Track 2-1

 ☆




 Φalファイアルのデビュー記念ツアー千秋楽の日、李智いち亜央あおと体が入れ替わってしまった。


 ただでさえ練習生として緊張の日々の連続だったのに、あろうことか、心の準備など全くないままデビュー組になってしまった。

 しかも、入れ替わった相手が天馬てんま亜央あおというのもツイてない。Φalでは、絶対的エースの神城しんじょう理玖りくの次に人気があると言って良いメンバーである。そんなメンバーの代わりを務めることなど、李智にはあまりに荷が重過ぎた。


 シアタープリメールの地下通路で、周りを混乱させないための軽い打ち合わせを亜央とした後、汗だくのまま、とりあえずΦalの控え室へと向かう。ドアを恐る恐る開けると、練習生の控室とは全く違う、シャンプーの爽やかな残り香とドライヤーの音が李智を取り囲んだ。早速リーダーの莉都りとが李智を見つけ、声をかけてきた。


「亜央、まだシャワーしてないのか? 早く浴びてきなよ」


「あ、あぁ……その、練習生と話してて」


「ふーん。深青みおとか?」


「……まぁ、そんなとこかな。しゃ、シャワー行ってくる」


 練習生の深青とは全く話していないのだが、李智は適当に誤魔化した。上手いこと言おうとすればするほど、怪しまれそうな気がしたからだ。


 とにかく、亜央との約束を守り切ろうと決めていた。バレないように、メンバーやファンを混乱させないように。

 本来練習生なら使えないシャワー室に行く背徳感を覚えつつ、李智は全身の汗を洗い流した。ついでに、天馬亜央の見事な腹筋をまじまじと見つめてしまったことは内緒だ。




 ☆




 李智にとって、デビュー組のライフスタイルは全てが新鮮だった。


 ライブ後のシャワー室利用にしても、プロデューサーのハジンを交えた反省会にしても、帰宅時の車での送迎にしても、ライブ翌日の丸一日オフにしてもそうだ。本来の身分では許されないことを経験して、多少のワクワク感もあった。ただやはり……落ち着かない。


 特に反省会は困った。


 亜央と同じライブに出ていたものの、見ていた景色は全く違う。李智はあくまでバックダンサーとしての引き立て役であって、彼が見ていた多くはΦalの背中だった。途中で「いっくん」という掛け声やうちわを見つけて嬉しくなったが、ウィンクや指差しなどのファンサービスはしなかった。主役のΦalが最も輝くように、李智はただ笑顔を崩さなかっただけだ。


 でも亜央が見ていたものは、きっと違う。彼の目の前には、熱狂的なファンしかいない。常にスポットライトが当たっていて、振り付けだって李智とは全然違った。きっとアドリブのパフォーマンスも多かったことだろう。


 そんな中で、天馬亜央としての見解や反省点を聞かれた。理玖や我来がくが使っていた言葉を所々引用させてもらいながら、何とか乗り切った。千秋楽なのであまり突っ込まれずに済んだ、というのもある意味ラッキーだったかもしれない。




 ライブ翌日、李智は学校に通う時間に目覚めてしまった。いつも通りクローゼットを開けるも、キャメル色のブレザーがないことに気づいて、李智は今中学生ではなかったことを思い出した。


 正直言って、あまり良い睡眠ではなかった。

 YBFのセンター、天城あまぎ匠斗たくとのポスターに囲まれた亜央の寝室で寝るにはまだ、耐性が足りなかったようだ。


「でも何で、他の事務所のアイドルが……」


 亜央が天城のファンだというのは、聞いたことがなかった。でももしかしたら、アイドルを目指すきっかけになった人なのかもしれない、と李智は考えた。

 たしかお姉さんがいたんだっけ? お姉さんと一緒にYBFを応援してたのかな。


「僕にとっての、きっかけって……」


 李智には、自分がアイドルを目指すようになったきっかけが分からなかった。いや、正確に言えば分かるのだが、まだ腹に落ちていない。

 亜央のように確実なロールモデルがある人を、羨ましいと思った。


 亜央は、李智の代わりに中学校へ行ってくれたようだ。亜央が勉強をひどく嫌がっていたことは練習生の間で有名だったが、李智は出席点を稼いでさえくれれば良いと思っていた。芸能高校の推薦を取るために、最低限の内申点が必要になるからだ。

 李智は普通高校でも良かったが、家族や事務所が芸能高校を強く勧めてきた。反抗する理由も特に見当たらず、李智は流れに身を任せることにした。


 冷蔵庫にあったもので適当に朝食をとり、亜央の部屋を探索していると、あっという間に夜になった。本当は外出する元気もあったのだが、この体は練習生のものではない。デビューしたΦalの天馬亜央の体であるから、マスコミに追われるリスクを考え外出を控えていた。

 スマホが鳴り、見てみると李智自身のアカウントからメッセージが来ている。一瞬頭が混乱したものの、李智になった亜央からの連絡だとすぐに分かった。


『李智、レッスン終わったよ

 何かすごいことになった』


『学校もレッスンも、ありがとうございます。すごいことって?』


Ur BroZersユアブラザーズのプロデューサーだった人が、新たに練習生のユニットを作った

 そこに李智も入ってて、しかもセンター任された』



「えっ?!」


 李智はスマホを落としそうになる。ユニット? センター?

 なぜ自分の体じゃない時に限ってそんな大事なことを、と思ったが仕方がない。


「せ、センター……?」


 既読をつけたままで何も返信できずにいると、亜央から続けて連絡が来る。


『9人メンバーがいるよ。未地みち紗空さく蒼羅そら、キラがいたことは覚えてる

 とりあえず試験的にユニットを組んでみて、うまく行きそうなら、デビュー前の俺がやってたようなバーター出演とかもやってくらしい』


『色々教えて下さって、ありがとうございます』


『昨日までのΦalのライブ見て決めたんだってよ とにかく元に戻るまで、俺がセンター死守しといてやるから だから李智も頑張ってな』


『頑張ります』


 既読になったのを確認してからチャット画面を閉じ、李智は頭を抱えた。


 いきなりユニットのセンターなんて。

 李智はそんなこと、望んでいないのだ。あくまでアイドルになれれば、それで。


 Ur BroZersの元プロデューサーが結成させたユニットだというが、このことは高久社長の許可をもらってるんだろうか。もらってるか。新ユニットの結成なんて、無許可でできるわけがない。


 ただ、結成を承認しているのなら……この配置は、高久社長から僕へのメッセージ……?



 李智の体が、小刻みに震え始めていた。

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