第22話 人狼の過去は同情すべきもののようでした

 人狼は高さが半分になった時計塔の上に降り立った。

 その体毛は、依然として中庭を占拠している巨竜の炎息ブレスの余波を受けて一部が縮れている。だが、傷ひとつないようだった。


 巨竜の咆哮を聞きながら、火の粉が舞う空を睨む。

 炎に照らされた顔には、憎しみの表情が克明に刻まれていた。


 吸血鬼は彼の家族の仇であった。


 今では王立大学の教授として教鞭を振るい、魔王の友人として知られ、B国からの留学王女付き家庭教師をも任されるこの人狼は、幼少の頃は少し利発なだけが取り柄のぱっとしない少年だった。


 彼は王都から遠く離れた小さな町で育った。両親とふたりの妹がいた。父は街一番の問屋を営んでいて、生活に不自由はなかった。彼は家族を愛し、家族もまた彼を愛した。幸せだった。


 ある日、すべてがひっくり返った。


 彼がおつかいから帰ると家族が死んでいた。

 最近町外れの古城に流れてきた吸血鬼の仕業だった。


「弱い吸血鬼が強迫観念に駆られて人狼を殺すことはままあるんだ。そして、逃げられるのもよくあること。いくら弱くても吸血鬼は吸血鬼だ。血を飲まれてはどうしようもない。他の国なら軍隊が討伐に出るところだが、この国は吸血鬼の地位が高い。大昔に『最強卿』とかいう吸血鬼が何十代前の魔王様を助けたとかで……。それに、軍には吸血鬼がたくさんいるから動かねぇんだ。っと、すまん、関係なかったな」


 王都警察から派遣されてきた応援人員のひとりがそう説明した。


 災難だったな。まぁ頑張れ、坊主。


 最後にそれだけを言って、仲間とともに王都に帰っていった。

 町の警察も、王都警察もまった役に立たなかった。


 事件は未解決で終わった。

 突如として家族を失った幼い人狼だけを残して。



 一晩泣きどおした後で――



 彼は王都へ行き王立幼年学校の門を叩いた。

 王立幼年学校では、生徒は将校候補生その在籍期間中に戦闘技能と軍学を叩き込まれ、卒業後は部隊を統率する将校として魔王軍に入る。要はエリート育成機関だった。


 彼の年齢は規定に達しておらず、コネも一切なかったが、相続した遺産がなんとかしてくれた。入学初日には、莫大に思えた遺産はすべてなくなっていたが……。


 幼年学校生徒の衣食住は国が面倒を見てくれる。

 しかも、戦い方を教えてくれる。


「よろしくね。ともにこの国を守ろうじゃないか」


 彼は寄宿舎に入居したその日、同室になった少年に笑顔で語りかけた。




 最初に滅ぼした吸血鬼は同室の少年だった。

 演習中、その少年を補給長に推薦し、そして爆薬を暴発させ滅ぼした。

 爆弾の中には銀食器を砕いて混ぜ込んだのだった。


 吸血鬼は驚異的な回復力を持つから、一撃で仕留めねばならない。

 不意打ち以外ではまず逃げられるが、目も耳も良いからそれすらも困難。

 ならばどうするか。意識の外からの絶対必殺の一撃。


 すべては授業で習ったことだった。

 そう彼は、吸血鬼を殺すための力を得るために王立幼年学校に入ったのだった。

 両親が死んだ翌日の朝、泣きはらした目を拭って彼は誓っていた。

 人生を懸けて、魔界に存在するすべての吸血鬼を滅ぼすと。


 以来、彼が滅ぼした吸血鬼は国内外で100を超えていた。

 すべて謀殺だった。人狼である彼が自らの手で滅ぼしては疑いが掛かる。

 疑いが掛かっては吸血鬼を滅ぼすのに支障が出る。

 ひとりでも多くの吸血鬼を滅ぼしたかった。


 直接吸血鬼と戦うのは今日が初めてだった。


 実戦は若くして魔王軍を退役した10数年前が最後だったが……、彼の戦闘技術は『最強卿』にも通用するとわかった。致命傷こそ与えられなかったが、少なくともあの吸血鬼は防戦一方だった。巨竜の炎息をまともに食らって、助かる魔族がいるとは思えなかった。


 だが--


「滅びたかどうか分からんな、これでは」


 足元は炎のるつぼと化していて、火の粉と灰が舞っていた。

 巨竜は天に向かってその火を吐き出したが、あまりの高温に大学の可燃物がすべて燃え上がったのだった。もっとも、火の勢いは急速に弱まっていく。大学は煉瓦造りであるからして、中庭に植えられた植物が燃え尽きれば当然そうなる。


 --だが、


 あの『最強卿』がこれくらいで滅ぶとも思っていない。

 彼は有名な吸血鬼の情報をすべて抑えている。ボケてしまった疑いを拭えない長生きな吸血鬼より、『最強卿』の実績には詳しい。

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