


 課長が戻って来る前に、これだけは終わらせよう。

 紗奈はパソコンを開いて文章を打ち込む。しかし、「二重改変の法則」に阻まれて、時空学の用語メモを開く事になった。


「72時間の範囲内に、大規模な改変が重なることは無い。ただし、それはプラス改変に限り、マイナス改変はこの例外である……」


 紗奈は今日何度目かも分からない溜息をつく。


「プラスとマイナスって何の話……」


 紗奈が呟くと、後ろから、


「元からあった歴史に、何かを加える改変の仕方ならプラス。逆に、あったはずの出来事や物を、無くしたり、消したりする改変ならマイナスよ」


 と声がした。紗奈が振り返ると、三十代前後くらいに見える女性が立っていた。真っ直ぐに背筋を伸ばして立つ、紺色のスカートの彼女は、ふっと微笑んで言った。


「要するに、過去の人間と話しちゃったとかで起きた改変はプラスよね? あるはずの無い出来事がプラスされた訳だから。

 逆に、物騒な話になるけど……現代の人間が過去の人間を殺したりすれば、それはマイナス改変になる。居たはずの存在が消えてしまうから、マイナスでしょう」


 話は分かったが、紗奈は戸惑う。


「あの……うちに何か用でしょうか?」


 紗奈の問いに、彼女はうなずいた。


「ちょっと助っ人が欲しいの。手の空いてる人は居る?」


「いえ、先輩たちはみんな外で……」


「あなたは?」


「えっ?」


「あなたは空いてない? 別にあなたでいいんだけど」


 彼女は気楽に言った。


「助っ人って、何のですか?」


 手伝えるあてなど無いのに、思わず聞いてしまう。


「修正部で少し人手が必要なの。あっ、私中山綾乃です」


「修正、部……」


 修正部は時間警察の中でもトップクラスのエリート部署だ。中山綾乃はその修正部の部長。

 広報課の新人に、何を手伝えと言うのだろう。

 紗奈は慌てて言う。


「ごめんなさい、私じゃ修正部のお手伝いは難しいと思います。仕事も大分溜まってますし……」


 しかし中山は、


「いいじゃない。仕事くらい他の人に頼めば。私は今あなたが欲しいの」


「でも課長が……」


「こんな事言うと大分顰蹙ひんしゅく買うけど、修正部長権限で清水には黙ってもらう」

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