霧ノ國 不知日女(しらずひめ)

ミコト楚良

 

はじまりの刻

 東の地の山河に鉢平はちだいらと呼ばれる野あり


 それを治めし大王おおきみの一族を

 まず鉢平はちだいらと呼ぶ


 その王子が の地へおもむくに八平はちだいらと名乗った

 が八平本家のはじまりなり




 


 騎馬のひづめの音。土煙。

 敵方の奇襲は、夜明けとともにはじまった。

 陣払じんばらいして退却したと思った敵方が、突然、疾風シップウ公の本陣から距離三十町(三キロメートルほど)のところへ現れたという。


はさみ撃ちか!」

あせるでない! 黎明レイメイ公の下知げちを待てっ」


 

 大きな体躯たいくの男たちの中にいる明らかに初陣ういじんとわかる少年は、あわただしくなる周囲を冷静に俯瞰ふかんしていた。


 ――この空気を知っている。


 上か、下か?

 右か、左か?

 まちがえれば、己だけでなく一族の死。


 決断を迫られる時の、ちりちりとした焦燥感。狂おしさ。

 したが、そこに恍惚とした、生きている実感が沸いてくるのは何故なぜだ。


 目の前にいる赤子に情けをかけても、そののち、その者が情けをかけた者に容赦ようしゃしたためしはない。


 本家である少年の祖父上じじさまの代、分家が取って代わろうとした折り、その一族郎党すべて、祖父上じじさまは誅殺ちゅうさつした。

 同じ手で、跡取りである少年をいつくしむ。


 この戦とて主君しゅくんの、そのまた主君である疾風シップウ公の妹日女いもうとひめの嫁ぎ先であるクニとの戦いだ。

 先から戦うつもりで疾風シップウ公は縁組したわけはない。だが、そのえにしは、もろく、ほどかれた。


 そういうことだ。

 生き抜けるのは鬼になれるものだけだ。ここは、そういう世界だ。




 鳴海月なるみつき(旧暦六月)の、この日。

 少年が、はじめて見る戦場に躊躇ちゅうちょしたのは息をとおする間ほどだった。

 敵方にとっては自分の首が褒賞ほうしょうであることを、すぐ理解した。

 迷う暇はない。


 少年を援護するやり隊が、敵方の武将を馬から突き落とした。

 少年も馬から降りる。

 自分よりも体格のよい武将を一気に追いつめ、甲冑の隙間に刃を射し込んだ。

 覚えてきた技を実践するのみ。

 急所は、外さない。


「お見事です。玖八郎くはちろうさま」


 少年の剣術指南役であり、大叔父である孫次郎まごじろうが、急ぎ、玖八郎くはちろうの守りに入る。その間に隊の一人が、倒れた武将から首をかき取った。

 木箱を背負った手空てあきという役の者が、うやうやしく、その首級しるしを受け取る。


初陣ういじんにして一騎討ち取るとは! さすが八平はちだいら本家の若じゃ!」

「皆、玖八郎くはちろうに続くのじゃ! 勝利は、われらに!」

 少年の叔父たちは口々に己を鼓舞こぶし、戦の中へと馬を走らせていく。


 渦巻く、怒号怒号怒号。





 戦は、玖八郎くはちろうの一族の主君しゅくんたる二國の同盟軍の勝利に終わった。

 敵対した國の大将は撤退していったが、もはや、最期の光を放っているに過ぎない。


 ――明日は我が身、かもしれぬ。





「見事な働きじゃ、八平はちだいらの若君」

 戦のあと、本陣に招かれた玖八郎くはちろうは、主君、黎明レイメイ公から直々にお言葉をたまわった。

「力では、なかなかかなう相手ではなかったであろ?」


「恐れながら」

 玖八郎くはちろうは、こうべを垂れたまま申し上げる。

「戦の道は筋骨ではありません。その術でこそあります」


「ほぅ」

 黎明レイメイ公は目を細めて、少年を見やった。

 その頭の中で、と未来図がひらめいたなら、この時にちがいない。


「お前に剣術を教えたのは、誰じゃ」

八平土佐貞雄はちだいらとささだおの息子、孫次郎まごじろうでございます」

 初代から分家した重臣の四男、孫次郎まごじろうは八平きっての剣の達人だった。

 

「なるほど、なるほど」

 納得した、とばかりに黎明レイメイ公はひざを打った。


「覚えておこう、八平玖八郎貞晶はちだいらくはちろうさだあきよ」






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八平孫次郎貞国 この世界では土佐八平貞雄の息子

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