第1話 無闇に同調する男、下着でからかう女

「それ、すごくいいと思うよ!」


 智也ともやは人なつっこい笑顔で言った。しかし、健人けんとは聞こえていないのか、あさっての方向をにらんでいるだけで返事をしない。

 智也が不安げな表情をうかべたところで、やっと健人が口を開いた。


「それ、本気で言ってないだろ」


 健人はやはり智也と目を合わせることなく言った。低く、冷たい声だった。


「え?」


 智也は健人の言っていることの意味が分かりかねるというふうに、首を少し傾げる。どんな表情をしても、智也には人なつっこさが感じられた。

 ようやく健人が智也の目を見たとき、健人の目には明らかに不快感がやどっていた。健人は小さく舌打ちをし、口を開く。


「いつまでそれ、続けんの?」


 まだ内容が読み取れない様子の智也に、健人は深い溜め息を吐き出した。


「その、誰にでも同調するクセ、いつまで続けんのかって聞いてんの」


 智也の表情には明らかに戸惑とまどいの色がやどった。口元がかすかに震えている。


「だ、誰にでもなんてことはないよ。本当に、いいと思ったんだ……」


 智也の泳ぐ目が、自信のなさを物語っていた。

 健人はもう一度深く溜め息を吐き出し、やれやれと首を振った。


「そのままじゃ、友達、ひとりもいなくなるぜ? ま、俺には関係ねぇけど」


 健人は椅子から立ち上がった。


「じゃ、俺次行くわ」


 智也は口をあわあわさせているが、何も言わない。椅子に座ったまま、焦点の定まらない目で健人の背中を見送った。


 だだっ広い真っ白な空間に、たくさんの椅子が置かれ、そのそれぞれに人が座っている。ほとんどが中学生から高校生くらいの年頃だが、中には二十代、三十代、またはそれ以上とおぼしき人もいる。彼らは、二人でペアになったり、複数人でグループを作ったりして、談笑している。その間を縫うようにして健人は歩く。何かを探すように辺りを見渡す。


「あの子にすっか」


 健人は、ひとつの椅子の脇でひとりぽつねんとたたずむ女子の方へ歩いた。気だるそうに首を二、三度鳴らし、


「おっす。今ひとり? 喋らね? 俺、健人」


 女子にぞんざいな口調で話しかけた。


「うん、いいよ。私、真奈美」


 眼鏡をかけた地味な風貌の女子だ。しかし、見た目で受ける印象よりも声ははっきりと力強い。


「さっきまで友達と話してたとこ。あんまり好きな子じゃないんだけどね」


 言って眉をハの字にする。つま先で軽く床を蹴り、舌を出す。表情も豊かだ。


「俺も、あんまり好きじゃねぇヤツとさっきまで喋ってた」

「ま、そんなもんだよね~」

「とりあえず、座ろうぜ」

「そだね」


 健人は近くの空いている椅子を引き寄せ、真奈美と向かい合って座った。

 途端、健人はハッとした表情を浮かべ、目を泳がせた。決まり悪そうにする。

 真奈美は丈の短いタイトスカートを穿いていて、健人の目線の高さからは中の下着が少しだけ見えた。


「どしたの?」

「あ、いや、何でも、ないよ」


 健人は半端な笑みを浮かべた。真奈美は口元に手をやり、フフッと笑う。


「友達ってなんだろうね」


 真奈美が、チラシをテーブルにそっと置くみたいな、なんでもない静かな声で言った。


「なんだろうな。お互いに都合のいい間柄?」


 健人は視線の置き場を見つけていた。真奈美のうしろ、遠いところに後頭部に円形脱毛を携えた男がこちらに背を向けて座っていた。ひとまずそこに視線を置き、話すときは真奈美の鼻のあたり――ぜんたいに地味な風貌のせいではじめは気付きにくいが、それは、筋の通った左右対称の綺麗な鼻だった――に視線を移すことで、視線を高めに固定することに成功していた。


「まあ、そんなとこだよね〜」


 言いながら真奈美は揃えた足をぶらぶらさせている。健人は努めて視線を高い位置に固定する。

 突然、真奈美が身体をねじって背後を見た。あわせて真奈美の両足は生き別れの姉妹のように容赦なく離ればなれにさせられた。

 健人は目を丸々とさせて驚愕した。

 真奈美は姿勢を正対に戻すと、「ごめんね」と言って手を膝の間にそっと添え、下着を隠すようにした。


「こうやって男子をからかうの、好きなんだ~。照れて赤くなるのが、なんか可愛くて。健人くんはあまり表には出さなかったけど、それはそれで可愛かったよ」


 真奈美はもう一度笑った。


「マジか、こいつ……」


 それはほとんどつぶやきに近かった。健人は続いて首を振り、うつむいて、深呼吸をひとつし、顔をあげる。


「まあ、ここにいるヤツは、何かしら変わったところがあるからな」

「そだね。普通の人だったらこんなとこ来ないよ。ここにいるのは、何かしらクセを持った人だけ」

「ああ。そんで、それが許される空気が、ここにはどことなく流れてる。俺は嫌いじゃねぇ」

「私もここは好きだよ。外は何て言うか、締めつけられてる感じがするんだよね〜」


 真奈美は「う~~~ん」と胸を反らして背伸びをした。膝の間に添えていた手が離れ、タイトスカートの隙間から下着が再び見えたが、健人は今度は自然に視線を逸らした。


「おまえ、そんなことばっかやってんのか?」

「うん、そだよ」


 真奈美は悪びれる様子もなく即答し、ニコッと笑った。表情とは裏腹に、眼鏡の奥の瞳には何の感情もやどっていないように健人には思えた。


「変な目にあわねぇよう、せいぜい気をつけるこったな」


 言って健人は立ち上がった。


「あれ? もう行っちゃうの?」

「ああ。俺、飽きっぽいんだ」

「ふ~ん。つまんないの」


 真奈美は両足を大きく広げた。スカートの裾がめくれあがり、下着が露わになる。生地が強く引っぱられ、スカートが着用者の想定外の動作に悲鳴を上げているように見えた。

 健人はそれを冷めた目で一瞥いちべつし、その場を離れた。

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