第4話 最初の変更点

「着いたわ」

「――ブッ!」


 ミクが言葉を言い終わるかどうかのタイミングで急に歩みを止めたため、俺は急には止まれずそのまま彼女の長い髪にダイブする。

 だが、抵抗する男の俺をここまで引っ張ることはあり、ミクは俺がぶつかってきたとしてびくともしない。


「いてて⋯⋯」


 髪の毛から抜け出し、俺は鼻を擦り、

『ガー⋯⋯ゴー⋯⋯ガー⋯⋯』

 そんな呼吸音が前の方から聞こえてきたから、ミクの横から前を覗き込む。


 前はゴミ捨て場だった。

 明日が回収日なのか袋一杯の燃えるゴミが何個も積まれていて。

 そして――知らないおっさんも一緒に積まれていた。


 寒い夜空の中、顔を真っ赤にさせ、気持ち良さそうにいびきをかくビール腹のおっさん。

 だいたい四、五十代に見えるそのおっさんの様子は明らかに酔っ払い。

 ミクがこのおっさんの前で止まったということは、俺にこのおっさんを紹介するためだろうか?


「⋯⋯誰だ? このおっさん」

「詳しくは知らないわ」

「は!? お前、このおっさんに俺を会わせるためにここに連れてきたんじゃないのか!?」

「正確には違うわ」


 じゃあこのゴミ捨て場自体に用があるのだろうか?

 もしかして積まれているゴミに?

 だが、ミクはその場でしゃがみ込むと、眠りこけているおっさんの肩を揺らす。


「おじさん、起きて」


 気持ち良さそうに寝ているおっさんを前へ後ろへ優しく揺らす。


「おじさん、風邪ひくよー」


 そう優しく声を掛ける。


「おじさーん」

「ンゴッ⋯⋯ん~?」


 三回目の声掛けで漸くおっさんは目を開けた。

 まだ意識は眠っているからか、はたまた泥酔しているからか、目の焦点が合っていない。


「おじさん、ほら、立ち上がって」


 それでもミクは懸命に優しくおっさんの目を見つめ、起こそうとする。


「ここはお家じゃないよ」

「んあ!? 家!?」


 野太く嗄れた声を上げるおっさん。

 酒で声が枯れたのか、それとも元々なのか。

 とにかくミクの声掛けに漸く反応したおっさんは辺りをキョロキョロと見回すと、


「俺んち⋯⋯じゃねぇ」


と虚ろとしながらも、ここが自分の家でないことを納得しゆっくりと立ち上がろうとした。


「おっと⋯⋯!」

「お、おっさ――ンンーッ!?」


 そして二本の足で全体重を支え背筋を伸ばした瞬間よろけるもんだから、俺は思わず声を張り上げようとしたらミクに口を抑えられた。

 それもまるで予期していたかのような迅速さだ。

 まぁだけど俺が助けなくても良かったようだ。


「――危ねぇ。危ねぇ」


 おっさんはすぐに片方の足を転びそうになる方向に出してバランスを取ったのだ。

 転ぶこともなく、そして再び眠ることもない。

 そのままおっさんはまた姿勢を正すと、寝ぼけた眼のまま

「俺の身体〜はまだメンテいらず〜」

なんて機嫌良く唄いながら帰路に就く。

 

 何の変哲のないただの酔っ払いのおっさんだ。

 ミクや俺に気付いた様子もないし、ましてや明らかに俺達に関係がなさそうな男だった。


 だが、


「行くわよ」


 おっさんと一定の距離が離れた所でミクは俺の口を解放し平然な様子でそう言ってから、おっさんの後をついていく。

 どうやらおっさんには用があるらしい。

 一体全体、ミクが何をしたいのかよくわからない。

 だがここまで来たら仕方がない。

 せめて彼女の目的がわかるまでは一緒に行動するとしよう。


「はぁ⋯⋯」


 諦めたようにため息を吐くと、ミクの隣につき、おっさんを追い掛けることにした。


★★★


「ただいま〜! 今帰ったぞ〜!」

「⋯⋯⋯⋯おい」


 電柱の影でおっさんを見届けると、俺はミクに向かって低めの声を放つ。


「何かしら?」


 淡々とそう言い放つ彼女に向かって俺はわなわなと肩を震わせて、


「『何かしら?』じゃねぇよ! あのおっさん、家に帰っちゃったぞ!?」


 俺はおっさんが入っていった家を指差し、ミクに怒鳴りつける。

 結局、あの後、特に何をするわけでもなく俺達はひたすら黙っておっさんの背中を追い掛けた。


 ふらふらと千鳥足になっているおっさんの後をつけるなんて、可愛いものを見つけて一目散に走り出すカコを追い掛けるよりも楽勝だ。

 時折覚束無い足取りで道路に飛び出し車に轢かれそうになったり、ゴミ捨て場にまたダイブしそうになったりするが、それ以外は特に問題なくおっさんは無事に自分の家に帰っていった。


 その間、俺達は話しかけもせず、おっさんが俺達に気付く様子もない。

 ただおっさんをストーキングするだけで終わってしまった。


「あのおっさんに用があるんじゃなかったのかよ!?」

「用なら今済んだわ」

「はぁ?」


 俺達は本当に何もしていない。

 強いて言うなら、おっさんを起こし、帰りを見守っただけ。

 その間ミクが何かしらの行動を起こした様子、つまり何か用事を済ませた様子もなかった。

 なのにもかかわらず、ミクは用を終えたと言う。


 ――意味がわからない。


「⋯⋯⋯⋯お前はいったい何がしたいんだよ?」

「言ったはずよ。貴方の後悔を無くしてあげるって」

「またそれか。それが何なのか、お前の今の行動がどうして俺の後悔を無くせるのか、俺にはさっぱりだ」


とミクの意味不明な行動に辟易していた俺は深くため息を吐いた。


 こんなんで俺の後悔――カコを死なせてしまったという後悔を無くせるなら苦労はしない。

 強引に連れ出され半ば強制的に行動をさせられた上に、騙された。

 いや、実際信じていなかったのだから『騙す』という言い回しはおかしい気もするが、期待がなかったというわけでもない。

 その少ない期待を――無理くりに――裏切ったのだ。

 騙されたのと同然だ。


 だけど、それを怒る気にもなれない。

 今日は色んなことが起きすぎたのだ。


「とにかく、お前の用事はもう済んだんだな? なら俺はもう帰るぞ」


 もう疲れた。家に帰って眠ることにしよう。幸いここは隣町だ。帰れない距離でもない。

 と、俺は現在位置を確かめるため、ポケットの中に入っているスマートフォンを取り出した。


「――――?」


 そして慣れた操作でロックを解除する瞬間、違和感があった。

 指紋認証で自動的にホーム画面に行ってしまったから、もう一度電源を落とし、ロック画面を見直した。


 いつも見慣れている画面。

 カコとのツーショット写真。

 カコの家族と一緒に草津温泉に旅行した時に湯畑の前でカコに勝手に撮られ設定された。


 友達に揶揄われるから、と変えようとするとすごく不機嫌になるから変えるに変えられなかった。

 だが、この背景画像には全く違いはない。


(何に引っ掛かりを感じたんだ?)


 この画面には、俺とカコの写真と時間、あと日付くらいしかない。


(ん? 日付?)


 そこで漸く気が付き、俺は目を丸くする。


「日付が⋯⋯二週間前になってる⋯⋯?」

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