過保護お姉さんのセレクション

ウヰスキーポンポン

〜序〜 過保護お姉さんのお説教

「あのねハルくん、これだけは分かってほしいんだけど、私はハルくんのために言ってるの」

 フローリング上で、なぜか正座で差し向かい。ちょっと足が痺れてきた。

 ボクの足がモジモジしているのを見咎みとがめて、ヒロねえが長い睫毛まつげに縁取られた目をわずかに細める。

「……ハルくん、聞いてる?」

 こわい。この人、滅多にお目にかかれないほどの美人なだけになまじこわい。

 もはや、まな板の上の鯉だった。

 いや、フローリングの床よりまな板のほうが柔らかそうだし、鯉のほうがまだ待遇がいいんじゃないかとすら思う。

「どんな相手と結婚するかで、キミの人生は大きく左右されるのよ?」

「い、いや……。え、結婚!? ヒロねえ、今『結婚』って言った? ボク、結婚とかまだぜんぜん……」

 だってボク、まだ高一だよ? 十五歳だよ?

「キミがそうでも、向こうは結婚を見据えてるかもしれないでしょ?」

「……!? いや、見据えてないと思うけど……」

「なんでそう言い切れるの?」

「だって、結婚どころか付き合ってすらいないし」

「向こうは付き合いたいと思ってるかもしれないでしょう?」

「いや、思ってないと思うけど……」

「なんでそう言い切れるの?」

「なんでって……、今日はじめて会った人と、付き合うとか結婚とか、ふつう考えないよね?」

「ハルくん、キミ……」

 腰にまで届く艶やかな黒髪を手で払うと、ボクの三つ年上の従姉いとこはふうっ、と薄いため息をついた。

「『一目惚れ』っていう言葉を知っているかしら?」

「お、おコメ……?」



 ことの始まりはこうだった。

 ボク、三前みさき明彦はるひこは今日、晴れて第一志望だった隆ヶ崎りゅうがさき高校に入学した。

 入学初日の放課後お決まりの連絡先交換。

 その場でボクは首尾よく何人かのクラスメイトの連絡先をゲットしたが、特筆すべきは、獲得した連絡先の中にいくつか女の子のものが含まれていたことだ。


 グッジョブ、神様!

 グッジョブ、天使!!

 グッジョブ、ボク!!!


 中学時代、ほとんど女の子に縁がなかったゆえに、ボクはこの幸先さいさきよい高校生活のスタートにホクホクしていた。

 なので、夕食の席で保護者代わりのヒロ姉に「高校初日はどうだった?」とかれた時も、ちょっと浮かれ気味にその話をしたわけだ。

 ところが、これが大失敗。


 ボクの話を聞いたヒロ姉の笑顔が、その瞬間ピシッと引きった。


「……ハルくん。その女の子たちって、どういうコ?」

 部屋の空気が一瞬にして凍りつく。

 激辛のカレーで火照ほてった身体からだまでがいっぺんに冷えた。

 ヒロ姉が突如とつじょ冷気を発散させ始めた理由が分からず、ボクはただオタオタするばかり。

「い、いや。どういうって言われても……」

 実際、分からない。分かるワケない。

 今日はじめて知り合って、二言三言会話しただけなのに。

 口ごもるボクに、ヒロ姉がテーブル越しにズイと詰め寄った。

迂闊うかつよ、ハルくん」

「は……、はい?」

 ヒロ姉の脈絡のない言葉と、部屋着のえりもとからのぞく豊かな二つのふくらみのせいで、口から漏れる返事も上の空。

 ヒロ姉。見える、見える。見えちゃう。

 ていうか、今つけてないって分かるくらいにはもう見えちゃってる。

素姓すじょうも知れない女の子たちに連絡先を教えるなんて、迂闊うかつにもほどがあると言っているの」

 ヒロ姉の胸もとのほうがよっぽど迂闊うかつだよ、とはさすがに言えなかった。入学式の夜に入院というのはやはり避けるべき事態だろう。

「あ、いや。クラスメイトだし、素姓すじょうは明らかだと思うんだけど……」

「クラスメイトだというだけで気を許す。その油断が命取りよ」

 いつの間にか命がけの話になっていた。

 どうやら高校生の交友関係というものは、命に関わるほどの危険を伴うものであるらしい。本当かよと思わないでもないが、経験者たるヒロ姉の言葉であるだけに疑義を呈することは許されない。

「その子たち、きっとハルくんのこと狙っているんだわ……」

 あごのあたりにそっと手をやり、ヒロ姉がボソリと呟く。

「いや。狙うって、何を狙うのさ?」

「だから、ハルくんのことをよ」

「え、ボクの何を? 個人情報とか……?」

「個人情報くらいなら、まだましね」

 個人情報を狙われるのがましなの? 

 やっぱり命か?

 命を狙われるのか?

「その子たちの狙いはハルくん自身よ、きっと」

「……」

 何を言ってるんだろう、この人。

「ハルくんの彼女の座に収まって、あわよくば未来の妻としての地位を確かなものにするつもりなんだわ」

「…………」

 いったいどうしちゃったんだろう、この人。

 同じクラスになった人どうしの連絡先交換。このありふれた話から、いったいどんな論理の飛躍?

「いや。ぜんぜんそういうレベルの話じゃないと思うんだけどな、これ……」

 そう口にしたとたん、ヒロ姉がガタン、と椅子から立ち上がった。

 その顔はさながら能面のよう。

 ヒロ姉は氷のような表情のまま、ゆっくりと床を指さした。

「……座りなさい、ハルくん」




 そんな流れで今、冷たい床の上に正座させられているボクだった。

「とにかく、その女の子たちには気をつけるのよ?」

 もはや反論する気力も起きない。

 気をつけるもなにも、何に気をつければいいのかすらサッパリ分からない。

「……付き合う女の子を気軽に選んだりしちゃダメよ、ハルくん。キミの彼女になるべき女の子は、私がしっかりと見極めてあげるから」

「み、見極めるって……?」

「ハルくんの未来の妻にふさわしい子かどうか、私が審査してあげる。それに合格しない限り、キミの彼女として認めない」

 まるっきり暴君の宣告だった。

 ……これはダメだ。

 昔からボクを弟みたいに可愛がってくれたヒロねえだけど、これはちょっと度が過ぎてる。

 高校生活の初日から、まさかこんな障害が待ち受けていようとは。

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