第13話 嵐の夜


 翌日の昼頃から雨が降りだした。

 雨脚は次第に強くなり、夜には風雨が窓を打つほどの嵐になった。


 テオが自力で起き上がれるようになり、トイレの介助もお役御免となったその夜。キアはようやく自分の部屋でゆっくり眠れるはずだった。

 ゆったりしたふかふかのベッドに入り、絶対にで眠れると思ったのに、嵐の音が気になってなかなか眠れないのだ。


(窓は大丈夫かしら。雨漏りするようなボロイお屋敷じゃないからいいけど、なにか飛んで来て窓ガラスが割れたら大変よね)


 結局、眠るのを諦めてベッドから滑り降り、キアは窓のカーテンを開けた。

 カッと稲光が差し、窓ガラスの表面を流れる雨水ごとキアの視界が青白くなる。


「……えっ?」


 刹那の光の中に見えたものに、キアは目を疑った。

 テオの部屋は中庭に面しているが、廊下を挟んですぐ反対側にあるキアの部屋は、辺境伯家の前庭に面している。窓からは、正面に高くそびえる鋼の門と、その両脇を固める要塞のような堅牢な石壁がよく見えるのだ。

 その石壁から、黒い何かが落下したように見えた。


 訝しむキアの視界に、再び稲光が差した。

 青い閃光の下、さっきと同じ石壁の上から黒い物体が次々と落下している。その物体は着地するなり滑るように横へ移動し、キアの視界から消えた。


(今のは、まさか……人? この建物に、向かってる?)


 稲光はもう消え、辺りは漆黒の闇に包まれている。普段なら焚かれている篝火も、こんな嵐の日には役立たずだ。

 キアはすぐさまランプの灯をつけようとして、やめた。

 その代わり、素早く侍女のお仕着せに似た紺のワンピースに着替えると、そのまま静かにテオの部屋へ忍び込む。


「テオさん。外に怪しい人影を見ました」

 囁くように声をかけただけで、テオは目を覚ました。


「嵐の夜に賊か……動けないこの身が情けないよ」

 悔しそうに身じろぎをするテオに、キアは首を振った。


「テオさんの意識が戻ってて良かったですよ。私一人じゃどうしていいかわかりませんもの。私は何をすればいいですか? 辺境伯家の騎士団に知らせに行きましょうか?」


「いや。騎士団は当然夜警に立っているはずだ。城内に賊が進入すれば当然気づくだろう。それより、おまえはケニー様の部屋へ行け。彼をどこかへ隠すんだ。彼の部屋は、東棟の端にある大きな客室だ。行け!」


「はい!」


 キアはすぐさまテオの部屋を出て、廊下を走った。

 正面玄関を中心に、左右に伸びた建物の、ここは西棟にあたる。中央階段の踊り場ホールを駆け抜け、東棟に入っても暗い廊下が続いているだけだ。

 ケニーの部屋があるこの棟の一番奥までは、まだ遠い。

 この東棟にはマティアスや幼い姉弟の部屋もあるが、テオがケニーを隠せと言うからには、やはり侵入者の狙いはケニーなのだろう。


(間に合って!)


 先ほどキアが見た黒い人影は、初めから東棟に向かっていた。東側の城壁から侵入し、そのまま東棟を目指していたのだ。


(やっぱり、ケニー様が狙われてるの? でも、どうして? 長兄様を補佐してるから? それとも、ケニー様が妾腹だから?)


 全力疾走しながらも、答えの出ない疑問がキアの頭の中を駆け巡る。

 窓のない廊下は漆黒の闇だ。それでも感覚で距離がわかるのは、幼い頃から伯爵家に仕えていたお陰だ。城の構造は違っても共通する部分は多い。


 この廊下のつき当りに、ケニーの部屋がある。

 暗闇に伸ばしたキアの両手が木の扉に触れた瞬間、ガシャンと何かが割れる音がした。


(しまった!)


 全身から血の気が引いた。

 必死に走って来たけれど、一歩遅かったかも知れない。

 慌てて扉に飛びつくと、扉はすぐに開いた。


(良かった。鍵がかかってたら入れないとこだった)


 キアが転がるように扉の中に駆け込むと、青い稲光が両脇の窓から部屋を照らした。

 部屋の中央に長椅子とローテーブルが置かれた広い居間。高級な調度品や美術品で飾られた美しい部屋なのだろうが、今は青白い光の下で不気味な影を落としている。

 正面の壁には扉が二つあった。キアの正面と、もう一つは窓に近い場所だ。


(たぶん、正面にあるのが寝室の扉だ)


 そう当たりをつけたキアが扉に駆け寄った時だった。

 カキーン!

 刃と刃が触れ合うような音が聞こえた。


(やばいっ!)


 寝室の窓から侵入した賊とケニーの間で、戦闘が起きている。


(大丈夫。反撃してる。ケニー様は無事!)


 キアは自分を叱咤するが、侵入した人影は少なくとも五人以上いた。多勢に無勢。このままではケニーが危ない。

 漆黒の闇と青白く光る雷光で、明暗を繰り返す部屋の中、キアは寝室へと続く扉を開けた。


 扉を開けた瞬間、冷たい風がキアの顔をかすめた。

 割られた窓から風が吹き込んでいるのだ。

 次に、風に靡く白い夜着が見えた。

 剣を構えたケニーが、キアが開けた扉を背にして立っている。

 そして────その向こうに、黒装束の曲者がいた。


 賊は今まさに、ケニーに向かって剣を振りかぶったのだろう。

 そんな時に突然扉が開き、キアが現れたのだ。

 驚いたのだろう。一瞬怯んだその隙を、キアは見逃さなかった。


「きゃあぁぁぁぁ! ケニーさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ! 」


 嵐の中でも響き渡るような悲鳴を上げながら、キアはケニーの夜着をつかんで引っ張った。


  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る