積もりし雪が溶ける時⑨


 合格発表の日、私は普段よりも少し早く起きて参考書を読み返した。

 今更何をしたところで結果は変わらないと言うのに、どうにも落ち着かなくて。

 少しして、いつも通りの時間に鳴り出した携帯のアラームを合図にキッチンへ移動して朝食とお弁当を作る。

「おはよう」

「おはようございます。もう少しで出来るので待っていてくださいね」

 起きてきたものの眠そうな雅幸さんにお茶を出しながら伝える。

 彼はお茶を啜ってから「あー」と息を吐いた。その様子がなんだか可愛らしくてフフッと笑ってしまう。

「あはは、ジジ臭くてごめんね」

 恥ずかしそうに笑う仕草も、可愛い。

「合格発表って今日だったよね?」

「です……」

「不安そうだね。自己採点で9割以上は解けてたんじゃなかったっけ?」

「そうなんですけどー、そうなんですけどー……」

 自己採点はあくまで自己採点なので、合っている保証というわけではない。だから不安なのだ。

「美雪さんなら大丈夫だよ。ずっと頑張っていたじゃないか。試験が終わった後もずっと復習してたくらいだし、受かってるって」

「そうでしょうか……」

「心配性だなぁ」

「応援、して欲しいです」

 頭を差し出しながらそう言うと、彼は少しすくみながらも手を頭にぽんと乗せて「きっと大丈夫」と言ってくれた。

 これが中々安心する。試験の後にやってもらってから味を占めて時々やってもらっているのだ。

 頼むたびに彼が少し困ったような顔になるのも癖になっている。

 こうして勇気をもらった私は、しっかりと防寒装備を整えてから合格発表へと向かった。

 道中の移動では同じように合格発表へ向かう人が多いのか、妙にそわそわした空気がただよっていた。私もまたそんな空気を生み出している1人かもしれないけど。

 気を紛らわせるためにスマホを見ると、気づかないうちに通知が2件ほど届いていた。お父様と雅幸さんからだ。

『きっと大丈夫!』

 と、雅幸さんから。

『美雪なら大丈夫だ!結果を楽しみにしてるよ』

 と、お父様から。

 お母様からは何もなかった。

 今までの干渉が嘘のように何もない。あの夜からずっと。

 大学に着くと、辺りは騒がしく、誰かの歓喜の声や鳴き声が響いていた。

 息を呑み、受験番号の張り出された掲示板へと近づく。

 深呼吸で気持ちを落ち着けてから掲示板を見やる。そのまま少しずつ視線を動かして、自分の番号がないかを探す。

 大丈夫、きっと大丈夫。そう言い聞かせながらも自分の番号が近くなっていくと怖くなって視線をそらしてしまう。

 祈るように手を合わせながら“大丈夫”と言う言葉を反芻はんすうしながら前を向く。

 果たして、その数字は。

「ぁ――――」

 有った。

 間違いはないか、ちゃんと合っているのか。間違いない。合格だ。そう確信するまで何度も何度も手元の紙と掲示板を見比べる。

「やった!やりましたよ!雅幸さん!」

 自分の合格を飲み込めた時、私は周りに人が居ることも忘れて叫んだ。

 すぐに恥ずかしくなって俯いてしまったけれど、周囲の人達は「おめでとう!」「一緒に頑張ろう!」「うぇーい!」などと喜んでくれた。

 ペコペコと頭を下げて喜びを分かち合い、高揚感こうようかんに浸った。

 そして忘れないうちに応援してくれた2人へ報告のメールを送る。すると待ち構えていたのか、即座に返信が来た。

 おめでとう短いメッセージ。でもそれがとても嬉しくて、そして何より自分の道を諦めなくてよかったと思えた。

 お見合いから逃げたあの時からずっと、その行動が正しかったのか悩み続けていたけれど、自分で選んだ道が正しい保証なんてないけれど、それでも気分が晴れた。

 その日の夜は、雅幸さんがお祝いだとご馳走を用意してくれた。

「もしかしたらお家に居た頃のほうが良いものを食べてたかもしれないけど」

 なんて謙遜けんそん するので、私は

「お金持ちだからといって豪華なものばかり食べている訳では無いですよ。とっても嬉しいです!」

 と伝えた。

 雅幸さんはわかってなさそうに「ありがとう」と言った。

「そういえば約束、覚えてますか?」

「約束?」

「ご褒美ですよ!ご・ほ・う・び!」

 忘れていたらしい反応をされて思わず語句を強めながら詰め寄る。

「思い出した!思い出したから!」

 後手うしろてにして触りませんアピールをされてムッと来た私はわざと胸を張って押し付けんとするが、一歩下がることで回避された。

 どうにも彼は私に近づきすぎないようにしているきらいがある。世間体の問題なのか、それともお父様に何か言われたのかは知らないけれど、あまりに露骨ろこつな態度を取られるのは悲しい。

「そ、それで、ご褒美ってなにか欲しい物とかあるの?」

「欲しい物とかは特にありません。けれど1つ、聞いてほしいお願いがあるのです」

「お願い?いいよ。俺に出来る範囲ならよ」

 その言葉を聞いた私は口角が釣り上がるのを感じて、咄嗟とっさに手で口元を隠す。

 “なんでも”である。つまり何を頼んだって良い。

「あの、美雪さん……?俺に出来る範囲だからね?」

 あらゆる可能性が広がっているとはいえ、私のお願いは初めから決まっている。

「雅幸さん」

「は、はい」


「私と、デートしてください!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る