第14話 闇のあぎと

 何かがぼくの胸を強く圧迫している。

 はっとするとぼくに何かがまたがっていた。目を開けると薄ぼんやりとした姿でよく分からない。

「秀斗」

 ほっとした声が聞こえた。

「なんだ、姉ちゃんか」

「なんだじゃないわよ。本当に。さっきまで息してなかったんだから。アタシが心肺蘇生法の教習を受けていたことに感謝なさいよね」

 意識を取り戻したと思ったらすぐに姉ちゃんの恩着せがましいせりふを聞かされる。

 だんだんと目の焦点が合ってきて、姉ちゃんの心配そうな顔が見えた。その横には同じような表情のマールズがいる。

 そうか。ぼくは溺れてしまって、それを二人が助けてくれたんだ。

 恥ずかしさに頬に血が登ってくるのを感じる。照れ隠しをするように聞いた。

「ここは?」

 姉ちゃんは肩をすくめる。そして、ぼくの体の上からどいた。

 星のような小さな点が無数に見えるようになる。

「闇のあぎとの中さ。水に浸かっていない場所があって助かったぜ」

 ああ。あれは洞窟の天井のこけが光ってるのか。

 体にまとわりついた服が冷たく感じて身震いする。

「ああ。寒いよな。悪いが火にあたりたいなら、魔法で火をつけてくれ。その方が早いからな」

 ぼくははっとして荷物を確かめた。ない!

 その様子を見ていた姉ちゃんがマールズから貰った袋を手にかかげる。奪い取るようにして中を確かめた。袋の口を縛っていたひもが固くて開けるのに手間どる。

 良かった。中のワンドと辞書は無事だ。

 ワンドを手にしてマールズに問いかける。

「火をつける木はあるの? 全部濡れちゃったんじゃない?」

 マールズが指し示す先には乾いた薪の山があった。

「どういうこと?」

「まずは火をつけないか? お前の姉も早く服を乾かしたがってるみたいだぜ」

 疑問は後回しにして役目を果たすことにする。

<ちゃっかり着火>

 すぐに大きな焚火ができた。

 衣服や毛布なんかを乾かしながら、今の状況について話をする。

 いかだはバラバラになって影も形もないらしい。残ったのはオールが一本だけ。マールズは弓を失くしてしまったそうだ。細々としたものを除けば、それが一番の被害のようだ。

「ごめん。ぼくのせいで大切な弓を……」

「まあ気にすんなって。確かに弓が無くなったのは痛いがみんな無事でなによりだ。まあ、どうしても気がとがめるっつーのなら、オレっちへの借りってことにしてくれ。赤鬼から救ってやったのとか宿代、飯代と一緒にな」

 マールズは片目をつぶる。

 本気なのか冗談なのか? ロージーがいれば何か言うのだろうけど、ここにはいない。たった一日離れただけなのに懐かしさが胸にあふれる。

「まあ、しばらくはこいつで戦うしかないだろな」

 マールズはオールを構えてみせる。それなりに重さがあり硬いので当たれば痛そうだ。

「まあ、お前の姉とあの杖があれば、俺の出番はなさそうだけど」

 今は濡れたものを干すのに使われている杖を見る。姉ちゃんに声をかけた。

「よく流されなかったね?」

 荷物からナッツバーを取り出してボリボリかじっていた姉ちゃんは、食べるのをやめて口を開け空いた手で指さした。

「くわえてたからね」

 大きな荷物を背負い、口に身長より長い杖をくわえて、意識を失った僕を抱えて泳ぐ姉を想像する。なかなかにシュールな姿だった。ぼくがそんなことを言える立場じゃ無いけど。

 よく歯が欠けなかったとも思う。そういえば、飛んできた拳銃の弾を噛んで受け止め命拾いする主人公が出てくる昔のテレビドラマを見たことがある。姉ちゃんなら同じことをやれるかもしれないな。さすがに無理か。

 それはさておき。

 ナッツバーを再びかじり始めた姉ちゃんからマールズに向き直る。

「それで、どうしてここに乾いた薪があるの?」

「それなんだけどな。実はこの地下水流は前から避けてたわけじゃないんだ。あるときから入ったものが出て来なくなるようになって、それ以来近寄らないようになったんだ。たぶん、ここを拠点にしている何者かが居たんだと思う。そいつらが残した薪なんじゃないか。推測だけどな」

「もう居ないのかな? 勝手に入ってきたのがバレたらまずいんじゃない?」

「ここしばらくは誰も通ってなさそうだぜ」

 ぼくとマールズもナッツバーをかじり始める。

 食べながら、これからのことを相談した。だいぶ水かさが減ったとはいえ、この先どうなっているか分からないし、いかだも無いので水路は進めない。耳をすませば、まだ激しい水音をさせていた。

 一方で、この洞窟には誰かが手を加えた跡があり、空気も通っている。ということはどこかに地上への出口があるんじゃないかという想像ができた。

 十分に休養を取ってから出発する。

 杖の先に即席の松明をくくりつけたものを持った姉ちゃんが先頭を進む。次がマールズで、ぼくが最後尾。

 途中狭くなっているところもあったけれど、だいたいは身を屈めないでも進める高さがあった。

 すぐに方向感覚を失ってどちらに向かって進んでいるか分からなくなる。

 ただ、なんとなくだけど、少しずつ登っていっているような気がしていた。

 先ほど後にした地下水路以外に水の流れを見ないからたぶん間違っていないんじゃないかな。まあ、地中の岩石の構成にもよるだろうからなんとも言えないけれど。

 ふいに前方に明るくなっている場所が見えた。やった出口だ。

 期待に胸を膨らませて行ってみてがっかりする。

 ぼくらが出たのは大地に深くできた切れ目の途中の棚になったような場所だった。

 ずうっとはるか上の方に明るくなっている場所がある。岩壁は上に行けばいくほどせり出していて登れそうにない。オーバーハングというやつだ。

 腹ばいになって下をのぞきこんで見ると、光が届く範囲に底は見えなかった。

 ぼくらのいるのとは反対側の岩壁には、同じような岩棚があり、似たような洞穴が口を開けている。

 岩棚と岩棚の間は三メートルほど。岩の上には焼けこげた跡がある。

 きっと前は木の橋が渡してあったんだと思う。それが何かの原因で焼け落ちたんだ。

 となるとここを越えるにはジャンプするしかない。

 ぼくのひざががくがくと震えた。

 そりゃ砂場で走り幅跳びの計測をするのだったら、これぐらいの幅は跳べると思う。でも、ここは真っ暗な奈落が口を開けているんだ。前回の体力測定で失敗した記憶がよみがえる。あのときと同じよう失敗しちゃったら確実にお陀仏だろう。

 荷物を降ろして、杖をマールズに預けた姉ちゃんが無造作に跳ぶ。

 向こうの岩棚の上で何度か垂直にジャンプしてからすぐに戻って来た。

「こっちと同じぐらいしっかりしてる。崩れることは無さそうだ」

 姉ちゃんは荷物を背負いなおし、杖を持つと三度目のジャンプする。

 その際に杖の先の松明の火がぼぼぼと揺らいだ。

 全く危なげなく着地すると姉ちゃんは振り返って、ぼくらをさし招く。

 マールズは大きなオールを持ったまま跳ぶ。やはりオールが邪魔なのか危ないところだったが、姉ちゃんが手を伸ばして捕まえた。

 ぱらぱらと小石が下に落ちる。どこにもぶつかる音がしないまま闇に消えた。

「ほら。秀斗。早くしなよ」

「ちょ、ちょっと待って」

 少し後戻りして助走をつけようとする。やっぱり無理。

「他の道を探してみるよ」

「そんなの無かったでしょ。いいから大丈夫だって。アタシが捕まえてやるから」

 あきれた声を出す姉ちゃんを見ながら、ぼくはぺたんと地面に腰をおろしてしまった。

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