夢の在り処

「蓮? どうしたの?」

「……え? ううん、何でもない」


 夕飯の途中、どうやらボーっとしていたらしく姉さんにどうしたのかと聞かれた。兄さんも不思議そうに俺を見ているし、そこまで俺は二人が気になってしまうくらいにボーっとしていたのだろうか。

 ついさっきのこと、俺は亜梨花に告白された。何の冗談だと口にしようとしたが、亜梨花の必死な表情を見て俺はその言葉を呑み込んだ。決して冗談などとは思えないくらいに、彼女の瞳に宿っていた想いが伝わってきたからだ。


「……………」


 姉さんの作ってくれた料理を口に運びながら俺は考える。

 俺はずっと亜梨花は有坂のことが好きなんだとばかり思っていた。でもそれは俺の間違いで、亜梨花は有坂のことをただの幼馴染としか見ていなかったのだ。もちろん拓篤の話を聞いただけでは信じられないことではあったが、こうして実際に亜梨花に告白されるという経験をしたことでそれは確信へと変わった。


「……蓮?」


 ……告白自体はとても嬉しかった。亜梨花という女性は……まあ簡単な言葉になってしまうけど、魅力の塊と言っても過言ではない。俺も一人の男ではあるし、あの告白に速攻で頷きたかった気持ちがなかったわけではなかった。結局あの場で亜梨花に返事を返すことはなかったが、それは嬉しさよりも困惑の方が強かったと言わざるを得ない。


「……これは何かあったな?」

「何かって何よ?」

「そりゃあお前……女に告白されたとか?」

「はあっ!? ちょ、ちょっと蓮!」


 いきなりのことでどんな言葉を返せばいいのか、悩んでいた俺に亜梨花は返事は俺の気持ちに整理が付いた時にしてほしいと言ってきた。ただ、その後で優しい表情から一転しこんな言葉を残していったが……。


『私ね、本当に蓮君が大好きなの。だから明日から攻めるからね。攻めて攻めて攻めまくって、そうして蓮君を私に夢中にさせてみせるから』


 男前だな、そんなことを言ってしまいそうになるくらい力強い言葉と雰囲気だった。それから亜梨花とは別れたけど、俺はずっとその時のことを思い返してはこうして悩んでいるというわけだ。


「……むぅ!」

「むぐ!?」


 いきなりだった。いきなり何かに引っ張られるように俺は大きくて柔らかい弾力を顔面に受けた。この温もりと柔らかさ、そして匂いと鼓動……何というか、これが何なのかをここまで来るとすぐに理解できる。顔ももごもごと動かして何とか脱出、だが抱きしめられている腕の力が強くて引き離すことは出来なかった。


「……えっと、姉さん?」


 姉さんの胸の弾力を頬に感じたまま視線を向けた先には、頬を膨らませて俺を見つめる姉さんの姿があった。


「ねえ蓮、本当に告白されたの?」

「っ!?」


 姉さんの的を射た問いかけに思わず心臓がドキッとした。たぶん表情にも少しは出てしまったらしく姉さんの表情が一気に険しくなった。反対に兄さんからは楽しそうな雰囲気を感じるけど……楽しむ前に弟を助けておくれよ。


「それは男なの? 女なの?」


 ……なんで男が出てくるのさ、ただこうなってしまったら誤魔化すのは難しいかもしれない。だから俺は素直に女の子からと口にした。すると姉さんは俺から離れ、ふらふらしながらソファに力なく座り込んだ。


「蓮が……蓮が居なくなっちゃう」


 これが漫画なら魂が口から抜けているような光景だろう。心なしか姉さんの目が点になり、口からユラユラした物が見えるような気がしないでもない。

 兄さんと顔を見合わせてお互いに溜息を吐く。家族としてここまで想ってくれるのは嬉しいことだけど、度が行き過ぎるとちょっと鬱陶しいなと思うわけで……まあまだ付き合うと決まったわけではないんだけど。


「どんな子なんだ?」

「いい子だよ。ただ……俺はその子はずっと別の人を好きと思ってたからさ」

「恋愛だとよくあるパターンじゃないか。いい子だというなら試しに付き合ってみれば――」


 その瞬間何かが空を切った。ブオンと音を立てて俺の目の前を通り抜けたソレは兄さんの顔面に直撃し、兄さんは情けない声を漏らして地面に倒れた。兄さんの顔面に直撃したのは小さな人形、どうやらかなりの力が込められていたらしく兄さんの顔に張り付いて離れない。


「……………」


 無言で姉さんの方を見ると、現役野球選手も見習えばと言わんばかりのフォームで腕を振りかぶった姉さんが居た。鼻息荒く目も充血していて、できればあまり関わりたくないと思ってしまう形相に思わず一歩退いてしまう。


「夢野って子?」

「え?」

「前に聞いた夢野亜梨花って子なの?」

「……………」

「そう……」


 あれ? 姉さんの雰囲気が少し変わった?

 大きく深呼吸をするように息をすって吐き出す姉さん、そして――俺は何故か抱きしめられた。こうして姉さんが俺を抱きしめてくることはいつも通りだけど、変わってしまった雰囲気のせいでどうしてか離してくれと言えなかった。


「まさか思い出す切っ掛けがあの子なんて……ふふ、今回ばかりは感謝しないとかしら」

「……姉さん?」

「麻美……?」


 困惑する俺、そして起き上がった兄さんも同じように姉さんの変化に戸惑っていた。


「姉さん、どうして泣いてるの?」


 そしてもう一つ、姉さんが涙を流していた。悲しそうというよりは嬉しそうな様子……まるでさっきの亜梨花と同じような感じだ。……一体どうなってるんだ。


「ねえ蓮、少しお話がしたいの。部屋に来てくれる?」

「うん、それはいいけど」


 まだ夕飯の途中なんだけどな。俺の言わんとしたことが分かったのか姉さんはあっと気づいたように少し顔を赤くし、先に食べてしまいましょうと言って席に戻った。何事もなかったかのように座った姉さんから視線を外して兄さんと見つめ合う。


「……どうしたのかな」

「分からん……ただ、何か変わったように見えるが」


 つまりお互いによく分かっていないってことだ。こうして姉さんが食事を再開した以上俺たちも食べてしまおう、そう考えてとりあえず聞きたいことは頭の隅に置き食事を再開させた……のだが。


「……?」


 食べてる最中、穴が開くのではと言わんばかりに姉さんが見つめてくる。ニコニコと笑みを浮かべ、俺が料理を口に運ぶたびに嬉しそうにうんうんと頷いている。何というか非常に食べづらい。どうしたのかと姉さんを見つめ返すと、少し頬を染めるような反応をされて逆にこちらが困ってしまう。

 結局食べ終えるまで俺と姉さんの間に不思議な空間は構築されたままだった。そして、夕飯を食べ終えて姉さんの部屋に向かった。姉さんのあの様子だ……たぶん大切な話があるんだろうとそう思っていた。


「えっと……姉さん? これは一体……」

「ふふ……蓮、好きよ。本当に好き」


 俺はベッドに押し倒されていた……なんでさ。








「ふぅ……やっと、やっとだ。私はようやく思い出した」


 神里家で色々と起きていた同時刻、彼女――亜梨花もまた蓮のことを考えていた。ずっと引っ掛かっていた。どうしてこんなに蓮のことが気になるのか……目で追ってしまうのか、おかしいと分かっていてもそうする自分を止められないことに。

 だが、それも蓮にあの時の再現をされたことで完全に閉じられた記憶の蓋が開かれたのだ。一気に記憶が掘り起こされたことで軽い眩暈に襲われはしたものの、蓮に言ったように本当に大したことはない……こんな混乱はあの時の悲しみに比べればどうってことはない。


「……蓮君、好き」


 傍に彼が居なくとも、何度だってそう言葉に出来る。前の世界で“幼馴染”の手によって蓮の墓前でその命を散らしても尚、亜梨花のその想いが色褪せることはなかった。元々蓮を追って死ぬつもりだったからこそ、幼馴染が自棄になって突き出した刃をその胸に受け入れた。


「……ふふ、本当に空しかった。そうだね、因果応報――私は正しくそれだった」


 蓮が死ぬ原因の最たるものは幼馴染の最悪な行動、だからこそ亜梨花は己の全てを利用して彼に復讐を考えた。蓮が死んでしまい、自分が自分でなくなった感覚に陥った亜梨花は己自身に価値を見出せなかった。


『体とは所詮意識を入れるための容器に過ぎない。もう自分の意思を持たない私は人形、つまり体も人形なんです。好きなように扱ってください、私を利用してください。その代わり私もアナタたちを利用させてもらいます』


 憤怒の表情を浮かべる蓮の兄と姉にそう宣言し、幼馴染がもっとも苦しむであろう筋書が完成したのだった。ただ、こうして前の世界と今を生きる世界は限りなく似ている。しかし僅かな変化があるのも確かである。


「前の蓮君は何かを嫌悪するような顔をしていたけど、今の蓮君はそんな顔を見せない……それどころか今を楽しそうに生きている」


 詳しく聞いたわけではないが、前の世界の蓮はどこかやつれていたというか、何かを心底憎んでいるような表情を時々見たことがあった。元々気になっていたからこそ、そんな表情にも気づけたが恋愛フィルターが掛かっていた亜梨花はそんな表情も素敵と少しおバカ思考になっていた。


「拓篤とも知り合いになっていて……まあこの出会いがあったから私は思い出せたんだけど」


 弟と知り合う予定はなく、それは蓮が亡くなるまでずっとだった。つまり、小さな部分でこの世界では変化が起きているのだ。問題は山積みと言えど、マイナスばかりを考えても仕方ない。この変化は何かしらプラスに動くのではないか、亜梨花はそう考えることにした。


「……………」


 ただ、こうして復讐を成し遂げ世界を渡った亜梨花でさえ残る謎がある。

 まず一つ目、蓮の鞄に“財布を入れた犯人は幼馴染”なのだが……果たしていくら嫉妬に狂ったとはいえそんな愚行を犯せるほどの度胸があったのかどうかだ。


「……入れ知恵をした奴がいる? それとも」


 ……やっぱり分からない。

 そして二つ目、これが最も亜梨花にとっての謎になる。もしかしたら見間違いかもしれない、そんな漠然としたモノだ。

 あの時、姉のプレゼント選びとケーキを買いに行くから手伝ってほしいという蓮の頼みに亜梨花は快く頷いた。向かった駅のホームで野次馬が集まる喧騒の中、亜梨花は同級生の手によって突き飛ばされた蓮を見た。


『れ、蓮君!?』


 息が止まるような錯覚、嘘であってくれと願ったけれど蓮はそのまま電車に轢かれてしまった。しかし、その直前……亜梨花には蓮が嗤ったように見えたのだ。

 まるでそれは何かを楽しむような、或いは成し遂げたようなそんな満足感も感じさせる歪な笑みだった。


「……ダメだ、全然分かんない!」


 うん、あれは見間違いだと亜梨花は思うことにした。蓮があんな顔をするわけがない、絶対に見間違いだと亜梨花は結論を出す。そして切り替えるように亜梨花は明日からのことに考えを移す。


「もし同じことが起こっても蓮君を守る手立ては既にあるし、協力もしてくれるはず……うん、大丈夫。前の世界のようにはならない。あんなこと、絶対にさせたりしない」


 小さく握り拳を作って決意を新たにする亜梨花、そして――。


「……ふふ、蓮君には前に伝えたっけ。私の夢、お嫁さんっていう小学生が言いそうなこと。でもね、ずっと信じてるんだ。私のその夢は蓮君の隣でしか実現できない……私の夢の在り処は蓮君の隣なの」


 明日から忙しくなりそう、けれど亜梨花は突き進むだけだ。前の世界で手に入れられなかった幸せをその手に掴むために。


「……でも何だろう、この胸騒ぎ」


 胸騒ぎとはいっても不幸の前兆のような感じではない。何というか……試合をする前からお前は負けだと言われているような良く分からない感覚である。


「あ、そうだ。蓮君におやすみなさいのメッセージを送ろっと」


 その日、蓮から返事は帰ってこなかった。

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