第3話


 まだ梅雨に入る前だというのに、今日の日中は三十度を超える猛暑日だった。地球温暖化は一部の権利者の陰謀論だと主張する人も居るが、あのうだるような暑さを五月に体験すると、どうも地球温暖化という言葉に信憑性を感じる。


 けれども、日が落ちると同時に風はどこか冷たく感じられた。まだ春の延長の世界に私たちは居るのだ。


「ねえ、これからどうするの?」


「……まずは金策しないとね」


 私は財布から一枚のカードを取り出し、トウコに見せる。


「クレジットカード?」


「いや、デビットカード。高校生だとクレジットカード作れないから」


 このデビットカードは私の貯金口座から引き落としになっている。貯金口座の管理は親が行っていたが、有事の際に買い物が出来るよう、このカードは与えられていた。


 しかし本来デビットカードで現金を引き出す事はできない。その為、私は兄に教えてもらった裏技を使う事にする。


 駅前のコンビニで限度額の五万円分の金券を購入し、そのまま向かいの金券ショップへ持ち込むのだ。金額は目減りするが、まとまったお金を得るにはこれぐらいしか方法は無いだろう。


 だがここで問題が起こる。金券ショップの店員が、まとめて五万円分の買い取りを行うには個人情報を控える必要があると言い出したのだ。


「……すいません、正直言って親にバレたくないんです。何とかなりませんか?」


「うーん、困るんだよねぇ。ぶっちゃけ言って、十八才未満からの買い取りは禁止だし、一万円を超える買い取りには身分証を控えるルールになっているからねぇ」


 禿頭でいやらしい目つきの親父はニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら言う。


「……じゃあ、私は一万円だけ売ります。それと、この子の分も一万円だけ売ります」


「はいよ、


 嫌に語尾を強調しながら、私たちに八千円ずつ手渡す親父。そこでようやく私は、この悪い大人が何を企んでいるのか察した。


 私たちはお店を出て、すぐに同じ店に入りなおす。


「いらっしゃい。お嬢さんたち、この店はだね」


「……一万円分の金券を買い取って欲しいんですけど」


「はいよ」


 つまりこの親父は、私から暴利で金券を買い取る代わりに少しだけ法律を破っているのだ。建前として作ったお店のルールにわざと穴を作り、私たちのような子供を食い物にしている。


 一万円以下の買い取りに個人情報の提出義務はない、見た目が大人びていて未成年だと思わなかった、化粧を変えていたのか同一人物だと思わなかった。だからまさか、未成年から一日に五万円分の買い取りを行っていたとは気づかなかった。そう言い訳が出来れば良いと考えているのだ。


 ここまで悪い事をしている大人に初めて出会い、私は心が痛む。いや、私は助けられた身分なのだから、この大人を糾弾する資格が無い事は分かっている。けれども、どこか大人というものに一種の幻想を抱いていたのだと、まじまじと見せつけられているような気がして軽いめまいすら覚える。


 ああ、もうこの世界は終わりだよ。こんな悪い大人が居るんだから、そのうち子供も悪さをするようになる。きっと皆が自分本位にルールを解釈して、簡単に他人から物を奪ったり傷つけたりするようになるんだ。興味本位で人を殺すような阿呆も出て来るだろうね。そんな世界なら……私の罪も相対的に軽くなったりしないかな?


 そんな私をよそに、トウコは目を輝かせて大はしゃぎだった。


「すごいわ、ツムギさん! こんな大金見るの初めて!」


「……万札じゃなくて五千円札と千円札で四万円分だから、枚数多くて大金持ちになった気分だね」


 トウコは本当に何も考えていないんだから。確かに四万円という金額は私にとっても大金だ。けれでも、この法治国家の日本において、法の番犬である警察から逃げるにはあまりにも心許ない金額だ。


 きっと大人数の警察がこれから私たちを追いかけて来る。だってそれが警察のお仕事だから。あはは、よく考えてみたらおかしな話だ。だって警察はお給料を貰って、女子高生二人と鬼ごっこをしなきゃいけないんだもん。


 けれでも、私はトウコと一緒に大勢の大人から逃げなくちゃいけないんだ。こんな所で時間を潰している暇はない。


「ほら、行くよ」


「次は何処に行くの?」


「制服のままじゃ目立っちゃうでしょ。着替えを買いに行くの」


「え、着替えだったら一度家に帰れば……」


「ダメ。お金の節約になるかもしれないけど、私たちはもう家に帰らない方がいいわ」


 私には少しだけ警察を煙に巻くアイデアがあった。けれでも、そのアイデアを実行するには一度も家に帰っていない方が都合がいい。


「……もう帰れないの?」


 トウコは悲痛な面持ちで言葉を漏らす。前田さんを殺してしまった私は、もう日常に帰る事は不可能かもしれない。けれどもトウコはまだ帰る事の出来る場所に居る。


「……トウコはもう帰りなよ」


「えっ?」


「ほら、トウコは偶々あの教室に居合わせただけでさ、何も悪い事なんてしてないじゃん。もしこのまま一緒に居たら、トウコも何かの罪に問われて捕まっちゃうかもしれないし」


 駅前の雑踏の中、トウコは立ち止まって私の肩を掴む。その様子今までトウコから感じた事のない雰囲気を漂わせていた。


「……なんでそんな事を言うの?」


「いやでも、これ以上はトウコに悪いし」


「やめてよ、そういうの。私、どこまでもツムギさんに着いて行くから」


 鬼気迫るような……と言えば聞こえはいいが、まるでショッピングセンターで親に置いて行かれて泣いている子供の様だ。


 一体何がトウコをここまで駆り立てるのだろう。私が前田さんを殺してしまった理由が、自分にあると思い込んでいるのだろうか。それとも、私自身への執着?


「わかったよ。じゃあ、服を買いに行こうか」


「……うん」


 トウコが家に帰ってくれたなら、私は自首をするつもりだった。けれでも、その選択をトウコは許してくれないだろう。


 ならば彼女の気が済むまで、私は逃げなければならない。それが彼女へ罪悪感を抱かせてしまった私にできる、唯一の贖罪なのだろう。

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