積もりし雪が溶ける時②


 私はずっとお母様の操り人形だった。

 言われたことを言われたようにするだけ、決められたレールの上。その道を進んでいれば順風満帆じゅんぷうまんぱんな人生を約束される。そう疑わなかった。

 期待されているレベルの成績は常に取った。

 習っていたピアノではコンクールの入賞を果たした。

 決められた相手と決められたような関係を築いてみせた。

 丸菱まるびしグループの創始者そうししゃである石崎家いしざきけの娘として求められたことをしてきた。お母様だってそれに満足していたはずだ。

 後は大学に進み、いずれはお父様の後を継いでグループの上に立つ。

 それでいいと、これからもそうしていれば良いのだと思っていた。

 お母様に「婚約者と会わせる」と言われて、家からほど近い有名な高級ホテルレストランに連れられた私の前に現れた有名政治家の息子だという人。その人に会うまでは。

 彼に対する第一印象は最悪の極みだった。会ってそうそう挨拶も抜きにジロジロと品定めするような視線を向けて、にたりと笑いながら左腕を私の肩に回してきた。

美雪みゆきちゃんだっけ?こっちに席を取ってあるから行こうか」

 お母様の手前、嫌がって腕から抜けるわけにもいかずにされるがまま席まで連れられる。

 連れられてる間、やたらと鼻につく香水の匂いがただただ不快だった。

「それじゃあ、私は帰るから。明日の学校に間に合うように帰ってきなさい。後はよろしくお願いします。古川ふるかわさん」

「はい、朝には帰すようにしますので」

「あの、お母様……?」

 古川と呼ばれた男性と2人きりで残される不安から、お母様を呼ぶも、

「しっかりやりなさい。石崎家の娘としてこういった場の事も教えていたはずよ」

 そう言い残して帰ってしまった。

 椅子が2つしか用意されてなかった辺り、元々そのつもりだったのだろう。

 後に残された私と古川さん。

「美雪ちゃん。まだ18歳だよね。色々と興味あるなぁ」

「それは、どういう……」

 何を話したら良いかもわからず、カトラリーとグラスだけが置かれた机に視線を落としていた私に古川さんがそう言った。

 顔を上げて目を合わせると、古川さんは目を細め出会った時と同じような視線を向けてくる。

 気持ち悪い。

「普段からそんな感じの服装なの?」

「いえ、今日はお母様に言われて……」

 セミフォーマルな白のフレアロングドレス。お母様が用意してくれたもの。言われるがまま着てきたもの。

「少し大人びて見えるね。良いじゃん」

 また、口角を吊り上げてにたりと笑う。

 ああ、この視線。今までもグループ関係のパーティで向けられたことがある。下卑た視線。

 目を合わせたくない。そう思いながら私は机の上だけを見て静かに運ばれた料理を食べた。

 その間も古川さんは「美雪ちゃんから見たら俺はもうだいぶおじさんかな?」「無口だね。緊張してるの?」とかずっと話しかけられ、私はそのたびに当たり障りのないように答えた。

 コースを食べ終え、どうやって帰ったものかとタイミングを考えていると、立ち上がった古川さんが私の横に立ち、肩に手を置いた。

「じゃあ、行こうか」

「はい。今日は有難うございました」

 私も立ち上がり、肩に乗った手を振りほどくようにして1歩下がってから、お辞儀をする。すると、古川さんは笑って「違う」と言った。

「ここの上に部屋を取ってあるんだ。君のお母さん明美さんには明日の学校に間に合うようにしてくれればいいって言われてるからね。今夜は楽しもうじゃないか」

「それは、どういう……」

 嫌な予感がする。

「察しが悪いな。明美あけみさんも言っていただろう。って」

 古川さんが私の手を引っ張り、強引に抱き寄せ、空いている逆の手を腰に回してきた。

「嫌!!」

 でるようにして腰からゆっくりと降りてゆく手に、身の毛がよだつ様な感覚を覚え、私は反射的に古川さんを突き飛ばした。

「痛ってぇな。何すんだよ」

 尻もちをついている古川さんから逃げるようにして走った。とにかく今はここホテル・レストランから離れなければならないと。

 ホテルを出て、すぐの駅に着いた私は、ホテルのクロークに鞄やコートを預けたままにしてしまっていることに気が付いた。

 冬の冷たい風がさらされた肩を撫でる。あまりの寒さにひとまず駅構内へ逃げ込み、風の当たらない場所でしゃがみ込んだ。

 鞄とコートを取りに戻ろうにも、古川さんが居る。

 家へ帰ろうにも、もしお母様の言葉が古川さんの言っていた通りなのだとしたら、私は怒られる。もしかしたらまた古川さんのところへ連れて行かれるかもしれない。

「嬢ちゃんどうしたんだ?」

「お嬢ちゃんそんな格好で寒くない?どう、おじさん達と飲みにいこうよ」

 声をかけられ、顔を上げると、顔を赤くさせた2人の男の人と目があった。

「ごめんなさい!」

 走ってその場を去る。そのまま駅から出ようとしたところで足踏みする。

 目の前に降るは、雪。

 そういえば学校でクラスメイトが降るかもしれないと話していたのを思い出した。

 雪の降る中に駆け出す事もできず、寒さから逃げるように、また駅の構内へと戻ろうとして気づく。

 ああ、この格好は目立つ。と。

 ただでさえセミフォーマルな物とは言え、ドレス。それも肩出しでとても気温に適してない。

 ここに居たら見つかるのは時間の問題だろう。この駅は人も多いし、そもそも先程まで居たホテルとも近い。

 外は雪。ならば電車に乗って遠くに行けば良い。そう、それこそ終点まで。

 私はスマホを取り出して苦笑する。

 財布は無いが、もしものためにと電子マネアプリにチャージされていた分があれば十分電車に乗ることが出来るはずだ。

 1人で電車に乗ったことは無いけれど、ここには利用してる人が沢山いる。真似をすれば大丈夫なはず。

 意を決して、眼の前で改札を通り抜けたスーツの男性を真似して改札の機械にスマホをかざして、そのまま男性に着いていき、同じ電車に乗り込む。この電車が何処へ向かうのか、これからどうすればいいのか、なんて考えもせずに。

 空いた席に座り、呆然ぼうぜんとしているとスマホからけたたましく私を呼ぶ音がなった。慌ててスマホの画面を見るとそこには“お母様”の文字。

 少し躊躇ためらいつつも、応答拒否をタップする。しかし、すぐにまた着信が入った。

「っ!」

 もう一度、応答拒否をタップして、そのままスマホの電源も落とす。

 今は誰とも話したくない。お母様ですら信じて良いのか解らない。

「お父様……。私はどうしたら……」

 やがて、終点を知らせるアナウンスが聞こえて電車が止まった。何も知らない。何処とも知らぬ駅。

 人の波に乗って改札を抜けようとすると、改札の機械が音を鳴らして行く手を阻んだ。

 何が起きたかわからずにあたふたしていると、駅員さんが駆け寄ってきて「スマホの電源が切れているせい」だと教えてくれた。

 考えてみれば当たり前のことだが、アプリの電子マネーはスマホの電源が切れていると使えないらしい。

 スマホの電源を入れ直し改札を抜けると遠くの方から『――行、まもなく到着します。乗り換えの方はお急ぎください』と聞こえてきた。

 どうせなら、行けるところまで行ってしまおうか。

 自暴自棄じぼうじきなのは解っていたが、それでも私はその電車に乗った。

 しかし、まるで私が遠くへ行けないように運命がささやいているのか、電車はたった数駅進んだだけで再び止まってしまった。

 もう乗り換えのアナウンスも聞こえない。どうやらここが本当に終点らしい。

 駅の外に出ると、暖かな駅構内とは対照に冷たい空気が広がっていて、雪も降り積もり、うっすらと白く染めていた。

 雪の中を歩きたくはないけれど、このまま駅の中に居ては、また誰かに声をかけられるかもしれない。駅員さんが警察を呼ぶかもしれない。そう考えたらとても駅の近くには居られなかった。

 当ても無く、歩く。

 雪は容赦ようしゃ無く降り続け、私の体温を奪う。

 次第に雪が強まっていくのを感じた私は歩くのを諦めて、目に入った建物の影に腰を下ろした。

 2階建てのアパート。その2階へ続く階段の下にあるスペースは丁度、風を受けず、雪も階段と屋根にさえぎられていた。

 しゃがんだまま膝を抱えて身体を丸める。

「これからどうしよう……」

 このままここにいたら凍えて死んじゃうかもな。それでも良いか。なんて気の抜けた事を思いながら目を閉じた。

 雪で音の消された街はとても静かで、自分の吐息の音だけがよく聞こえる。

「大丈夫ですか!?」

 寒さで頭がぼーっとし始めた頃、不意に聞こえた大声で目が覚めた。

 顔を上げると、何かが上から降ってきて私を包む。それはとても温かくて、何故か落ち着く匂いがした。

 私はかけられたコートの温もりを逃さないように寄せて、眼の前の男性を見る。そこに居たのは少しくたびれた様子のおじさんだった。

「誰……?」

 ほとんど反射的に出た言葉に対して、「私はこのアパートに住む者です」と答えが帰ってきた。

「えっと、立てますか?」

 そう言いながら彼は心配そうな顔で手を差し伸べてくる。その私を見る目からよこしまなものを感じない。

 手を取るか迷いながら、ゆっくりとその手を取る。そのまま優しく手を引かれて、立ち上がった。

「ひとまず、うちに来て」

 彼は有無を言わさずに、手を取ったまま1階にある扉を開けて、中に入る。

 玄関で手を離されると、彼は私を置き去りにして部屋の奥へ消えていった。 しばらくバタバタと慌ただしく動く彼によって、電気が灯され、いくつかの機械音が鳴り出す。

「これ、一応まだ開けてないけど、もしコーヒー苦手ならカイロ代わりにでもして」

 しばらく玄関に立ち尽くしていると、缶に入ったカフェオレを押し付けられた。冷たく冷えた手に缶コーヒーの熱がじんわりと伝わってくる。

「玄関に立ってないでこっちおいで、エアコンつけたから待っていれば暖かくなるはずだよ」

 知らない男の人の家に上がるのには抵抗があるが、他に選択肢もなく、恐る恐る靴を脱いで小さく「おじゃまします」と言いながら家に上がる。

「適当にくつろいでいいから」

 リビングに入ると彼はダイニングテーブルの椅子に腰掛けながら、携帯を取り出してそう言った。

「やめて!!」

 咄嗟とっさに声を上げて彼の腕を掴む。

「お願いします!警察には連絡しないでください!」

 彼は携帯を取り出しただけ、何もおかしなことはしていなかった。それでも私は彼が何処かへ電話しようとしたように思えてしまった。

 警察に連絡されたら、連れ戻されてしまう。警察が石崎を、丸菱を知らないはずがない。

 迷惑なのはわかっている。警察に電話することは何も間違ってない。でも、今はまだ帰りたくない!

「……わかった。警察には電話しないから、安心して?」

 掴んだ手が優しく解かれる。

「お風呂、すぐにお湯が溜まると思うから入って。いつからあそこに居たのかは知らないけど、手がこんなに冷たくなるくらいは居たんでしょ?」

 彼は携帯をテーブルに置いて、わかりやすく私に触れないようにしながらお風呂場まで案内して、シャワーの使い方や、シャンプーのことなどを教えてくれた。着替えも、新品のスウェットを貸すと言ってタオルと一緒に渡される。

「あの……」

「どうかした?あ、もしかして知らない人の風呂は嫌だった?」

「いえ……。そういう訳では、えっと、お湯、いただきます……?」

「ゆっくり暖まっておいで」

 脱衣場に1人残された私は、脱衣場の外を気にしながらおずおずと服を脱ぎ綺麗きれいに畳んで地面に置いて、お風呂の扉を開くと、ムワッとした暖かな空気が脱衣場に流れ込んだ。

 慣れない匂いを感じながら浴室に入り、教わったように蛇口をひねると、温かいお湯がシャワーから出てきた。

「はふぅ……」

 冷え切った身体にシャワーの熱が伝わる心地よさから、気の抜ける声が漏れた。

 使っていいと言われた石鹸を使って、身体を洗う。古川さんに触られた所は念入りに。

 できれば、あんな身が汚される様な思いは、もうしたくない。

 しっかりと、念入りに洗っている間に、十分な量のお湯が湯船に溜められていた。

 私は泡が身体に残っていないか確認してから、ゆっくりと湯に身体を沈める。

 じんわりと、何かが身体から抜けていくような感覚と共に脱力すると、欠伸が出た。

 どうやら自分が思っていたよりも疲れていたらしい。

 もう一度、大きな欠伸をしてから考える。自分はこれからどうすれば良いのか。

 たまたま親切な人に助けてもらった。でも、本当にただの親切な人なのかは解らない。

 警察には連絡しないと言ってくれたが、今、私がお風呂に入っている間に電話しないとも限らないのだ。

 それに、親切ではなく見返りを求めての行動だって可能性もある。お金か、身体か、何かしらを求めて助けてくれたのかもしれない。

 私は、どうしたらいいのだろう……。

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