積もりし雪が溶ける時⑫


「娘さんを僕にください」

 そんな短い言葉を口に出すのにとてつもない覚悟と度胸が必要だなんて、今までは知らなかった。

 普段は酒癖の悪いおっさんにしか見えない恵介けいすけさんも、今この時においてはとてつもなく存在感を放ち大きな相手のように思える。

 だが、そんな恵介さんよりも格段に怖い相手がその隣りにいる。

 石崎明美いしざき あけみ。恵介さんの奥さんであり美雪の母親だ。

 美雪とは冷戦状態が続いているらしく、それもあってか何度かニアミスはしているものの、こうして対面で話すのは初めてのこと。

「雅幸君。君に娘をあげることは出来ない」

 一瞬、誰の声なのか分からなかった。なぜならその人が反対するとは思っていなかったから。

「お父様!?なぜですか!私達の結婚は賛成しているとおっしゃっていたではありませんか!」

 美雪にとっても予想外だったのか目を見開いて驚いている。

「勘違いしないでほしい。結婚に反対している訳ではないんだ」

「どういう事ですか?」

「美雪を嫁がせてしまうと石崎家の跡取りが居なくなってしまうだろう。だからすまないけれど、結婚をするのであれば君には石崎になって欲しい」

 聞き覚えがあった。

 いつだったかの酒の席でそんなことを言われた記憶がある。

「なんだかんだで僕たちの付き合いも長い。非常にしゃくではあるが、石崎家の仲間入りするのであれば、君に美雪を預けても良い」

「いま、なんと……?」

「美雪を君に預けると言ったんだ」

 美雪と顔を見合わせて喜びに顔をほころばせながら頭を下げる。

 結婚を許してもらえるなら家名くらい……と言えるほど簡単な問題ではないことくらい知っている。

 それでも、俺は美雪と共に歩むことを選んだ。そのために婿入りが必要なのであれば、両親を説得して見せる。

 覚悟が伝わったのか、以降の恵介さんはすんなりと話を勧めてくれた。

 それどころか結婚式の話まで持ち出して、いつにするか聞いてくるくらい祝福もしてくれて、多少なり肩の力が抜ける気がした。

 完全に抜けないのは終始黙ったまま恵介さんの隣でこちらのやりとりを聞いている明美さんの存在のせい。

 反対してくるわけでもなく時折、品定めでもしているかのような目つきを向けている。

 そして話が落ち着き始め、恵介さんが思い出語りを始めた時。

「――お待ちください」

 凛と良く通る声が聞こえた。

「なんだよ明美、結婚については許すって昨日も話しただろ」

「違いますわ。結婚に反対するわけではありません。これまで聞いていた印象、そして本日お会いしてからの様子。斎藤さいとうさんが優しいお方だと言うことはわかりました。美雪をお預けしてもいいと思えます

「だったらどうしたんだよ」

「……少し黙ってなさい。斎藤さん。貴方は石崎家に連なる者になることの意味を理解しているのですか?」

 場の空気がピシリと張り詰めた。

「石崎家は由緒ある家系です。貴方には想像もつかないようなしがらみもたくさんあります。特に貴方は上流階級の作法を知らず、美雪との年の差もある。分家はもちろん、土曜会会長の義父様にも目をつけられることでしょう」

 美雪と恵介さんは黙っていた。それは明美さんの言葉に対する無言の肯定なのだろう。

 上流階級社会の事は確かによくわからない。石崎家のことだって、大企業の創設者の家系だという程度しか知らない。

「社会では格に見合った振る舞いと言うものが求められます。どうしてうちの人が結婚式について決めたがっていたのかわかりますか?グループ全体に美雪の結婚を周知させるためであり、また美雪の夫となる貴方の顔と名前を皆に覚えさせるためでもあるんですよ」

「…………」

 明美さんの言っている事はわかる。立場に見合った振る舞いが求められ、石崎の娘美雪と結婚した男として、今までの常識では測れないような社会に関わらなければならないと言うことだ。

 それでも……。

「斎藤さん。貴方にはそこまでの覚悟がありますか?」

 言うべき言葉はとうの昔に決めている。

「はい。共に歩むと決めた時からずっと覚悟は決まっています」

 明美さんは静かに俺の眼を見つめ、しばらくして目を閉じた。そこからさらに数拍の沈黙。

 息を呑むのも躊躇ためらうほどの緊張で背中に汗が伝う。

 やがて、

「良いでしょう」

 思わず美雪と顔を見合わせて喜ぶ。

「ありがとうございます!」

 安堵あんどで身体の緊張が解けて、一瞬だけ意識が遠のく。思いの外、身体に力が入っていたらしい。

「大丈夫ですか!?」

「あ、ああ。大丈夫だ」

「気が抜けただけだろう。待ってなさい。お茶を淹れてもらうとしよう」

 恵介さんは使用人さんを呼ぶと、人数分のお茶を用意するように申し付けた。

 やっぱ使用人が当たり前にいるのを見るとお金持ちなんだなって思う。もちろん家も大きいんだけど、なんかこう、使用人のイメージ的に。

 それにしても、金持ちの世界か。実はあまり想像がついていない。覚悟はできているけれど半分くらいは成るように成れ。くらいの感覚。

 ただ、俺は甘く見ていたことを後悔することになる。なぜなら石崎家は金持ちではなく超が3つはつくほどの大金持ちだったから。



 ***



 少し乾いているものの透き通った冬の空気、空は雲一つない冬晴れの今日、式を挙げる。

 明日には天気が崩れて雪が降るかもしれないと言うのだから、今このタイミングで晴れているのは天の思し召しなのかもしれない。

「ほら、あなた。シャンとして!」

「お、おう……」

 緊張しているのかいつもと違う様子の雅幸君がソワソワとしている。

 本当に可愛らしい人。

 2人でお父様達に挨拶をしてから今日まで、あれよあれよと言う間に話が進んだように思える。

「緊張しすぎ!」

「仕方ないだろ!思ってたよりも規模がでかいんだから!内見のときも広いなとは思ったけど、こんなの大御所芸人の披露会の映像とかでしかみたことないよ!」

「まあ実際に使われていますからね。過去に〇〇さんとか〇〇さんとか担当したことありますよ」

 近くで私のメイクの最終チェックをしてくださっているスタッフさんが言った。

「……え、そんな大御所の人達が利用したような場所なんですか?」

「萎縮しないの!」

 テレビでも見るような人の名前を聞いて彼は更に緊張してしまったらしい。

 結局、彼の緊張はさほど解けることなく、入場の時が来た。

 祝福の言葉が飛び交う中、バージンロードを一歩、また一歩と踏みしめていく。

 彼と並び立ち、司式者から誓いの言葉が記された冊子を受け取る。

「「本日、私たちは皆さまの前で結婚の誓いをいたします」」

 そして列席された方々に向かって誓いの言葉を述べてゆく。

「「私たちはふたりは、互いに力を合わせて苦難を乗り越え、喜びを分かち合い」」

 先ほどまでの緊張した姿はどこへやら、シャンと前を向いた彼と目くばせをしながら呼吸を合わせる。

「「冬の寒さにも負けない暖かな家庭を築くことを、ここに誓います」」

 雪の日に出会い、冬の空の下で結婚式を挙げる。私たちの思い出はいつも冬だった。

「新郎、斎藤雅幸」

「新婦、美雪」

 私たちが言い終えると共にぽつぽつと拍手がなり始め、すぐに大きな歓声が巻き起こった。

 誓いの言葉が書かれた紙を司式者に渡して署名をしたとき、数多の人に祝福されているという確かな感覚が、高揚感を高める。

「それでは誓いのキスを――」

 会場は割れんばかりの歓声で包まれた。



 ***



 結局、大した問題ではないのだ。生まれも育ちも。

 雪の中で凍えている私を助けてくれて、なし崩し的に一緒に住むことになり、気づけば惹かれていた。

 こうして雪を見ると今でも思い出す。凍えた私に差し伸べられた暖かな手の温もりを。

「寒い。温めて」

「部屋の中は十分ぬくぬくしてるだろ」

「そうなんだけどさー、そうなんだけど、違うじゃん……」

 彼は、もたれかかっている私をそっと抱きしめて「これで満足?」と言った。

 抱き着かれたまま、こたつの前に移動してそのまま潜る。引っ付いたまま視線を交わし、どちらから求めるでもなくキスをする。

「むふふー」

「なんだよ」

「随分と素直に受け入れてくれるようになったなーって」

「そりゃ、まあ……」

 恥ずかしそうに雅幸君は目をそらした。

「かーわい」

「だからそれやめろって!」

 いくつになっても初心な頃と変わらない反応を見せるのがまた可愛い。

 こうやって一緒にいるだけで幸せだ。来週はまた出張だと思うと嫌になるけれど……。

 お父様のお付きとして各地を飛び回ってしばらく立つけれど、雅幸君と娘に会えないと考えただけで寂しくなる。

「……まーたイチャついてるし」

 雅幸君に甘えていると、娘の小春こはるがリビングへやってきた。マグカップを持っているから飲み物でも入れに来たのだろう。

「いいでしょー。明日からしばらく会えないんだもん♪」

「いい歳した大人が「だもん♪」とか言っても可愛くないから!」

「えー、そんなことないよ。ね?雅幸君?」

「パパもはっきり言ってあげた方がいいよ。歳を考えろって」

 板挟みにされた雅幸君は少し言葉に詰まったものの「俺は可愛いと思うぞ」と答えた。

「パパはママを甘やかしすぎ!」

「まあ、そういうなって。小春もこっちおいで」

 そう呼ばれた小春だったが、邪魔しちゃ悪いからと自分の部屋に戻っていった。

 冬に見る雪は美しく、雅なものだけれど、いずれは春が来る。

 今は振り積もる雪だって数日もすれば溶けてなくなるだろう。

「雅幸君」

「ん?」

「ありがとね」

「何がだ?」

「なんとなくー」

 私は今、幸せだ。

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