その後

祝福

 自分、幸せに浸りまくってよろしいか?


「蓮君」

「蓮」


 左から亜梨花、右から姉さんに抱き着かれた状態で時間が過ぎていく。あの後、抱き着いた亜梨花に対抗するように姉さんも身を寄せて来た。腕をしっかり取られる形になるので当然のことながら逃げ出すことは出来ず……まあ逃げるつもりはないのだが。

 左を見れば亜梨花と目が合い、右を見れば姉さんと目が合う。照れるように頬を赤くしながらも、嬉しそうに笑みを浮かべる二人を見ると俺も照れくさくなってしまう。


「……幸せだな」


 こうして二人が傍に居るだけで俺は幸せだと実感できる。幸せだと小さな声でそう呟いてしまうくらいに、俺は今この瞬間に幸福を感じていたのだ。


「私もだよ」

「私もよ」


 どうやら今の呟きは聞こえていたみたいで、ほぼ同時に二人からそんな言葉が放たれた。そして刺さるというか、両サイドから視線を感じるのでジッと見つめられているらしい。ここまで想われることの嬉しさに笑みを零しつつ俺は時計を見た。


「……六時半か」


 冬が近いということもあって外は暗いし冷たい風が吹き抜けている。亜梨花は帰らなくても大丈夫なんだろうか。親御さんからすれば亜梨花はまだ可愛い高校生の娘である……流石に遅くなったりすると心配させてしまうのでは。


「亜梨花、気持ちは分かるけどそろそろ帰らないとじゃない?」

「……ですよね。でも……嫌です。もっと蓮君の傍に居たいです」


 姉さんの言葉に頷きかけた亜梨花だったが、すぐに首を振って更に強く抱き着いてきた。この様子には姉さんもあらあらと困ったように笑う。俺としても離れたくないという気持ちは一緒だが、それでも親御さんに迷惑を掛けるわけにはいかない。


「亜梨花、流石に――」


 送っていくから帰ろう、そう言おうとした時だった。玄関の扉が開いた音がしたと思ったら、帰ったぞと兄さんの声がここまで響く。コツコツと足音を立ててリビングに現れた兄さんは俺たちを見て驚く……かと思ったのだが、亜梨花と姉さんを順に見て苦笑した後、俺に向かってよくやったなと言わんばかりに頷いた。


「ま、こうなるのは分かってたけどな。ほら、寿司買ってきたぞ。亜梨花、流石に泊まったりは突然だから無理だが飯くらいは食ってけ。親御さんに言えるか?」

「あ、はい! すぐにします!」


 我光明を得たり、そんな勢いで立ち上がった亜梨花はすぐにスマホを取り出した。兄さんの言葉のように連絡先は親御さんだろうけど、凄い速さだったな……。隣でクスクスと姉さんが肩を揺らして笑った。


「ふふ、少しでも一緒に居たいのね。さてと、それじゃあ用意をしましょうか」


 姉さんも俺から離れ夕飯の支度を始める。とはいっても兄さんが寿司を買ってきてくれたから用意する物はそんなにないだろうけど。


「もしもし、ごめんね連絡遅くなって。ご飯食べて帰るから……うん……うん、えへへ……分かっちゃう? 帰りは遅くなるかもしれないけどちゃんと今日中に帰るよ――」

「亜梨花、送ってってやるから帰りは大丈夫だ」

「ほんとですか? うん。彼のお兄さんが送ってくれるって。だから大丈夫」


 彼……か。本当に恋人になったんだなって実感する。まだ少し電話を続ける亜梨花から離れ、傍に来た兄さんが俺の背中を優しく叩いた。


「上手く行ったようだな。何も心配しちゃいなかったが……良かった良かった」

「ありがとう。昨日の兄さんの一押しのおかげでもあるよ」

「はは、そうか。そいつは嬉しい限りだ」


 姉さんとは違い強く頭を撫でられるけど、この時の俺はたぶん本当に嬉しそうに笑っていたんじゃないかって思う。大人しく撫でられていると電話を終えた亜梨花と目が合った。亜梨花は俺の頭を撫でる兄さんの手を見て、次いでゆっくりと顔を見てから小さく表情を険しくした。


「まさか涼さん……あなたも――」

「寒気のする想像をしてるんじゃねえぞ!?」


 まあ亜梨花の言わんとしていることは分かるけど、ごめん兄さん……俺も寒気がしたわ。それから姉さんの用意も出来たことで、全員で夕飯の時間を迎えた。


「にしてもさっきの電話のやつ、お母さんは色々と察したみたいだな?」

「はい。少し遅くなるって言った時は心配そうにしてたんですけど、私の雰囲気から分かっちゃったみたいですね」


 何となくそんな会話をしているなとは思ったけど、これはもしかしたら近い内に顔を合わせる機会もあるかもしれない。少し緊張はするけど楽しみに思っている俺が居るのも確かだ。……いずれは俺たちのことを話す必要も出てくるだろうけど、それでも逃げずに向き合わないとな。

 寿司を食べると同時に、姉さんが簡単ではあるが作ってくれた味噌汁も喉に通す。程よい熱さと味噌の美味しさを感じながら食べていると、ちょうどそのタイミングで亜梨花がこんなことを言いだした。


「麻美さん、今日はこの後帰りますけど抜け駆けはダメですからね?」

「あら、何の話かしら」

「蓮君とエッチとかまだダメですからね!?」

「ぶっ!?」


 突然の亜梨花に思わず味噌汁を吐きかけた……ゴホゴホと咳をする俺の背中を兄さんが擦ってくれて少しは楽になった。いきなり何を言いだすんだ何を……とはいえ亜梨花の表情は本気だし、姉さんに関してはふふんと挑発するように笑っている。


「あなたと違って私は蓮と同じ屋根の下だもの。蓮がムラムラして我慢できなくなったら、恋人として私はそれに応える義務があるのよ」

「……むむむっ!!」


 ……マグロが美味しいなぁ、こっちのイカとタコも最高です。

 俺と兄さんはそんな会話に加わることなく、寿司をパクパクと食べていく。ずずずっと熱いお茶を飲んで……あぁうめえ。


「私も今日からここに住みます!!」

「いや無理でしょ」


 冷静な姉さんのツッコミに亜梨花は悔しそうに割り箸を手でぐしゃっとした。


「今日はいつもより賑やかだなぁ」

「そうだな。けど騒がしいのは嫌いじゃない」

「確かにね」

「あぁ」


 少し前ならこんな光景が訪れるなんて夢にも思わなかった。いつもより騒がしく会話が多い食卓、亜梨花が加わるだけでこんなにも楽しい時間になるとは。姉さんと言い合っている亜梨花は本当に悔しそうな表情だが、それでも楽しそうな雰囲気を感じる。そしてそれは姉さんも同様で、亜梨花を揶揄う中で見せるその視線はとても優しいのだから。

 それからも騒がしい時間は過ぎていき、兄さんが買ってきてくれた寿司を綺麗に平らげて夕飯の時間は終わった。


「それじゃあ蓮君、また明日ね」

「あぁ……亜梨花」

「なに……わわっ」


 これから帰る亜梨花の体を優しく抱きしめた。亜梨花は驚いたように声を上げたものの、すぐに背中に手を回してくれた。


「寂しいのは俺もだよ。明日また会えるのにな」

「ふふ、そうだよね。でも大丈夫、明日なんてすぐに来るから」


 そうだな、ちょっと目を瞑って眠ればすぐに明日がやってくる。いつも通りの日常だが、亜梨花と恋人になって初めての学校だ。何かが劇的に変わるわけではないけど、本当に楽しみにしている自分が居た。


「亜梨花、キスしてもいいか?」

「うん。私も蓮君とキスしたい」


 前は頬にされたけど、今回はお互いに唇を合わせるキスをした。甘酸っぱく、いつまでも浸っていたい不思議な気持ちに包まれながら俺と亜梨花は唇を離した。


「お~い、お前ら俺たちの存在を忘れてないか?」

「蓮のファーストキス……それなら私は――」


 身を離した亜梨花はえへへと照れるように笑った。たぶん俺も同様に照れているだろうけど、これ以上亜梨花を抱きしめていると延々と時間が過ぎていきそうだ。好きになるのもそうだし恋人になるのもそうだが、少しの時間でも離れたくないと思うのは本当らしい。俺は今それを身を持って知った気分だ。


「じゃあね蓮君。麻美さんもおやすみなさい」

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 そうして亜梨花は兄さんと共に玄関を出てドアが閉まったその瞬間だった……強く腕を惹かれて俺は姉さんに抱きしめられ……そして。


「……っ!?」

「……ぅん……じゅる……」


 姉さんにキスをされた……突然のことだったせいで、俺は易々と姉さんの舌が口内に侵入するのを防ぐことが出来なかった。







「……今日は幸せでした」

「はは、お前の表情を見てれば分かるよ。これからも蓮をよろしくな」

「えぇ、もちろんです!」


 今日起きたことは亜梨花にとって何よりも大切な瞬間となった。大好きだった蓮と想いを交わすことが出来たのもそうだが、改めて蓮の決意を聞いてこの人を好きになって良かったと心から思えた。悩み抜き苦しそうに答えを出す様子は胸を締め付けられたが、それでも答えを出してくれたことが亜梨花にとっては本当に嬉しかったのだ。

 それから車で家に向かうまで、亜梨花は涼と会話が弾む。その中で、ふと涼がこんなことを言いだした。


「結局、あの時みたいにはならなそうか?」

「そうですね。彰人君があの時と違うので、警戒はしますけど大丈夫と思います。そこに繋がる原因も何となく分かりましたから」

「へぇ?」


 涼が口にしたあの時、それはかつての世界で蓮が事故に遭った時のことだ。世界が違うしそこに至るまでの道筋はもちろん違う。かといって万が一がないわけではないため、涼は気になり亜梨花に聞いたのだ。


「彰人君はそこまでする度胸はありません。だから誰かの入れ知恵があったのでは思いましたが、たぶん新城さんでしょう。よくよく考えれば、私は前の世界で新城さんに嫌われても仕方なかったと思いますから」

「その新城ってやつに何かしたのか?」

「……私自身はしてないんですけどね。でも、新城さんの立場なら私を恨んでも仕方ないのかもしれません」


 由香が話してくれた夢のこと、それを考えて亜梨花はある程度の答えを出していた。どうして夢の中の由香が亜梨花に対して憎しみを込めた目を向けていたのか、おそらくこれだろうということを亜梨花は話した。


「こちらの世界では新城さんと斎藤君、この二人は付き合っていて蓮君の友達です。ですが前の世界で二人は付き合ってないはずです……その、斎藤君に私は告白されましたから」

「……そうだったのか」

「はい。でもその時から私は蓮君が好きだったので断ったんです。でも次の日、斎藤君が私を呼び出して乱暴をしたっていう話が出たんです」

「なんだそれは……否定したんだろ?」


 亜梨花は頷いた。


「当り前です。私自身が何もされてないって言いましたし、何よりその時のことを私の友達も見ていました。だからすぐにそれは根も葉もない噂ということになったんです。でも、面白くおかしく脚色を加えて話す馬鹿も居て……」

「めんどくさい奴がいるもんだな」


 一度出た噂はそれがたとえ嘘だとしても、人の悪意によっていくらでも大きく鋭利なモノになってしまう。亜梨花の様子と宗吾の様子から誰もがそれはただの嘘だとクラスメイトは気にしなかったが、他のクラスの人間は別だった。そのつもりはなくてもあれが噂の……っと、そんな目を向けてしまう人間は居たのだから。


「……それから私は斎藤君と話をすることはなくなりました。たぶんそれが一番の原因じゃないかって思っているんです。まあこの世界ではその心配はないんですけど、もう少し自分なりに動ければと全てを知った今思った次第です」


 過ぎたこと、それこそ前の世界のことだから考えても仕方がない。ただ、一つだけスッキリしないことがあるのも確かだ。それはその噂を流したのは一体誰かということ。


「斎藤君が声を掛けてきたのは放課後で、傍に居たのは私の友達だけでした。ですから私が告白をされたことを知っているのは彼女たちだけ……でも彼女たちはそんなことをする子たちじゃありません」


 友達という贔屓目があるかもしれないが、彼女たちは絶対にそんな酷いことはしないという確信が亜梨花にはある。噂から宗吾を守るために亜梨花と一緒に動いたのは彼女たちも同じだったからだ。


「……結局そこは分からないままか」

「はい。だからこそ気を抜くつもりはありませんが……あはは、何が起きても大丈夫な気がします。何というか、今の私は凄く強いですから」

「はは、そうか」


 蓮と恋人になりいつも以上にパワフルな様子、確かにこれなら大丈夫そうだなと涼は笑った。大丈夫どころか蓮の為なら行き過ぎたこともやりそうで少し不安にも思うが、涼自身もそれは一緒かと苦笑する。


「それにしてもお前、行動力ありすぎだろ。本当に週末泊まりに来るのか?」

「もちろんですよ。少しでも長く蓮君と一緒に居たいんですから!!」

「あまり暴走しすぎないようにな?」

「私はいつだって冷静ですよ?」

「……さよか」


 これは何を言ってもダメだなと、涼は亜梨花に対して首を振るのだった。




【あとがき】


既に完結してるので番外編みたいなものです。

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