(3)

 夜にそちらへ向かう。聞いた時は言葉通りに受け取って、色々な話が出来れば良いな……なんて呑気に考えていたけれど。

(婚姻の儀を挙げた夜にする事って言ったら一つしかないじゃない!)

 そう気づいて危うく絶叫しかけた。ずっと遠巻きにされていた私に近づこうとするような男神はいなかったので、当然私にはその手の経験なぞ無い。向こうはどうなのだろうかと思ったけれど、思っただけで何故か腹が立ってきたからこれ以上は考えない事にした。

「旦那さまがいらっしゃいました」

 部屋の入口に控えていた女中に声を掛けられて、文字通り飛び上がった。かろうじて返事らしきものをし、秋満さまを迎え入れる。

「心春」

「……秋満さま」

「足りないものや合わないものはなかったか?」

「大丈夫です。むしろ、こんなに準備して下さっていたなんて申し訳ないくらいです」

「無理を言って来てもらった訳だからこのくらいはするさ。ああ、そうだ……心春は嫁入り道具を沢山持ってきてくれたようだが、人間界では使えないなんて事もあるかもしれない。だから、その辺りの確認だけはしておいてくれ」

「分かりました」

 嫁入り道具として持ってきたというより、奪われたくなかったから持ってきたというのが正しいので、気遣われるとかえってばつが悪いのだけれども。そのまま仕舞い込んでいては物も可哀そうだし、確認はしておこう。

 会話を終えると、秋満さまはこちらへと近づいてきた。飛び出ていくんじゃないかと思うくらいに心臓が鳴っているが、果たして私は一晩持つのだろうか。

「隣に座っても?」

「はいっ」

 思いっきり声が上ずったが、秋満さまは突っ込まないでいて下さった。少しだけ右にずれて、彼が座れるだけの隙間を作る。二人分の体重が乗った寝台は、ぎしりと音を立てた。

「……何かつけているか?」

「どうしてです?」

「何というか、その……良い香りがするから」

 彼の顔が近づいてきて、ほんの一瞬だけ怯んでしまった。顔が怖いのにはある程度慣れてきたのだが、そもそも家族以外の男性とこんなに近い距離にいた事がないのでそちらの方に慣れないのだ。こちらの心臓の音、聞こえていないと良いけれど。

「ええと……あの、湯浴みの後に、侍女の方々が香油を塗って下さって」

「ああ、なるほど……艶々してるから、髪に塗ってあるのか?」

「髪もですけど、腕とか足にも」

「…………そうか」

 そう言った秋満さまは、呻くような声を上げながら顔を離した。ほっとしたのも束の間、髪を一房手に取られて鼻先まで持っていかれる。すんすんと匂いを嗅がれて、羞恥でどうにかなってしまいそうだった。

「ああ、梔子だな」

「そうですね。香りが良いですし果実は薬にも染料にもなりますから、庭にあると何かと重宝しますよね」

「心春の家の庭には梔子があったのか?」

「はい。梔子以外にも、甘草とか芍薬とか……薬草関係が多かったです」

 髪を持たれたままなので落ち着かないが、会話を途切れさす訳にもいかないので必死に言葉を紡いでいく。くるくると指に巻き付けられている自分の髪を眺めている時間は、無限のように感じられた。

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