一章(2)帝国没後十一年

 大地に力宿し豊穣の楽園、リザ。かつてのリザ大陸は、その名に相応しく豊かな緑が広がっていた。

 生い茂る草花、人を迷わせるほどの深い森、どもまでも連なる山々。大陸に住む生き物は皆、溢れる恵みを糧に大小様々な命を脈々と繋げていった。


 初めに大陸に危機が訪れたのは、人々が集まり国を作るようになった時だ。大小様々な国がひしめき合い、戦乱を起こす日々が続いたことが原因だった。

 幾度となく繰り返される争いで、草花は踏みつけられ、森は焼け、山は崩れた。美しかったリザの大地は、瞬く間に荒地へと変わった。大陸から多くの恵みが失われてしまったことに、途中人々は気づいたものの、残った少ない恵みを奪い合うようにして、争いはさらに激化していった。

 終わらない戦乱に、いよいよ大陸の全てが焼き尽くされようという時。

 一人の男の登場が、長き戦乱の時代に幕を閉じた。


 男は鮮血の如き真紅の髪を持つ若者だった。

 魔法という不思議な力を駆使し、次々と国の支配者の首を落として回ると、わずか数年で大陸の支配者となった。

 その後、男は大陸の中心に城を建て、その城を軸として新しい国を創った。男はその国の初代皇帝となり、傷ついた大地を癒し、争いのない国を作ることを民と約束した。

 争いを鎮め、大地に緑を蘇らせ、平和な国を作った男を誰もが英雄として崇めた。

 これが後に三百年間続くリーネ帝国の始まりである。


 しかし、どのような強者であろうとも、「偽物」であれば淘汰されるのが世の中の道理だ。人々が奇跡の力だと信じていた魔法は、闇の源である魔力を糧とする邪悪な力だという信託が降ったのだ。人々は神の御使ーー【神子】と力を合わせ、邪悪な力に打ち勝つことに成功する。

 かくして偽物の英雄が作り上げた国は、皇族の処刑を持ってして幕を降ろした。

 だが、それで終わりではなかった。皇帝の亡骸から、突如として大量の魔力が溢れだし、大陸全土を覆い尽くしてしまったのだ。

 それにより、三百年かけて再生を果たした大自然は瞬きほどの間で砂と変わった。一刻ごとに色を変えていた美しい空は赤黒い雲に覆われ、地上には天の光も届かない。

 また、魔力に侵された生き物は、息絶えて砂に変わるか、黒く醜い怪物ーー異形へと姿を変かえてしまうかのどちらかだった。


 されど人々は、絶望の最中に立たされようと生き続けた。

 女神の恩寵を受けた娘ーー神子の聖なる力によって守られた、限りある世界の中で。いつかまた平和に暮らせる日々が訪れることを願いながら……。



 そして現在ーー。リザ大陸は滅びの一途を辿っている。

 あの日から十一年の時が経ったが、相変わらず世界は砂に覆い尽くされたままで、人が生きられる場所など両手で数えられる程度しかない。

 だからこそ誰もが必死に戦っている。生きるために、または誰かを守るために。限られた安息地を守ることこそが、滅びに向かう世界に対し、人間が行える最大限の足掻きなのだ。


 「何としてでもここで持ちこたえるぞ!村には死んでもいかせるな!」

 砂漠の真ん中で、大柄の男が声を大きく叫んでいる。

 「お頭、死んだら元も子もないですって」

 大柄の男の後方で、髭の生えた中年の男が飄々と応えた。大柄の男は軽く息を吐きながら小さく笑った。

 「確かにな。だが、俺達には守るべきもんがある。保身に走り大事なもんを失えば、今ここにいる意味さえも無くなっちまう」

 「お頭の言う通りですよ。覚悟を決めましょうよ」

 髭の男よりやや若そうな男が、横から髭の男の背を叩いた。

 「へいへい。分かりましたよ」

 髭の男は気だるげに返事をしながら、武器をしっかりと握り直す。

 「ここが踏ん張り所だ!気合入れて行くぞ!!」

 「「おお!!」」

 大柄の男が拳を振り上げ走った。その後ろを雄叫びを上げながら複数の男たちが続く。男たちの行く先では、大きな怪物が二つの鎌を振り上げ威嚇をしていた。


 今、男たちの対峙している怪物とは、魔力の多量接種により姿形が変わってしまった【異形】と呼ばれるもののことだ。大きさには個体差があるが、能力はどれも元の個体より数十倍は高い。

 そして一番の特徴は、その見た目だ。十一年前までは存在しえなかった、まるで空想上の怪物のような形をしている。だが、全てが目新しいのではなく、体の一部は元の姿を保ったままであった。現実と空想の混ざり合ったその姿は、まさに異形と呼ぶに相応しい形をしていた。


 そんな恐ろしい異形へと、大柄の男は迷わず突進する。

 近づいて来た男に対して異形が鎌を縦に振り下ろし攻撃してきたが、男はそれを難なくかわした。鎌を振り下ろした勢いで、お辞儀をするように異形の頭が地面に近い位置まで下がる。男はそこで狙ったように跳躍すると、振り上げた右手の拳で異形の頭部を殴った。衝撃で異形が大きく傾いた。

 「今だ!」

 大柄の男の合図で、武器を持った男たちが追撃をかけるべく異形へと飛びついた。

 「こいつの急所はどこだ?」

 「知らねーし探してる余裕もねぇから、とりあえず全力でボコれ!」

 男たちが幾度か攻撃を浴びせると、異形は叫び声を上げながらその場に倒れ込んだ。


 「まずは一体か」

 大柄の男は険しい表情で前方を睨んだ。

 倒れた異形の後ろではまだ五体の異形が、男たちを八つ裂きにしようと鎌を打ち鳴らしている。


 どうしてこうなったのか。考えるまでも無く答えは出ている。進んで選んだ道だ。後悔なんてしようがない、と言いたいところだが。もし、今が最後の時になるのならば、言わなかったことを後悔するのだろうな。なんてことを考えながら、大柄の男は誰にも気づかれないように苦笑した。


 この世界で生き残るには最低でも二つのものが必要だ。

 一つは食料。人間は食べ物が無ければ数日のうちに死んでしまう。だから人間が生きる上で食料が必要になる。これは生命の摂理であり、変えようがないことだ。

 二つ目は居場所。この世界では、自分が生きていく為の安全な場所を得る必要がある。

 過去、帝国時代では生きる為の場所を確保することは、そんなに難しいことではなかった。人々はお金さえあれば、割と簡単に住む場所を手に入れられたし、人の住む場所はいくらでも広げることが可能だった。

 だが、それはもう過去のことだ。今現在、この世界で人が住める場所は限られている。その場所は【安息地】と呼ばれ、簡単に増やすことはできない。住む場所を得られなかった人は、魔力に汚染された空気に命を削られていき、やがて息絶えて砂になるか、醜い異形になるかのどちらかの末路をたどる。


 男には食料も居場所もあった。男は小さな村で仲間たちと共に、野菜や鶏を育て暮らしている。贅沢はできないが小さくともいい村だ。

 しかし男の住む村は、他の安息地に比べ安全性が低かった。魔力汚染に関しては問題ないが、時より異形が近くを通ることがあるのだ。

 男は大切な村と仲間を守るために、戦う道を選んだのだ。

 ――この道を選んだことは後悔していない。例え今日死んだとしても、何もせず砂になるよりはいい人生だったに違いないだろうからな。

 男は、ぐっと拳を握り締めた。


 「ヴォルガンこれ以上は無理だ!全滅しちまうぞ!!」

 若い男が大柄の男――ヴォルガンの横に並び叫んだ。若い男の顔は恐怖に染まり、手足は震えている。

 ヴォルガンはそんな若い男の苦言を押しのけ、一歩前に出た。

 「帰りたければ帰れ、イバル。お前一人いなくなったって戦力にさほどの差は無い。だが命は無駄にするな。帰るなら必ず生きて村までたどり着くんだ。いいな?」

 「ヴォルガン……あんたはどうするんだよ」

 「俺も生きて村に帰る。この化け物どもを倒してな」

 ヴォルガンは自らを鼓舞するように、強く拳を握る。

 その勇ましい後ろ姿に、若い男――イバルは自分の弱さを恥じ泣いた。

 どう足掻いても勝ち目の無い戦いだと、ここにいる誰もが分かっている。逃げ出したいのは皆同じ。その中でそれを口にすることができるのは、経験の浅い若い者だけだ。

 戦場が日常となった男たちは、歯を食いしばり涙を堪えるイバルを暖かく見守る。

 誰もが死を覚悟していた。少なくない経験だが今のような窮地に陥ったのは初めてだった。せめて若いイバルだけは生き残って欲しい。

 イバルの言葉に言い返す者は一人もいなかった。どうするか決めるのは本人だが、全員が今すぐこの場からイバルが走り去るのを望んでいた。


 「さあ!行け!!」

 ヴォルガンが怒鳴る様に叫んだ。イバルは勢いよく顔を上げる。背を向けたままのヴォルガンに何か言いかけて止めた。

 イバルは唇を噛み締め、握った拳を目一杯振り走り出す。

 しかし数歩先で何かにぶつかり、気が付けば尻餅をついていた。

 顔を上げたイバルの目に最初に映ったのは、砂嵐の中でもよく映える鮮血のごとき赤色だった。

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