一概に私はそれを愛と言うんだ

ななつぼし

ex.1 私がいくら焦がれても

 男の人が嫌いだ。男の人全員があの男のような人間じゃないのは頭では理解しているつもりでも男性というだけで心のどこかに嫌悪感が生まれる。

 あの男というのは父親のこと。ずっとひとり親で育ててくれた母親が再婚し、小学生の時に初めて『父親』という存在に触れたあの日から私は_


「外暑かったでしょ。早く入りなよ。」

「ありがとう。汗かいちゃったからシャワー借りるね。」

 目を瞑ってでも来られるのではないかという程通い詰めているここは私の家ではない。安寧の地。そして私の心をかき乱す場所。

 何度も使った水垢がこびりついたシャワーの栓を捻って、お湯が出るまでの冷たい水を頭から浴びながらここに着くまでに何度もついたため息をまた吐き出した。

 ここは掲示板で出会った男の家。所謂『そういうこと』をするために活用されている掲示板だ。何故男性嫌いの私がこういう行動に走っているのかと聞かれれば正直なところ私にもわからない。別段行為が好きなわけでもないのだ。ただただ誰かに必要とされたいという誰もが持っている承認欲求。それ以上でも以下でもない。その筈だった。たくさんの男性と何度やり取りと体を重ねてもぬぐい切らないこの変な感情を包み込ませるように家のものとは違う匂いのシャンプーを手のひらで泡立てる。真っ白でもこもこと柔らかく泡立っていくそれはすっかり真っ黒に汚れて自分でもよく分からない感情を持て余した私の心身と対照的で何故だかひどく心が痛んだ。


 「お待たせ。今日も暑いね。」

 浴室から出ると部屋の主である新見誠はアイスコーヒーを入れて私が出てくるのを待っていた。

 「まあとりあえず飲みなよ。」

 相変わらず感情の読めない笑顔を張り付けて、誠さんはソファに座っている自身の足の間に座るよう促した。この男は何故だか私を甘えさせるのが好きだ。彼女でもなんでもない私の髪を乾かしたがり、世話を焼きたがる。本来であれば体だけの関係なんてやることをやってしまえればいいわけで、入浴するにしても洗髪までしてしまうと乾かす手間などを考えるとロスタイムでしかない。にも拘らず私が浴室を借りて洗髪までするのはこの家で彼に抱かれるための暗黙のルールだからである。

 おとなしく彼の足の間に腰を下ろして淹れてもらったコーヒーに口をつける。爽やかな酸味。これは誰の好みなのだろう。彼自身の趣味なのか、はたまたこの家に出入りしている私以外の別の女性のものなのか。誰が見るわけでもなく無言の空間を埋めるように付いているテレビでは最近世間を賑わせている女性のニュースが流れている。何でも恋人が死んだ四か月後に自殺をしたらしい。それだけなら別段珍しいわけではなくニュースで取り上げられることでも無さそうだが、亡くなる直前まで使用していたパソコンから亡くなった元恋人と直前まで会話していたようなログが見つかっているのだとか。最初は恋人を亡くして気が滅入ってしまった彼女さんが『彼はまだ生きているのだ』と信じ込んで空想上の彼氏さんとメッセージのやり取りをしていた痕跡だと思われていたが、調査で彼からの返答とみられるそのログは彼女が使用していたパソコンで入力されたものではないことが判明した、と報道されている。そんなオカルトめいた話があるのか。というかこれから生まれる怪奇現象はデジタル絡みのものも増えていくのかもしれないな、と思いながら私はそのニュースを見ていた。

 それにしても自殺か。死ぬってどんな感じなんだろう。死ぬ瞬間はセックスよりも快感指数が高いという話はよく聞くけれど実際のところはどうなのか誰にもわからない。「そうなってみないと」誰にもわからないのだ。死に思いを馳せたとて、生きている人間からしてみれば創造の範疇を超えないのだから。彼女にはそれが分かったのだろうか。聞けるものなら話を聞いてみたいとも思うけど当分先になると思うし彼女に会えたとしたらきっとその時は私も死んでいるということだし生きている限り、或いは科学が発展して亡くなった人に話が聞けるようになる日が来るまではやはり不可能だろう。

 そんなことを考えながらしばらくの間ぼうっと座っているとドライヤーの音が止まり、終わったよという彼の声が頭の上から降ってきた。上を向きながらお礼の言葉を述べると彼はそっと頭を下げて私の唇に口づけを一つ落とした。最初の方こそ戸惑いはしていたが流れるようなその行動に私はもう戸惑いはしない。それだけの回数この男と逢瀬を重ねているということ。男嫌いを自称しているにも関わらずこんなに通い詰めているなんて矛盾しすぎている。そんな自分を心の中で嘲笑して作り笑いを浮かべる。

 彼は女の影を隠すのに長けている。部屋には毛髪一本残っていないし私の前で他の女の話をしたりもしない。この爽やかな笑顔に一体何人の女の子が絆されて本気になって砕け散って涙を流したのだろう。やられてばかりは性に合わなくてソファに座る彼をそのままゆっくりと押し倒して唇を重ねる。少し驚いた顔をした彼はすぐに私の後頭部に手を当てて目をつむって私からのそれに身を委ねた。貴方はいつもそうだ。そうやって自分の弱いところを惜しげもなく曝け出して目の前の女の子を慈しむ。その癖に本当に見られたくない部分は巧妙に隠してすべてを暴いて自分のものにしたいと思わせる。最初は割り切った体だけの関係だったとしてもこの男に出会い、体を重ね、素性を知っていくうちに独占欲が思考を占めてしまい、彼の方から別れを切り出されてしまう。きっとみんなそうなんだろう。そしてきっとその内私も_

 そこまで考えて私は何を考えているのだろうかと気付き少し体を起こした。私は男の人が嫌いだ。それに何人もの女の子を相手にして一人だけに愛情を注げない男なんてまっぴらごめんだ。彼はそんな私の思考に気付いているのかそうでないのかは分からないがいつの間にか私の頭の上から移動して腰を支えてくれていた腕を解きそっとベッドに向かって背中を押す。促されるままベッドに横たわり、上に覆いかぶさってきた彼の眼をまっすぐ見つめた。

 「俺、有海のその目好きだよ」

 「どうだか。他の子にもそう言ってるんでしょう?」

 挑戦的な目でそう言い放つとくつくつと笑う彼の眼に劣情が宿った。この男が好きな態度、好きな表情、仕草は既に知っている。こんな無害そうな顔をしてこの人は強気な女を屈服させるのが性癖なのだ。いい趣味をしてると思う。本当に。それを理解してやってのける私自身は実は嫌いではなかったりする。手の内で転がされているように見えても実は私が場を常に動かしているのだという征服感が好きなのだ。案外私もいい性格をしているのかもしれない。割れ物を扱うような優しい手つきで私に触れる彼にふいに笑みが零れた。

 「そんな触ってるか触ってないのか分からない触り方したら寝ちゃうよ?ほらもっと楽しませてよ?」

 「言うねえ。その威勢いつまで残ってるかな?」

 ノッてきた。数か月前まで知らなかった深い口づけを交わし、下着の下に滑り込んでくる暖かくてすこし骨ばった手を感じて控えめに上ずった喘ぎ声を漏らしながら吐息を漏らし優越感に浸る。ああ、気持ちがいい。そうやってみんな私の演技に気付かないまま私を抱けばいい。どうせみんな女であれば誰でもいいんだ。父親だってたまたま自分に言い寄ってきた私の母親を手元に置いただけに過ぎない。実際母親の前ではいい顔をしているが私と二人になると私の存在は計算外だったと言って冷たい視線や言葉を投げつけてくる。私が何をしたっていうの?私はお父さんという存在と縁がなかったから少しでも好いてもらえるように、迷惑をかけないようにってたくさんたくさん頑張ってきたのに。それなのにあの男はお母さんは盲目になっていて気付いていないが女の人を家に連れ込んで情事に耽っていることを私は知っている。今まで片親で頑張ってくれていたお母さんがそんな扱いをされているのは本当につらいんだ。どうせ男の人なんて、と私がそう思うのには十分な理由だ。私はそんな自分が嫌いな男という存在を弄んで自分という存在を自分で肯定してあげているんだ。そうじゃないと私はきっと壊れてしまう。でもこの方法が最善ではないのは自分でも分かっている。結局は嫌いなはずの男の人に体を許してしまっているのだから。結局私は誰かに愛してもらいたいだけなんだ。父親から受けられなかった愛情を一瞬でも、セックスしている時だけだったとしても、私自身を見てくれる男の人を欲しがっているだけなのだろう。私を見て。どうせ私じゃなくても。私を愛して。私なんかを本当に愛してくれる人なんていない。相反する二つの気持ちを背負って私という存在は生きているのだろう。そんな中私は彼を見つけた。いや、彼が私を見つけてくれたと言っていいのかもしれない。

 私は知っている。この人が本当に喜ぶこと、本当に好きなお酒、本当に好きな煙草の銘柄。本当の彼、この人の全ては今私しか知らない。私だけの男。誰にも知られない二人だけの秘密。彼の全てを私は知っている。彼が私が求めているそれをすべて満たしてくれるはず。その愛おしく私を撫でる手のひらも、優しく見つめる表情も、つらいことがあった時に何も言わずに抱きしめてくれるその優しさも、そのすべてが私の為にあってほしい。あっという間に生まれたままの姿になってしまった私を相も変わらず愛おしそうに愛撫する彼の表情を見ながらとうとう私は自覚せざるを得なくなってしまった。本当は最初から分かっていた。私はもうとっくにこの男の虜になってしまっている。私もきっと彼がずっと相手にしてきた女の子たちと何も変わりはしないのだ。

 でもきっと私がこの想いを伝えてしまったら彼は私の前から姿を消してしまうだろう。そしてまたきっと私のことなんてすぐに面倒くさい女のレッテルを貼って新しい都合のいい女の子を見つけていつものようにその私が知らない誰かの髪を愛おしそうに乾かすのだろう。それなら、そうなってしまうのなら私はずっとこの気持ちを胸に秘めておこう。


 私は男の人が嫌いだ。私という存在を愛してくれない劣情に支配された男の人が嫌いだ。新見だってきっとそうだろう。私に愛を囁いたその口で明日は違う女の子に愛を囁く。彼はそんな男だ。彼が私だけを見てくれる、そんな来るかも分からないその日を夢見て私はそっと彼の背中に手を回した。


 直前まで彼が吸っていた煙草の煙が潤んだ私の眼に染みて私はそっと目を閉じ、好きになるべきではなかった筈の、しかし間違いなく私が愛している男が私を蹂躙するその瞬間を待った。


 私がいくら焦がれても。貴方のその目が私自身を捉えることはきっと無いのだろう。その目に私が映るまで。私は正気でいられるだろうか。


 机の上に置かれている表面に汗をかいたアイスコーヒーのグラスの中でカラン、と氷が一つ音を立てた。八月はもうすぐそこまで来ている。

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