失恋
「……まあなんつうか……強く言い過ぎたと思ってな」
「……気持ちは分からないでもないですけどね」
遠くに行ってしまった朝倉さんの背はもう見えない。兄さんがここに居るということはつまり、朝倉さんを追いかけて来たということだ。
「兄さん何だかんだ朝倉さんのこと気に入ってるしね」
「……そう見えたのか?」
「何となくだけど」
よくよく考えてみれば、最近は本当に兄さんは朝倉さんしか連れてなかったようにも見える。数年前だと色んな女性の影があっただけにね……そう考えると、断定は出来ないけど兄さんにとって朝倉さんは他の女性とは違うのかもしれない。
兄さんは一つ溜息を吐き、朝倉さんが消えたであろう行き先を見つめながら口を開いた。
「元々あいつを引っ掛けたのは俺みたいなところがあるからな。学生のクセに俺みたいなやつに喜んで金を使いやがる……それを指摘してもあいつは俺が好きだからとしか言わない。なんにせよ彼氏が居るあいつに俺はちょっかいを出して、彼氏が居るのにあいつは俺の誘いに乗った。ま、どっちもただ単にクズだったってだけの話だ」
……兄さんが力なく笑った顔は初めて見たかもしれない。まあただ、確かに兄さんの行動も朝倉さんのそれもクズと言われても仕方ないのかもしれない。一人を選べず、二人を選んだ俺もまた同類なのかもしれないけどね。
けれど、それでも俺は兄さんにこう伝えたかった。
「兄さんの好きにすればいいんじゃないかな。何が正しくて何が正しくないかなんて誰にも分からないんだから。だから後悔しないように動いてみる……以前に兄さんに言われたことと似てるけどそのまま言わせてもらうよ」
「……ったく、簡単に言いやがる」
「俺が悩んでいた時に兄さんは簡単そうに言ってたけど?」
「こいつめ」
ガシガシと頭を乱暴に撫でられた。隣で笑っている亜梨花と共に、いつもの調子を取り戻した兄さんを見送った。さて、あの二人がどうなるのか気になるけど……俺たちはただより良い結果になることを祈るだけだ。
「……ねえ蓮君」
「どうした?」
「涼さんが時折女性に対して厳しいのは……ううん、何でもない」
「……そっか」
「うん」
それから俺たちは改めて放課後デートを再開させた。とはいっても時間に限りがあるし、その辺りを見て回り気になった店があれば入って見学するくらいだ。洋服店から出て歩いていると、元気の良いお兄さんがたい焼きを売っていた。特に買うつもりはなかったのだが、バッチリと目が合ってしまいお兄さんが買ってくださいと言わんばかりの表情を向けてくる。
「……仕方ない」
そんなに売れてないのだろうか、二人分買ったところで大した稼ぎにはならないと思うけど。二人分のたい焼きを買い、大きな声でお礼を言われ俺は亜梨花の元に戻った。
「あはは、あのお兄さんずっと手振ってるよ。よっぽど嬉しかったんだね」
「……誰も買いに行ってないもんな。もしかして不味いとか?」
「それは……どうだろうね。そこで食べてみようよ」
亜梨花が指を向けたベンチに座り、二人でたい焼きを食べてみた……うん、普通に美味しい。
「美味しいね」
「だな。手を振り返しておこう」
お兄さんがこっちを見たタイミングで美味しいですよと伝えるように手を振ってみた。すると嬉しそうに笑顔になったお兄さんは、もっと買いませんかというふうにたい焼きを見せてくる。もちろん、俺と亜梨花は全く同じタイミングでいりませんと伝えるように首を振った。
「あ、落ち込んじゃった」
ガックリと肩を落としたお兄さんだったが、別のお客さんが来たことでそちらの対応に忙しそうだ。亜梨花はまだ途中だけど、食べ終わった俺は時間を潰すように空を見上げ……そして間の悪いことにお腹がギュルルと鳴った。
「……っ。ごめん亜梨花、ちょっと席外すわ」
「? どうしたの……ふふ、了解」
……まだたい焼きを食べてたから察せられないようにと思ったんだけどな。亜梨花の察しの良さに感謝すればいいのか悲しめばいいのか、とりあえずとっとと済ませて戻ってこないと。俺は亜梨花の視線を背中に感じながらも、足早にトイレに向かうのだった。
「……それとなく言葉を濁してトイレに行くつもりだったんだろうなぁ」
蓮限定でこの勘の鋭さも困ったものだと亜梨花は苦笑した。さてと、蓮がトイレに行ってしまったので暫くの間一人だけになってしまった。パクパクと蓮が買ってきてくれたたい焼きを食べつつ、早く戻ってこないかなと亜梨花は蓮を待つ。
「……こうやって蓮君が戻ってくるのを待つことも幸せな時間だよ本当に」
少し前まではこんな関係を夢想するだけで終わっていた。蓮との恋人生活を妄想の中で繰り広げることは出来ても、いざ現実と向き合えば寂しさしか残らない。でも今は違う……正真正銘蓮と恋人同士になったことで待てば必ず彼は戻って来てくれる。たったそれだけのことでも亜梨花は幸せだった。
「……えへへ」
突然一人で笑うと不気味がられるものではあるのだが、亜梨花のような美少女だと一気に絵になる光景に早変わりする。一人で歩く男性もそうだし、恋人と一緒に歩いている男性すらも亜梨花に視線を吸い寄せられて隣の女性に足を踏まれていた。
そんな風に周りの視線を集める亜梨花だったが、やっぱり彼女の頭の中にあるのは蓮のことだけだ。
「美味しかった。ご馳走様でした」
たい焼きを食べ終え、包まれていた紙をちょうど横に設置されていたゴミ箱に捨てた……その時だった。
「……夢野?」
「え?」
亜梨花は名前を呼ばれ驚いたように顔を上げた。そこに居たのは四人ほどの同年代くらいの男子たちだった。違う制服を着ているので別の高校の生徒だろうか、けれど名前を呼ばれたということは亜梨花のことを知っていることになる。
サラサラした髪の蓮と違い、ワックスで固めに固めてかっこつけている男子が亜梨花の名字を呼んだ男だ。どこかで見たことがある……そこまで考えて亜梨花はやっと思い出した。
「……泉君」
泉、そう呼ばれた男子は嬉しそうに頬を緩ませた。そんな泉と違い、亜梨花は小さく舌打ちをしたのだがそれが聞こえた者は居ない。
「卒業してから会ってなかったけど……その、綺麗になったな」
「学校が違うからね」
決してありがとうとは言わなかった。
そう、泉は中学の時の同級生だったのだ。卒業してからもう会うことはないと思っていたが、流石に広い街なのだから偶然会うこともあるということだろう。
「一人なのか?」
「言う必要があるかな?」
「……っ」
棘のある言い方でもない、本当に興味が無さそうな亜梨花の様子に泉は唇を噛む。亜梨花の態度の理由も分かっているのだ……何故ならかつて、亜梨花にちょっかいを出していたことがあるからだ。しかもあの時、蓮が亜梨花を助けた時に絡んでいた連中の中に泉の姿もあったのだから。
亜梨花と泉のただならぬ雰囲気に傍に居た男子たちも何かあったのかと察した。とはいえ亜梨花の見た目は超が付くほどの美少女と言っても過言ではない。だからこそ、男子の内の一人が話しかけた。
「へぇ、泉こんな可愛い子の知り合いが居たんだな。なあなあ、よかったら電話番号――」
ギロリと、鋭い視線が男子を射抜いた。亜梨花に睨みつけられた男子は正に蛇に睨まれた蛙のように言葉を飲み込み後退った。
泉は今の亜梨花の表情を見てこれが本当に亜梨花なのかと疑問を抱いた。泉の知っている亜梨花は地味な容姿をしていてオドオドとしていた印象が強い。しかし……泉は一度見てしまったのだ。中学時代、雨に濡れた亜梨花がタオルで顔を拭いている時……その隠された美貌が露わになった瞬間を。
(……そうだ。俺はあの時から)
気になっていた。亜梨花のことが。けれど何も行動に移すことが出来ず、亜梨花を揶揄うような日々がずっと続いたのだ。だがとある日を境に亜梨花は変わった。地味な雰囲気を微塵も感じさせないほどに、美少女に生まれ変わった亜梨花を見てクラスの誰もが驚いたのだ。泉だけでなく他のみんなが本当の亜梨花に気づいたことを焦り……そしてそのまま中学時代は終わった。
「そのさ……俺実は――」
気になっていたんだ、そう言葉にしようとした時に亜梨花がパッと笑顔を浮かべた。その笑顔に泉だけでなく他の男子が顔を赤くした。けれども直感で理解できた……してしまった。その笑顔は泉に向けられたものではないことに。
「遅いよ蓮君!」
「悪い悪い。思いの外手強くて……って誰?」
「中学の同級生だよ」
「へぇ」
泉にとっては蓮は突然現れた男でしかないが、亜梨花にとっては待っていた愛おしい人。だからこそこれほどまでに反応が違う。しかも幸いなことに、蓮も泉もお互いにあの時の奴だと気づいていない。
「久しぶりの再会ってわけか。しばらく話す?」
「まさか。デートだもんはやく行こ?」
「……まあ亜梨花がいいなら」
早くデートの続きをしよう、そう急かすように亜梨花に腕を引っ張られる蓮。蓮のこともそうだけどデートとはどういうことか、泉は焦る気持ちを隠せないかのように声を荒げた。
「ちょ、ちょっと夢野! デートって一体……」
その言葉に振り向いた亜梨花は先ほどよりも綺麗な笑みでこう言葉を返すのだった。
「デートはデートだよ。蓮君っていう素敵な彼氏とのね」
「な……っ」
思わず腕を伸ばす泉だったが、既に亜梨花は蓮と共に歩き出していた。仲睦まじく腕を組むその姿に、この二人が間違いなく付き合っているのだと泉に思い知らせた。
中学を卒業してから会ってはいなかったが、亜梨花のことを思い出す日はそれなりにあった。もしまた再会できたなら……そんな願いと共に、泉の恋は終わったのだった。
「中学時代の友人かぁ。俺も時々会うけどみんなあまり顔変わってないもんだよな」
「ふふ、そう簡単に変わったら怖いよ」
「さっき会ったあいつも全然変わってないのか?」
「変わってないね。うん、変わってないよ」
「ふ~ん」
「ほら蓮君。デートなんだからちゃんと楽しもうね!」
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