今も前世も変わらない過去
学校で蓮と亜梨花が波紋を起こした同時刻、神里家には二人の姿があった。今日は平日だが珍しく二人とも仕事は休みということで家に居るわけだが……鼻歌を歌いながら食器を洗っている麻美を涼は神妙そうな顔つきで見つめていた。
「どうしたの?」
「いや……」
誰もが羨む美男美女とはいえこの二人は顔を合わせれば喧嘩ばかりの仲……しかし今に限ってはそうはならなかった。涼の視線を受けて麻美は小さく溜息を吐き、確信を持って口を開いた。
「涼も思い出したのね? 前の世界のことを」
麻美の問いに涼は一瞬驚いたがすぐに頷いた。
「亜梨花の顔を見て何かが引っ掛かってな……その流れで思い出した」
「そう」
涼の言葉に麻美はやっぱりかと呟いた。亜梨花の顔を見た涼の様子がおかしい事には気づいていたが、まさか本当には思い出したとは思っていなかった。もちろんこんなことは麻美を含め亜梨花が異常なだけなのだが。
ソファに座り込んだ涼は亜梨花のこと考えて言葉を続けた。
「あいつ変わってないんだな。生まれ変わってもずっと蓮のことが好きなんてさ」
「ふふ、素敵なことじゃない。前世と言っていいのか分からないけど、こうして生まれ変わっても同じ人を好きで居るなんて」
洗い物を終えた麻美は手を拭いて涼の隣に腰を下ろした。この双子がこうして仲良く同じソファに座ることは天変地異の前触れのような光景だと蓮は言いそうだが、今二人を包む空気はそんな仲の悪さは到底感じさせない。
一旦会話が途切れ、暫くして麻美が話し始めた。
「この世界、ほぼ前と同じだけど変わっていることもあるわね」
「あぁ。特に蓮だな?」
「えぇ……何というか、前のあの子に比べて凄く明るいような気がするわ」
かつての世界、麻美と涼にとって残された家族でもある蓮は何よりも大切な存在だった。亜梨花が感じたように陰のある表情をすることはあっても、同じ家族だからと懐いてくれていた蓮を本当に二人は可愛がっていたのだ。
その時の蓮に比べても今の蓮は表情豊かで明るい性格をしている。それは麻美と涼を笑顔にさせてくれるには十分で、家族の団欒が何よりも楽しみだと思えるほどである。前の世界の蓮と違うからお前は蓮じゃない、そんなことは断じて言葉にするつもりもなければ思うこともない。二人にとって、今の蓮は間違いなく家族だと実感できるからだ。
「ご飯が美味しいって言ってくれる蓮が好きなのよ。少し揶揄うと顔を赤くして照れる蓮が可愛いのよ。遠くに行かないからと抱きしめてくれた蓮が愛おしいのよ……ふふ、本当に惚れてるのね私は」
「……………」
頬を赤く染めて蓮への想いを吐露する麻美に涼は何とも言えない視線を向ける。それは呆れているようなものではなく、麻美の本心を理解してしまっているからこその表情だった。
「亜梨花にはあんなこと言ってたが、お前……蓮と結ばれようとは思ってねえだろ?」
「当然じゃない。そんなの今更だし当たり前のことよ」
あんなにも蓮のことを好きだと言っていたのにこの言葉はどういうことか……実は麻美は蓮のことをどうでもよく思っていた、それは間違いである。麻美は心の底から蓮を愛しているし、叶うならば蓮と結ばれたいと思ったこともある。むしろこの世界の蓮と過ごすことでその想いは強くなったが、今の麻美の気持ちは涼が言葉にした通りだ。
「どこの世界に実の父親に犯された女を受け入れられる男が居るっていうのよ」
「それは……」
上手く言葉を返すことが出来ない涼に怒るわけでもなく、麻美は力なく笑って天井を見上げた。思い出すのはまだ実の父が存命だった頃、まだ麻美が中学生の頃だった。何度思い出しても悲しみと、そして嫌悪感が溢れ出してくる記憶だ。しかもあの父親を蓮は“本当の父親”だと思って懐いていた。だからこそ、蓮を盾にされてはまだ幼い麻美は言うことに従うしかなかった。
「けどもうあいつは居ない。警察に捕まって……そのまま病気で死んじまったが、もう居ないことに変わりはないだろうが。ならもう気にせずに自分の気持ちに素直になっても――」
「あいつだけじゃないでしょう。私は色んな男と体を重ねてきたわ。たとえ何も感じなくても、性行為に意味を見出せなかったとしてもその事実が変わることはない……汚いのよ私の体は」
出来るならもっと早く思い出したかったと麻美は締め括った。素直じゃねえなと苛立ちそうになった涼だが、そう思う麻美の気持ちも理解が出来てしまうからこそ言葉にすることが出来ないでいた。手を強く握り締める涼に苦笑し、麻美は空気を変えるように亜梨花のことを口にした。
「生まれ変わっても亜梨花は蓮を好きで居てくれた。あの様子だとたぶん前の蓮との違いにも気づいているはず。でもあの子の目を見れば分かるわ――あの子は確かに前世のことを思い出してるけど、今好きなのは間違いなくこの世界の蓮なんだって」
麻美に取られまいと蓮の腕を取った亜梨花の様子に、麻美はどこか安心感を覚えていた。この世界に生まれ変わってもずっと、蓮のことを好きで居てくれたのだと嬉しかったからだ。蓮を失い自暴自棄になった亜梨花、自分の体すらも不要だと言った彼女に親近感を抱いたのも確かなのだ。
「汚れた私とは違う、あの子は綺麗なまま。それを考えると、私なんかよりも亜梨花の方が全然お似合いじゃない」
「……蓮が亜梨花を好きになるとも限らねえだろ」
「そうねぇ……でも、亜梨花は諦めないわよきっと。前の世界で幾人もの女を堕としたアンタを前にしてあの子は最後まで己を貫き通した。そんな意思の強い子が諦めると思う?」
「……………」
「絶対に諦めない。同じ女だからこそ分かるのよ私には」
血の繋がった双子であっても見惚れてしまいそうになる笑顔、その笑顔は確かに美しいモノだがそれはつまり麻美の心が変わらないことを意味していた。涼にとって亜梨花は同じ目的を持った同士であり身近な存在だったわけだが、それ以上にこのどうしようもなくムカついていつまでも本心を隠そうとする馬鹿の幸せを願っているのだから。
「……はっ、まあいいさ俺には関係ないしな」
「ええそう思っていてちょうだい。その方がいいでしょうから」
立ち上がった涼は最後に麻美に視線を向ける。何食わぬ顔で再び家事に戻ったが、雰囲気で察せないほど双子やってねえよと内心で呟く。おそらく涼が何を言っても麻美の心は変わらないだろう……けれど、その麻美の決意を粉々にしてくれるであろう存在が傍に居るのも確かだ。未来がどうなるかは分からないが、そのもしかしたらを涼は期待してしまう。ただ、麻美が言ったように亜梨花も幸せになってほしいという気持ちもあるジレンマだ。
「あ、そうそう。この間アンタんとこの店長にあったわよ? この世界でもアンタがあの店に入る時に言った言葉変わってないのねぇ」
「やめろおおおおおおお!!」
聞きたくないと涼は麻美の言葉を遮るように大声を出した。詳しいことは蓮に伝えていないが、涼はかなり有名なホストである。売り上げも店一位とまでは行かないが、今までの積み重ねた売り上げは相当なモノで、涼を慕う後輩も多いし一夜であっても彼に抱かれたいと願う女も数多いのだ。
「蓮に言っちゃおうかなぁ」
「やめろ、言ったらマジで殺すからな」
何度思い出しても恥ずかしくなってしまう。前の世界でもこの世界でも、涼はほぼ同じことを店長に言った。元々涼の容姿を気に入り声を掛けてきたのは店長側だが、その時の問答もあって今も涼のことをかなり気に入っている。
これ以上その話題については話したくないと涼は部屋を出るが、最後に本当に言うなよと口にして姿を消した。いつもは見られない涼の様子に麻美は心底面白かったのか肩を揺らして笑う。果たして涼が何を言ったのか、それを蓮が知る未来は来るかもしれないし来ないかもしれない。
『女の扱いには自信がある。売り上げには貢献できると思うぜ』
『言うねぇ。それくらい言ってもらわないと声を掛けた意味がないってもんだ。んで?』
『あ?』
『本心はなんだ?』
『……………』
『それも本当に思ってることだろうが、一番じゃねえだろ? 言ってみな』
『……大事な弟が居る。学費とかで弟が困らないように稼ぎたい』
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