Track 2-5

 結局、例の動画に天馬てんま亜央あお——中身は李智いち——が出演することはなかった。ハジンの指示通り、お蔵入りや再撮影などなく、本当に4人で撮影したのだ。


 デビューツアーの抽選に落選してしまったファンにも近影を見てもらうため、Φalファイアルのプロデューサーであるハジンは、動画のアップロードを急いでいた。彼は韓国のgloocuyグルーキーで大成功を収めた時と同じように、Φalに関してもプレデビューの段階からインターネット上で様々な仕掛けを行ってきた。

 週に1、2回の動画のアップロードと、出演や雑誌掲載情報の、本人のSNSアカウントからの情報解禁。こうした細やかな努力が身を結び、現段階でΦalは既にUr BroZersユアブラザーズを上回るセールスを記録している。


 だからこそ、今回の動画に天馬亜央がいなかったことは、ファンに大きな衝撃を与えた。

 コメント欄はいつも通りメンバーを称賛するものもあるが、9割以上が亜央の不在理由を問うものだった。


『天馬くんがいないのは悲しい』


『どうして4人だけなの? ハイグリさん、説明して下さい』


の他にも、亜央がいないままで動画をアップしたハイグリを批判する、手厳しいコメントも複数あった。


 ファンの疑念と怒りが最高潮に達した極め付けは、亜央のSNSアカウントだけ動かなかったことだ。


 以前収録したバラエティ番組の情報が解禁され、Φalのメンバーが一斉に個人アカウントで宣伝する中、亜央のSNSだけ更新されなかったのだ。

 活動休止中なので、もちろんSNSも使えない状況なのだが、ファンはそんなことを知る由もない。理玖りくの次にフォロワーが多い亜央のアカウントの最新の投稿には、『動画にもいないし、更新もしてないし、大丈夫?』『体調が悪いの?』『まさかスキャンダルじゃないことを願います』といったコメントで溢れかえってしまった。


 そんな様子を呆然として見つめていたのが、まだ亜央の体を借りたままの李智である。


(活動休止からまだ5日目だけど……こんなに怒涛のコメントが来るなんて……)


 High Gleamingのオフィスにすら、この5日間入れていない。別に出禁になったわけではないのだが、この状況がどの練習生にまで伝わっているのか分からず、怖くて足を踏み入れられなかった。

 ハジンや浅倉のいない、Φalメンバーだけのグループチャットも、活動休止以降一度も動いていない。メンバーの多忙や、声かけに迷っているためと思われた。


 早く、元に戻りたい。


 でも戻れば……自分はまた、センターとしてやっていかなければならなくなる。ハイグリの期待を背負う、Next Gleamingのセンターとして。

 センターなんて放棄したいが、やる気のなさが見えればきっと、高久社長は鬼の形相で怒るだろう。「オーディションなしで入所したことの意味を、分かっているのか」と。


 どちらにせよ、逃げたかった。


 数分おきに何十件ものコメント通知が鳴り響く天馬亜央のSNSを見つめながら、李智は大きなため息をついたのだった。




 ☆




 活動休止から7日目。

 亜央は「今週中には活動再開しそうだ」と電話で李智を励ましたが、そううまくは行かない。李智はまだ、ハジンの言葉の真意を見出せずにいた。


 もうこのまま……。


「いや、それは……」


 一瞬でも「退所」の二文字が脳を掠めたことに、李智自身が驚いていた。前日までは、せめて元の体に戻りたいとか、新ユニットのセンターから離脱したい、くらいにしか思っていなかったというのに。


 だんだんと目が慣れてきた天城あまぎ匠斗たくとのポスターに囲まれながら、ベッドの上でゴロゴロとする。自分には、こんな明確なロールモデルがない。もっと言えば……アイドルへの憧れ自体が、ない。


 神城しんじょう理玖に見惚れることこそあれ、それを見て「自分も同じようになりたい」とか、「彼を超えたい」などという感情が出てくることは一度もなかった。



 スマホを見れば、午前10時。日課にしていた筋トレすらもやめてしまえば、たちまち体内時計は少しずつ狂いを見せていく。

 通知をオフにしたものの、画面のロックを外すとおびただしい数を表示させた赤い丸が、SNSアプリの右上で存在感を増していた。その赤い光から逃れたくて、カーテンを開ける。電子機器の無機質な光とは異なる明かりが、李智の全身を照らした。


 その時、インターホンが鳴った。

 李智はベッドから飛び上がり、モニターへと駆け寄る。

 浅倉か? ハジンか?

 それとも、亜央のプライベートの友人?……もし今来られたら、ものすごく困るけど。


 モニターに映ったのは、艶のある黒髪をテクノカットにした、奥二重の瞳を持つ少年。

 李智は恐る恐る、通話ボタンを押した。


「り、りと兄…………?」


「おはよ、亜央。飯買ってきたんだけど、一緒に食べない?」


「うん、あ、あぁ……」


「あ、嫌なら全然帰るから無理しないで」


「ううん! 嫌じゃないからっ」


 解錠ボタンを押して、Φalのリーダー・相楽さがら莉都を中に通した。急に彼が来たことへの驚き、安心感、亜央らしく振る舞わなければという緊張が一気に押し寄せる。


 しばらくすると部屋のインターホンの音がして、李智は莉都を出迎えた。彼は黄色いMの字が書かれたファストフードの紙袋を持っていて、入ってきた瞬間、そのジャンキーな匂いが部屋を支配する。


「顔色悪いな。ちゃんと食べろよ……って、俺ファストフード持ってきちゃったけど」


「うん……。ありがと……な」


「亜央、ナゲット大好きだろ? バーベキューソースゲットしてきたぞ」


「り、りと兄……」


「お……おおっ?! 待て待て泣くなよ亜央、大丈夫か?!」


 李智はナゲットが大好きというわけではないが、亜央のことを考えて買ってきたというその莉都の心遣いに、李智の中の何かが開く音がした。

 

 多分、アイドルとしての人間関係は、練習生の方が複雑で難しいと思う。


 練習生は脆い存在だ。ユニットができたって、そのメンバー全員でデビューできる保証はどこにもない。

 ユニットとしてではなく、あくまで自分がデビューできることを狙い、ステージでは笑顔を見せるものの、裏では常にギスギスしている。最年少に近い李智には肩身が狭い。元通りの体に戻れば、否応なくセンター争いに巻き込まれる。


 その点デビューが済んでいるΦalには、結成1年未満ながら、確かな結束が感じられる場面が何度もあった。互いを思いやる気持ちが根付いていた。

 目の前でこちらを心配そうに覗き込む莉都が、まさにそうだ。

 李智は瞼を擦り、莉都から紙袋を受け取る。


「大丈夫……まず、食べよう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る