第3話 魔法の小杖

 マールズはぼくが手にしている棒に目を留める。

「お、変わったものを持ってるじゃんか」

 じーっと目を凝らす。

「それ……魔法の小杖とちゃうか?」

「え?」

 びっくりするぼくにマールズは訳知り顔になった。

「ああ。分かってる。分かってる。別にそれをお礼代わりに寄越せとは言わないから。そうか。シュート。お前さん魔法使いやったんか。なるほど。霧の中でいきなり遭遇して呪文間に合わんかっただな。そうこともあるわな。じゃあ、そっちの本は呪文書っつうことか」

 ぼくは左手に持っているものを見下ろす。なんの変哲もない国語の辞書なんだけど、呪文書に見えるんだ。

 マールズは両手を広げる。

「まあ、こんなところで立ち話もなんだ。どんな礼をしてもらうかは脇に置いておいて、とりあえずオレっちの家に来いよ」

 くるりと回れ右をして歩きだすマールズに慌てて声をかける。

「ちょっと待って。ぼくの姉さん見なかった?」

「姉さん? 見てないな。ヒトを見るのも久しぶりだし。だいたいヒトはジャレーの方に住んどって、こっちの方にはあまり来んし」

「ジャレー?」

「なんだ。お前知らんのか? アーカンルムのある沼地を抜けた先で、こっからずうっと北の方にあるヒトの王様が住んでる都だ」

「アーカンルム?」

 思わず問い返すとマールズは呆れた声を出した。

「シュート。お前さんどこの田舎から来たんだ? ヒトはあまり行かんかもしらんけど、この辺のもんでアーカンルム知らんつうのはありえない。まあ、最近は途中にさっきの赤鬼どもが巣くってるけどな」

 真ん丸の目がじいっと見つめぼくは落ち着かない気分になる。

「そんなこと言ってもぼくも分からないよ。家から出て霧に迷ってたらここに居たんだもの」

 マールズは怪しむようにぼくを見ていたが、歯を見せて笑う。

「そんなことよりもシュートの姉さんの話だったな。悪いがオレっちはヒトの女は見てないぜ。あの霧だったからな。心配だろうけどもうすぐ日が暮れる。夜になるとさっきの赤鬼どもがわらわら出てくるから探すんなら明日だ。ほれ行くぞ」

 ぼくは逡巡する。よく状況がのみこめないけれど、ぼくはどうやら別世界にいるらしい。パラレルワールド? マルチバース? まあ、何と呼ぼうが変わりはない。少なくとも家の近所ではなさそうだ。

 隣駅そばの公園の中にある動物園から逃げ出したテンが急激な進化を遂げたという可能性もなくはない。

 でも、さっきぼくに襲い掛かってきた化け物の存在を合わせて考えると、別世界にやってきたという方がしっくりくる。

 そんな場所に一人で放り出されたという事実を急に感じて心細くなった。

 マールズがどんなつもりかはわからないけれど、今は彼を頼るしかない。

 姉ちゃんも気がかかりだったけど、姉ちゃんならさっきの化け物ぐらいなんとかなるはずだ。いや、間違いなくぶっ飛ばすだろう。

 ぼくは慌ててマールズの後を追いかける。

 森の中の小道をどんどん進んだ。マールズは短い足をちょこちょこ動かして意外と歩くのが早い。

 あまり周囲を観察する余裕もないけれど、森の中は変な声の鳥が鳴いてるし、ムカデに羽が生えたような虫が飛んでいた。置いていかれたら大変とぼくは一生懸命についていく。

 急に視界が開けたと思うと小川のほとりに出た。

 ほぼ正面の小高い山の頂に近いところに夕日が触れそうになっている。もうすぐ日没らしい。

 川べりに向かって進むとその上に渡してある丸木の上をマールズはたたたっと進む。

 木の上に乗ってみると幅はそこそこあるものの丸みを帯びていてつるつる滑る。おっかなびっくり渡り始めた。

 小川の流れはそれほど速くないので落ちても大丈夫だと思うけど、試してみる気にはなれない。

 丸木の表面だけを見つめてそろそろと足を進めた。平均台なんかよりずっと難しい。

 ようやく渡り終えて地面に飛び降りる。少し誇らしい気分はたちまちのうちにしぼんでしまった。マールズの姿が影も形も無い!

 ぼくの居る側の川原はすぐ勾配のきつめの土手になっている。

 柔らかな草が生えていて、段ボールを敷いて滑ったら楽しそう。おっと、それどころじゃなかったんだ。

 慌ててぼくはその土手を駆け登った。

 そこでマールズが待っていてくれるだろうという淡い期待は裏切られる。

 土手を登った場所の先は切り立った崖になっていてぼくにはとても進めそうにない。崖の左右の方向に視線を送ったが、マールズの姿はやはり見えなかった。

 そ、そんな……。

 もうこの位置からだと太陽は直接見えないけれど、どんどん周囲が暗くなっていっているのが分かる。

 気になって川の方を見ても赤い肌の化け物の姿は見えなかった。だけど、森の中からこっちを見ているような気がして身がすくむ。

 どうしたらいいんだろう? 途方に暮れていると声をかけられた。

「シュート。そんなところで何やってんだ?」

 振り返ってみると崖の一部にぽっかりと穴が開いてマールズが顔を出している。

 ほっとしながら袖で目元をこすって、マールズの方に走っていった。

 マールズは分厚い木の扉を押さえて待っている。崖の一部をくりぬいた穴はぼくが少し背を屈めれば通れそうな高さだった。

 ぼくが中に入ると脇によけて道を開けてくれていたマールズがばたんと扉を閉める。

 真っ暗になるかと思ったら壁につりさげてあるランプが光を放っていた。マールズは扉の下の方の板をずらしてしっかりと床に差し込んでいる。

「これで良しと」

 マールズはランプを手に取ると奥に進んでいく。

 ぼくはこの先に何があるのか不安だったけれど、置いていかれるわけにはいかないと、首を縮めながら追いかけた。

 くねくねとした通路をたどっていくと大きな場所に出る。

 天井から淡い光が降り注いでおり、木のテーブルと椅子、戸棚などが置いてある部屋だった。

 マールズはランプのほやを開けて火を吹き消す。ランプを戸棚に置くと手直な壁のくぼみに弓の先端を押し当て弦を外した。弓にぐるぐると弦を巻き付け棚に立てかける。帽子をとって壁から突き出た棒にぶらさげた。

 ぼくを振り返ると椅子を指さす。

「どれでも好きなのに座っていいぜ。自分んちに居るつもりで寛いでくれ」

 マールズは入ってきたのと反対側の壁に空いた通路に消えた。

 椅子に近寄ってみる。背もたれの長い椅子は座面が低くて小さく、ぼくにはうまく座れそうになかった。きっとマールズの脚の長さに合わせてあるのだろう。

「なんだよ。遠慮しなくっていいってのに」

 目をやると両手に木のコップを持ったマールズがこちらを見ている。

「せっかくだけどぼくには低すぎるみたいなんだ」

「こいつは失敬。そうか、あんたたちヒトってのは無駄に脚が長いからな。それじゃあ床に直接……というわけにもいかないか」

 床には色々なものが散らばっていた。何かの骨、汚れたままの皿、布切れ、よく分からないもの。

 テーブルにコップを置いたマールズは周囲を見回す。

「ああ、そのチェストに座ってくれ」

 ぼくの膝ぐらいの高さの木の箱を指さした。

 そこへ急に声が聞こえる。

「マールズ。居るんだろ。開けておくれよ」

 きょろきょろと見回すと壁に木の管がまとめてあるところにマールズが近寄る。

「ロージーか?」

「そうよ。分かったなら早く開けなさい。私を待たせるなんて論外よ」

「客が来てるんだ。ちょっと待ってろ」

 管に向かって言うとマールズはまた通路に消えた。

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