32 アサシン

 嶋亘は平和そうな森をじっと見つめていた。

 平和そうな平原を、平和そうな山々を目にしてきた。

 彼はこの世界を気に入っていた。皆のように必死に元の世界に帰りたいとは思わなかった。

 嶋が異世界転移を喜んだのはそれ故だった。

 彼には両親はいない。いないと思っている。

 嶋の両親は彼が小学四年生の時離婚した。まあそれは不幸だがよくある話と言えた。

 だが問題はその後だ。

 父も母も嶋を引き取ることを拒んだのだ。彼の養育を拒否した。

 それは子供だった嶋の心に深い傷を作った。

 ……父さんも母さんも僕なんかいらないんだ。

 彼は祖父母に引き取られ、そこで育つこととなった。

 嶋が世界を嫌いになったのはその時からだ。この世界に自分はいらない……そう思うようになった。

 祖父母の疲れた顔を見て、進学はせず中学校を卒業してから働くことに決めた。 

 だから異世界へ飛ばされても何の痛痒もなかった。

 どうせ元の世界でも愛してくれる人などいないのだ。それどころか堀赤星や脇坂卓のような自分が特別だと信じている連中に目の敵にされいじめられる。

 ならば異世界で新しい世界で一からやり直すのもいい。

 新しい自分になるのだ。

 確かにこの世界が牙を剥き、仲間達を失ったときは落ち込んだ。だが居場所のない日本に戻るよりは、ここで最初から自分の居場所を作っていく法が楽なのだ。

 生まれ変わる。辛いだけの過去を忘れて……その誘惑は何よりも強かった。

 その時、森の異音を彼の耳は拾った。木の枝がどこかでしなったのだ。 

 嶋亘の首に矢が刺さったのは次の瞬間だった。


 本田繋は少し前から周辺に違和感を覚え始めていた。

 今までの暖かみが消え、どこか冷え冷えとしている気がする。 

 だから皆に警告をしようとした。だがその前に嶋の喉に矢が刺さった。

「きゃあああ!」

 高い悲鳴を上げた朝倉が倒れた嶋へと駆け寄った。

「あぶない! 近づくな!」

 射手の第二射を危惧した准が怒鳴るが、小早川が超反応でクロスボウを撃ち返し、木の上まで忍び寄っていたゴブリンの頭を貫いた。

「亘君、亘君……」

 朝倉が泣きながら嶋の頭を膝の上に乗せている。

 魔法を……と聖職者の彼女に誰も言わないのは、皆知っているからだ。まだ誰もの集中力が戻っていない。

 癒しの魔法も使えないのだ。

「嶋、しっかりしろ」

 本田が彼の手を握る。

 だが嶋の目には朝倉しか写っていなかった。

「ご、めんね」嶋は血泡を吐きながら謝る。

「君と、一緒に、この世界でくらし、たかった」

 朝倉菜々美は嶋亘の頭を抱く。

「僕、知ってた、君も親から……だ、からあいつらがいない、この世界で、なら、きっと幸せに……」

 うううう、と朝倉が泣き始める。

「泣かない、で」それが嶋の最後の言葉となった。

「亘君、亘君!」と朝倉はそれでも彼の体を揺すったが、もう嶋亘は動き出すことはなかった。

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