第2話 配達

 月も、空さえも見えない鉛の様な漆黒から、止めどなく白い風花が廃墟となった市役所の跡地に降り注ぐ。そこには艶消しの塗装をされた黒い装甲車と完全武装した警官達がその周りに集まっていた。

 もしも一般市民が見たら、その物々しい雰囲気にたじろぐと同時に、好奇心からあっという間にソーシャルネット上にアップロードされ、拡散されてしまうだろう。だが生憎この悪天候で出歩く人間は殆どいない。此処が廃墟ならなおさらだ。

 彼等はある【積荷】を待っていた。それは厳重な警備と綿密な情報統制を経て、此処に移送される予定であった。

 そしてその積荷を引継ぎ、ある場所へ安全に移送するのが任務である。

 彼等は警察官の身分でありながら、警察官ではない。厳しい選考を経て、選ばれた者たちは、さらに過酷な訓練と教養課程をクリアし、晴れてSWATとなる。SWATのエンブレムを胸に抱いた時、彼等は警察官であり、警察官ではなくなる。

 装甲車の脇でじっと積荷を待っているSWAT隊員のアラン・マードックは一年前、最も優秀な成績で新隊員訓練課程を修了し、チームアルファ6に配属された。

 アランの初任務は、今から二カ月前。ある男の亡命の手助けであった。彼はDEA(米麻薬取締局)に直接コンタクトを取り、メキシコからの亡命を希望していた。男はカルテルの元会計士で、現在収監されているカルテルの幹部に係る重要な情報を持っており、その情報はこれから行われる裁判の行方を左右するものだった。無論、カルテル側がみすみす指を咥えて見ているだけは有り得ない。必ず何らかの報復措置を仕掛けて来るのは明らかであった。

 会計士はアメリカとの国境の町、シウダ・フアレスで協力者に匿われていた。工作員が彼を国境を越えさせ、向こう側の街、エルパソでピックアップする予定だったが、現地の協力者がカルテルの殺し屋に殺害されたことで予定が大幅に狂ってしまった。


 派遣された隊員たちはピックアップのみの予定だったため、アラン含む四人しかいない。

 そこで、強く志願したのはアランだった。彼は隊員の中で唯一スペイン語に堪能で、緊迫した現場で素早い決断力と行動力に優れる彼には適任だと隊長は判断した。アランはたった一人国境を越え、見事に会計士を無傷で連れ出した。その鮮やかな手際に、先達たちは口々に彼を「スーパー・ルーキー」と呼び、酒の肴の昔話として、時には噂話として、隊内に伝えられることになるのは、もう少し先の話である。

 斬り付けるような吹雪がマットブラックのタクティカルアーマーを白く染め上げていた。総重量六十五キログラムの装備を身に着けたブーツの足跡が雪原にくっきりと足跡を残しているが、あっという間に吹雪にかき消される。

 痺れるような冷たさに銃を持つ掌が強張りそうになり、拳を握って開くを繰り返した。

 風が強く唸りを上げて吹き抜け、視界が一層悪くなりつつある。最悪のコンディションではあるが、一般人も外に出てこないこの大荒れの天気は絶好の隠れ蓑でもあった。

 《ブラボー・ツーからアルファ・シックス。パッケージを配達しに来た》

 ヘッドセットからざらざらとした雑音と共に無線が響く。緊張に無意識に小さく息を吐き、銃のグリップを握る手に力が入った。

「あまり緊張するな。といってもスーパールーキーには心配無用かな」

 いつの間にか隣に来た隊員に肩を叩かれてハッと顔を上げた。バラクラバから見えた鳶色の眼は鋭い光が湛えられている。上司であり、良き相談者でもあるミルズ警部。自分と一回り以上年上だが、戦術訓練で勝てたことは一度もない。

「隊長……すみません。引き締めます」

「お前の果敢さは知っている。だが、過ぎた勇気は犬死だ。力を抜け。前だけ見るな。視界を狭めれば死ぬぞ」

 養成課程では彼に鍛えられた。教官たちの中でも一際厳しいミルズの訓練は、脱落者が続出した。あまりにも苛烈な訓練に候補生は密かに彼を古のスパルタの王になぞらえて【レオ】と呼んでいた。

「はい」

「……来たか」

 声の方を見る。黄色い光を瞬かせ唸り声を上げる装甲車が吹雪の向こうから現れた。神話の怪物のように現れた装甲車は、黒い塗装を白い雪でまだらに染めながらアラン達の目の前で停まった。

「やあ、お疲れさま。積み荷を持ってきたぞ」

 運転手の隊員が陽気にそう言いながらドアから降り立つ。

 ハッチを開ける。顔色の悪い痩身の男が吹き込む冷気に顔を顰めていた。ダークブラウンの上等なコートに銀縁のメガネが神経質そうな印象に拍車をかけている。そう、この男、二ヶ月前にアランが救ったカルテルの元会計士、フレッド・リンチが【積み荷】だった。

「降りろ。乗り換えだ。ご乗車ありがとうございましたってな」

 運転手の隊員が冗談めかしながら男を降りるように促す。彼は渋々それに従って、アラン達の前に立った。

「次は君達が私の運転手というわけか?」

 その高圧的な物言いにこの男の好感度は瞬く間にゼロになったが、任務は任務である。唯の喋るカボチャだと思えばどうという事はない。心を殺す事。それはこの仕事に就いてから真っ先に叩きこまれたことであった。

 ミルズがじろりとリンチを睨みつけると、彼は俯き、口を噤んだ。

「黙って乗れ。こちらアルファ・シックス。パッケージを受け取った。配達に向かう」

 《了解。環状線が凍結で通行止めだ。別ルートを使用しろ。また、これ以降の通信は最小限とせよ》

「了解した。以上アルファ・シックス」

 リンチを先にカーゴに乗せ、アランはその前に座る。そして本部と通信を終えたミルズが乗り込み、ハッチを閉めた。

 金網を隔てた運転席には、二人の隊員が乗っており、運転席の黒人女性がこちらを確認していた。

「聞こえたな。リズ、ルート変更だ」

「了解」

 彼女は隊でも数少ない女性隊員であった。寡黙で、無駄な事は一切喋らない。マーシャルアーツとクラヴマガの達人で、アカデミーでは戦術教官を経験していた。なお、この小隊で白兵戦ではミルズを除き彼女に敵うものはいない。彼女を女と侮った浅薄な男達は例外なく数秒のうちに叩きのめされ、カエルのように仰臥するしか道は無いと噂があった。少なくとも隊員たちは一度は彼女に訓練場で手痛い目に遭っているのだが。

「緊張すんなよスーパールーキー。ああ、緊張なんてしないか。あんなすげえ大立ち回りしたんだからな」

「その辺にしておけ。ニコ」

「へいへい。キャプテン・マーベルの仰せの通りに」

「黙れ」

 助手席からからかうようにアランに声をかけた隊員は、ミルズに次いで古株のニコラスだ。彼はイタリア系アメリカ人でチームのムードメーカー的存在である。だが、その狙撃能力と電子戦の能力は抜きんでており、一度は国際スナイパー大会の代表選手に選ばれる程であったが、異性関係の問題により立ち消えとなったという逸話がある。無論、彼はそんな事ちっとも気にはしていないようであった。

「任務開始だ。全員、カウントを合わせろ――ゼロカウント」

 ミルズの命令で、全員が時計を合わせる。此処から配達先までは四時間半。現在の天候を考えれば五時間というところだろうか。

 積み荷を目的地まで運ぶ、楽な任務。この吹雪の夜が【一番ついてない夜】になろうとは夢にも思っていなかった。

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