一章(17)

 突然、異形が叫び声を上げながら巨体を仰け反らせ攻撃を止めた。

 巨体の向こう側で砂埃がたっている。その中心に見える黒い大きな影は、形から異形の尾だとすぐに分かった。

 だがもう一つある小さな影は一体何なのだろうか。

 砂が晴れ段々と見えてきた姿に、リュトは驚いた。


 あいつはーー。

 「この尻尾、意外と簡単に切れるのね」

 途中から姿がみえないと思ってはいたが、まさかこのタイミングで姿を見せるとは思いもよらなかった。

 リュトの予想では、端の方で様子を見ているとばかり考えていたのだが、機会でも窺っていたのだろうか。

 それはそうと、先ほどと雰囲気が違うように思えた。

 ここへ来た当初は、異形の巨体に戦意を失っていたようだったのに対し、今は自身に満ち溢れた表情をしている。それと、全身にまとった白いオーラは一体なんだろうか。

 見ていると奇妙な違和感に襲われる。温かいような。それとは逆に、逃げなくてはいけないような気分にさせられた。

 エルに持たせたペンダントの、白い石に触れた時に感じたものと似ている。

 あの光は神力が具現化したものなのだろうか。だとすれば、暖かいと感じるのは、リュトの人間としての部分にさようするもので、逃げたいと感じるのは、魔力による作用なのだろう。


 異形が突如乱入してきたスファラの方へと頭を向けた。

 スファラは正面から異形を睨む。合わせるように、スファラを包むオーラが濃くなった。その様子に異形がたじろいた。

 あの力は異形に対して相性がいいようだ。

 相手もそれを感じ取ったのだろう。警戒するあまり、背後にリュトがいることも忘れ後ずさる。

 このチャンスを逃す手はない。リュトは簡単に尾を切り落とした。

 異形が怒りに吠えて、リュトに向けて鎌を振るう。リュトは後ろに飛んで、難なく鎌をかわした。

 リュトとスファラの間で、異形は残る尾をバタつかせながら両者を交互に睨んでいる。リュトが一人で相手をしていた時は押されていたが、スファラが加わり二対一になったことで一気に形勢が逆転した。


 三者で睨み合いの中、スファラが攻撃を仕掛けた。先に仲間を助けたいのか、正面ではなく尾の方を狙いにいく。

 異形がすかさず、スファラの進行を阻止しようと鎌を上げた。リュトは異形の正面に立ち、振り上げた鎌を打ち落とした。

 「ありがとう。はぁっ!」

 異形の背後に回り込んだスファラが、尾を狙って剣を振るった。

 がしかし、異形も尾を振って抵抗したため狙いが外れ、固い外皮に弾かれてしまった。

 魔力に優位性のある聖力でも切ることができないということは、固いのは魔力による強化ではなく、地での硬度なのだろう。もしかしたら聖力であれば大魔法を使わなくても異形の腹を裂き絶命させられるのではと期待したが、そうではないのだと少し落胆した。

 やることは変わらないが、スファラがいるおかげでだいぶ楽になったのだ。それだけで満足するべきだと自分を納得させて、リュトは頭を切り替え次の行動を模索する。

 尾の方はスファラに任せ、リュトは異形を牽制することに集中することにした。

 それだけであれば今ほどの身体強化は要らない。強化魔法の精度を少し下げ、大魔法の生成に魔力を回した。

 イメージは丸い巨体を貫く槍。周囲の魔力を取り込み自身の想像と織り交ぜれば、文字となって右手に溜まってゆく。

 スファラがまた一つ尾を切り落とした。暴れ出そうとする異形をリュトは力で押し切り、その場に留まらせる。

 大魔法の準備が整い、リュトの右手の甲に金色の文字が浮かび上がった。


 ーーこれを放てば異形を消せる。

 そう確信する最中に一つ問題が生じた。

 切り落とした尾は、点々と辺りに散らばっている。誰一人その中から出てくるものはいない。

 鎌の斬撃を払い後ろの下がると、丁度すぐ横に尾が見えた。人一人簡単に飲み込める大きな球体は、中が少し透けている。その中に男が眠っていた。

 魔法で生命反応を確認すれば生きていると判断できるが、目を覚ます様子は微塵もない。何度剣を当てても傷一つ付かなかった球体に、リュトはもう一度剣を叩きつけた。

 鉄の音が高く鳴り、やはりリュトの剣は弾かれてしまう。

 例え切り落とされたものであっても、その硬度は変わらないままのようだ。それならどうやって中にいる人を外へ出すのだろうか。

 魔法で視る生命反応的には、急ぎ救出する必要性は無さそうだった。中を満たす液体は獲物を保存する役割を担っているのか、生命活動を安定させている。

 それはきっと、こんな場所にわざわざ来る獲物が少ないからだ。いざ出会った大切な栄養源を、無駄なく確保しておくための進化を遂げたのだろう。

 本体から切り離したおかげで、食われることは無くなった。囚われたのも最近であり、生命維持の機能がそう直ぐに切れることはないと予想される。


 だが、今問題視していることはそれではない。巨大異形を倒す切り札の大魔法に、尾に囚われたままの奴らも巻き添えになるかもしれないのだ。

 魔法が異形に直撃したとしても、周囲に影響を与えるのは必須だ。いくら固い球体に覆われているといえど、これから放つ魔法は同じか、もしくはそれ以上の硬度の本体を砕く威力だ。

 たとえ異形からすべての尾を切り離したとしても、近くにあっては意味がない。どうにかして、尾から異形を遠ざけなければいけないのだ。

 スファラが最後の尾を切り落としリュトの横に並んだ。

 「おい。異形を斬れた尾から遠ざけろ」

 「どうしたの?」

 「尾が邪魔で魔法が使えない」

 「わかったわ」

 リュトとスファラは異形を尾から遠ざけるための攻撃を重ねたが、異形はなかなかその場から離れようとしない。

 それどころか異形は、尾を回収しようとする仕草を見せ始める。

 「まさか、切った尾を再生しようとしているの?」

 「そのようだな。持っていかれれば、中の人間が取り込まれるぞ」

 「そうはさせない!」

 スファラの今日攻撃でバランスを崩した異形が、砂の上に横倒しになる。

 「やったの?」

 「いや、倒れただけだ」

 異形はゆっくりと起き上がり、立ち上がった。目で見ただけでは瀕死の状態だが、魔法で視ると異形の生命力がいくらも減っていない。

 核を破壊しなければ、異形を倒すことは不可能だ。

 「あんなに弱ってるのにどうして……」

 確かに弱ってはいる。絶命させることはできないが、撤退させることはできるかもしれない。しかし、ここまで追い詰めたのに、そんな中途半端な結果が許せるはずがない。

 もう異形を倒す為の魔法は完成しているのだ。後は放つだけなのに、それができないのがもどかしい。


 ーー俺はいつからこんなお人よしになったんだ。

 妹を守るために故郷の人間を皆殺しにした自分が、なぜ出会って数日の人間の為に耐えているのか。

 これもエルのためか?昨夜はそう思い出てきたが、今耐えているのは誰のためなのだろうか。

 リュトは光る右の拳を見つめ自分に問いかけた。

 ーー俺はまだやり直せるのだろうか。人を信じ、助け合うことができるのか。もしできるのであれば、あの村の仲間になるのもいいかもしれない。

 リュトは視線を上げ、異形を睨む。

 その為にはまず、今回のお願いを叶えてやらなければ。


 「リュト、二人で一気に押すわよ」

 「ああ」

 二人で駆け出す。異形を正面を切って叩きにかかる。押し返す暇がないくらい二人で連続で攻撃し、異形を後退させていく。

 「これくらいでいい?」

 「まだだ。こう少し距離が欲しい」

 「了解よ」

 手を止めず攻撃をし続け、元の位置からかなり遠くへと追いやることに成功した。

 「このぐらい距離が取れれば問題ない」

 「それじゃあ、お願い!」

 リュトは右手を前に出し、異形に狙いをつける。

 「今か――」

 リュトはギリギリで魔法の発動を止めた。

 「嘘!?」

 異形が勝ち誇ったかのように尾を揺ら揺らと振っている。その中には確かに人間が入っていた。

 「まって!やめてっ!!」

 スファラの悲鳴に似た叫びは、異形には届かない。透ける球体の中が黒く濁っていく。それが何を意味するのか。考えなくてもわかった。

 「この!化け物が!!」

 「おいっ、待て!」

 リュトの制止も聞かず、異形に突っ込んでいったスファラは、異形の鎌で簡単に吹き飛ばれてた。

 「馬鹿な真似は止せ!」

 砂に転がるスファラを抱き上げ、リュトは怒鳴りつけた。

 「だって、仲間が……」

 「だからってお前が死んでどうする!」

 「ねぇ、無いの?」

 「?」

 「球体の中の人と、私を入れかいる方法……」

 「あるわけ無いだろう」

 「あったらとっくにやっている。その場合、入れ替わるのはお前じゃなくて、ここに無駄なほどある砂だがな」

 「そうよね。ないなら仕方ないわ」

 リュトの手を借り立ちあがったスファラ。リュトはスファラに大きな外傷がないことを確認し、息を吐いた。

 「お前が死んだら、俺は迷わず魔法を使う。その際、他の奴らがどうなろうと俺は一切責任を取らないぞ」

 「かわったわ。そうならないように私は責任をもって生き残らないとね」

 スファラがリュトに笑いかる。リュトは小さく笑った。


 戦場で、束の間の温かい空気を漂わせる二人の間に、突然の爆音が割って入った。

 「なに!?」

 二人の視線の先には異形がいた。仲間を喰い、小躍りまで見せた忌々しい異形。しかし今見えるのは、落ち着きなく辺りを見回す情けない姿だ。

 「あれを見て。尾の先端の大きな球体が無いわ」

 言われて異形に生えた尾を注視すれば、確かに先端にあるはずの大きな球体が無くなっていた。

 「尾が爆発したの?」

 周辺に飛び散る黒いものは、その残骸なのだろうか。

 異形の様子から推測するに、おそらく爆破は予定外だ。更にあの狼狽えようから、爆破に関わる何かが近くにいるとみて間違いない。

 問題はその何かが、敵なのか、味方なのかだが。

 大きな唸り声が聞こえた。それは異形のものではなく、リュトとスファラのものでもない、何かのものだ。リュトは獣のような声に警戒心を強めた。

 「あれって……っ!」

 スファラが異形の方へと走った。

 「ヴォルガン!」

  あの距離では姿は見えなかった筈だが、長年を共にした仲間を声だけで判断することができたのだろう。

 「ス……ファラ……?」

 「よかった……。本当によかったっ!」

 「心配かけたな」

 再開を喜ぶスファラとヴォルガンに、異形の鎌が迫る。

 「おまえら!」

 リュトは咄嗟に叫んだが、この距離では助けに入るには間に合わない。

 スファラも、腰に戻した剣を抜くのが精一杯だろう。ヴォルガンはそもそも異形の速度についいて来れない――。

 リュトの予想に反して、ヴォルガンの動きは速かった。スファラを抱きかかえ、ひょいと難なく鎌をかわしたのだ。

 「何があっても戦闘中は気を抜くな。俺が言い出したことなんだが、寝起きだからか、うっかりしてたな。このことは、女房には黙っててくれよ?」

 「他のことでいろいろ怒られると思うけど」

 「そこを何とかするのがお前の役めだろう。なんかいい言い訳ないか?」

 「今回ばかりは本当に無理よ。私だって怒ってるんだから。」

 ヴォルガンは異形の攻撃をまたしても簡単にかわした。

 どうやらまぐれではないらしいが、急に身体の能力が向上したのは何故か。

 ヴォルガンにはスファラのように聖力は感じない。どちらかと言えば、魔力を濃く感じる。

 ヴォルガンはリュトと同じように、魔力を扱えるようになったのだろうか。

 何にせよ、出会った時より身体能力がかなり上昇している。リュトが身体強化魔法を使用している時と同等のようだ。


 「どうやってあの中から出てきたの?」

 「そうだな……。目が覚めた時、よく寝たおかげか力が漲ってな。狭いところに閉じ込められてる感覚が気に入らなくて、めいっぱい体を広げたら外にいたんだ」

 「なにそれ」

 「あんたの拳でアイツの殻を砕いたってことだろう」

 「そういうことだな」

 「凄いわ!私の剣でもリュトの剣でも、傷一つ与えられなかったのに」

 「俺とこいつで異形の足止めをする。その隙にあんたは本体を攻撃してくれ」

 「まかせろ!」

 ヴォルガンの拳でも異形の腹を砕くことはできなかった。

 だが、リュトが剣で攻撃した時よりも、ダメージを受けているようだ。

 「このまま攻撃すればいけようだ」

 やる気に満ちたヴォルガンとは対照的に、リュトとスファラの体力はそろそろ限界だった。

 異形が倒れるまでにあと何回拳を当てに行けばいいのか。当たり前だが、数回では済まない。何十回も繰り返す余裕はもうないのだ。

 「いや、あんたは他の奴らの救出に向かってくれ」

 「だが、お前さんとスファラの剣では、異形にダメージを与えられないんだろ?」

 「そうか!ヴォルガン。リュトには奥の手があるのよ。でも、皆が近くにいると巻き込まれてしまうから、今まで使えなかったの」

 ヴォルガンは周りを見回し、砂地に点々と散らばる尾を見た。

 「なるほどな。わかった、救出は俺に任せろ」

 「壁の外に仲間がいるわ」

 了解、と片手を上げ、ヴォルガンは仲間の救出へと向かった。

 「私たちは、異形が尾に近づかないようにしないとね」

 「切り落とした尾をとられないように気をつけろ」

 予想通り、尾の方はヴォルガンの拳で破壊することができた。

 球体に数度打撃を与え、割れ目ができたらそこへ手を入れて引き裂いた。中から溢れ出した液とともに流されてしまわないように、囚われていた仲間を腕でしっかりと捉える。

 両腕に担ぎ一度壁の外へと置いて来ると、またそれを繰り返した。


 すべての仲間を救出したヴォルガンは、リュトたちに並んだ。

 「全員避難させたぞ」

 「お疲れ様」

 リュトは今一度手の甲の魔法陣を見る。

 発動手前で温存し続けたせいか、いつも以上に輝いているように見えた。もしかすると、威力も上がっているかもしれない。

 「できるだけ遠くに離れろ!」

 リュトの声に応え、スファラとヴォルガンはその場から走り去ってい行く。

 「お前には、今まで遊んでくれた礼をしてやらないとな」

 異形と一対一で向き合う。憔悴しきった様子の異形が、鎌を構えるでもなく、ただリュトを見下ろしている。

 「受け取れ、褒美だ」

 リュトは右手を前に出しグッと手を握る。

 それを合図に、右手の甲が金色に光輝き、異形の下に大きな魔法陣が形成された。陣の中から金の鎖が飛びだし、逃げる間もなく異形の足や鎌に絡みつき拘束する。

 これで終わりではない。魔法陣や鎖から金の光が沸き立ち、そのまま天へと昇り赤黒い雲へと吸い込まれていった。一部の雲の色が濃い黒へと変わる。

 黒い雲の中で強い光が瞬き、爆音と強烈な光が全神経を支配した。


 視力と聴力が回復するのに、少し時間がかかった。まだ少し麻痺したままの視界に、スファラやヴォルガンたちの姿が薄ら映っている。皆無事の様だ。

 雷に焼かれた異形は、核まで届く致命傷を受け、灰になっていた。

 呆然と異形を見つめるリュトの横を、唐突に風が吹き抜けていく。

 風に乗った白砂が灰を攫い、遠い空へと流れていった。

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