積もりし雪が溶ける時⑤


 娘の美雪が家出をした。そう使用人から連絡を貰い、俺は事実確認をした後に急ぎ帰国の準備を整えた。

 持つべきものは優秀な部下だ。俺は土曜会の事を側近に任せ、なんとか早朝には帰宅することが出来たが、使用人は詳しいことを知らず、いくつかの伝手に確認をしても娘の居場所に関する手がかりは掴めなかった。

 明美に至っては電話に出すらしない。

 確認できたのは明美あけみが俺の居ない間に美雪を知り合いの二世ボンクラと婚約させようとした事と、その見合いの場から美雪が逃げ出したと言う事。

 少し前に美雪の婚約について話はしたが、“まだ美雪には早い”と結論付けたはずなのに、勝手なことを。

 落ち着かない様子の使用人が出したコーヒーを飲みながら、次の行動を考える。

 警察を頼るのは最終手段だ。ただでさえ『石崎いしざき』の名は目立つ。そんなタイミングで大事おおごとにしたくはない。

 特に美雪は大学受験を控えている。なんとか事を荒立てないようにしたい。でも、もし変な男に連れていかれてたりしたら、その時はあらゆる手段を使ってむくいを受けさせてやろう。

 そんな物騒ぶっそうな事を考えていると、見知らぬ番号から電話がかかってきた。

 いぶかしく思いながらも電話に出てみると電話口からは聞き覚えのある声で「もしもし、お父様?」と聞こえてきた。

「……明美か?」

『違います。美雪です……』

 察しはついていたが、念のため詐欺さぎではないか確認するために妻の名を呼ぶと、電話口から呆れたような声が帰ってきた。

「どうやら間違いなく美雪のようだな。ひとまず無事なようで安心したよ。今、どこにいるんだ?」

『それは、その……。えっと、ですね』

 歯切れの悪い返事の後に、なにやら後ろの方で誰かを話している様な声が聞こえてきた。

 話の内容までは聞き取れないが、どうやら男と話しているらしい。

『もしもし』

 しばらく待っていると、美雪ではなく知らない男の声が返ってきた。

「どちら様でしょうか」

わたし斎藤雅幸さいとう まさゆきという者です。えっと―』

「―なぜ娘と一緒に居るのかお聞かせ願えますか?」

『あ、はい』

 娘が知らない男と一緒に居る。という事実が苛立いらだちをつのらせる。

簡潔かんけつに説明させていただきますと、昨晩、私の住むアパートの前に美雪さんが座り込んでいまして、雪の中で放置する訳にもいかず、声をかけて私の家に招き入れ、泊まらせました』

「それならば警察に電話するなどの対処をすべきですよね。家に止める必要などないと思いますが、どうして今も一緒にいらっしゃるのですか?」

『…それは、美雪さんが警察には連絡してほしくないと仰ったからです』

 一瞬だけ返事を躊躇ためらうような間を空けてから斎藤と名乗った男はそう言った。

 話の筋は通っている。美雪ならば俺が考えたのと同じ様に、事を大きくしないように警察への連絡は避けるだろう。だが、それと男の家に上がり込むのは話が別だ。

『……あの、電話口の相手に信用も何もないとは思いますが、お嬢さんには何もしていませんので、ご安心ください』

「本当だろうな。もし嘘だった場合は貴様の首が飛ぶと思え」

 物理的に。

『お父様!斎藤さんは私の恩人です!困らせるようなことを言わないでください!』

「ぐっ!だが、お前に何かあったらと思うとだな」

『何もありません!』

 娘の強い口調で何も言えなくなる。

 美雪がここまで言うのだ。本当に何もないのだろう。そういうことにしてやる。

『あの……』

 親子の会話に挟まれた斎藤さんが、恐る恐るといった声を出した。

『電話をした理由についてなのですが……』

「迎えですね。迎えですよね。すぐ行きます。どちらに行けばいいですか?」

『え?』

「何か問題でも?」

『いえ……。お父さんは海外に居るとうかがっていたものでして』

 どうして不思議そうな反応をするのかと思ったが、どうやら私が日本に居ないことを娘から聞いていたようだ。だとすれば、今通じてる時点で電話のかけ方を間違えていることになる。

 そういえば美雪には教えてなかったな。国際電話のかけ方を。

「娘が家出をしたと聞いて帰ってきたのですよ。それと見ず知らずの男に“お父さん”と呼ばれたくないので、恵介けいすけでお願いできますかね」

『わ、わかりました』

「それで、娘を迎えに行きたいのですが、どちらまで行けばよろしいでしょうか?」



 ***



 お父様が私のために帰ってきた。

 そう聞こえて、私は嬉しいと思う反面、お父様や土曜会どようかいの皆様に多大な迷惑をかけてしまったと後悔した。

 今、眼の前で斎藤さんがお父様と話し終えて、どうやらお父様が斉藤さんの家ここまで迎えに来る事になったらしい。

 しかし、ここに来てお父様と会うのが怖くなった。

 今更ながら、石崎の娘という立ち場の重さに気づいてしまった。

『お父様に話してみたら』

 と言った斎藤さんは悪くない。これは私が起こしてしまった行動によるもので、彼は関係ない。むしろ現状を何とかするために、お父様を頼るのは間違っていないと思う。

「お父さんと会うのが心配?」

 お父様が来る前に着替えてくると言って、席を外していた斎藤さいとうさんが、戻ってくるなりそう言った。

「少しだけ……。私、とんでもないことしちゃったんだなって」

「とんでもないこと?」

「私が考えなしに飛び出してしまったから、色んな人に、斎藤さんにも迷惑めいわくを……」

「声をかけたのも、家に上げたのも、父親に電話してみたらと言ったのも全部、俺の判断だよ。迷惑じゃないわ。それに、月並みだけど、誰にも迷惑をかけずに生きている人なんて居ないと思うな。美雪さんは今まで我儘わがままも言わず、親の言いなりだったんでしょ?なら、少しくらい我儘を言ったって良いんじゃないか?」

 それは、詭弁きべんだ。迷惑かけず、心配させず、で居ることを望まれる。その方が将来のためになるからと。

「それは迷惑になってしまいます……」

「でも、古川って人と婚約するのは嫌なんでしょ?」

「それは」

「深い事情も知らない俺が言って良いことかはわからないけどさ。嫌なことを『嫌だ』って言うのも大切なことだと思うよ」

 斎藤さんの言っていることが理解出来ないわけではない。むしろ一般論として、それが正しいだろうとすら思える。

 それでも、かれたレールの上しか知らない私は、レールから逸脱いつだつすることが怖い。それを正しいことだと判断できない。

 親に逆らうなんて、不品行ではないか。それはのやって良いことではないのでは、と。そう思ってしまう。


 ―ピンポーン


 不意に、部屋にチャイム音が鳴り響いた。

 迷ったまま、答えが出せない私などお構いなしに時は過ぎて居たようだ。

「来たかな。美雪さんは待ってていいよ」

 立ち上がろうとする私を制止して、緊張した面持ちの斉藤さんが立ち上がる。

 どうしたら良いか、考えが焦って答えを出そうとしているうちに斎藤さんがお父様を引き連れて部屋に入ってきた。



  ***

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