2







 江戸時代から繁華街として栄えている浅草。


 その起源は六百二十八年、隅田川で漁をしていた猟師に本尊である観音像が引き上げられ、時の郷士により祀られたことからだと言われている。

 そんな浅草を代表するものと言えば、誰もが雷門のある『浅草寺せんそうじ』を思い浮かべることだろう。

 都内最古の寺と言われている浅草寺には一年を通じて国内外問わず観光客が訪れ、その多さは日本の観光名所の中でも上位だ。

 かつての賑わいを切り取った錦絵が数多く残されているような土地であるが、その賑わいは今も変わらず、こうして跨麟たちを翻弄するように続いている。


 そう、とにかく人が多すぎるのである。


 歩き出してすぐにツアー客であろう快活なご婦人たちの集団に突撃されて引き離された時にはどうしようかと思ったが、お互い周囲よりも背が高いことが幸いし、すぐに合流できた。

 しかしそう何度も人波に流されるのは嫌だと、ヴァルは自身の腕に跨麟の腕を絡ませると満足そうに頷く。


 あの不思議な出来事の後、早々にサングラスを外して素顔を晒したヴァルは、浅草の独特な空気感に触れて、心なしか楽しそうに周囲を見渡している。

 これでもかと麗しい顔を出しているにもかかわらず、やはり周囲の目はヴァルから滑るように逸れていく。そして跨麟だけが、ヴァルという目には見えない空気を目視できているような、そんな違和感。

 先ほどのような騒ぎにならないことは跨麟としても願ってもないことであるが、どうしようもない違和感に納得できず、ヴァルにそれとなく問いただすも、彼は『要人警護に必要なスキルだから』などと曖昧に話を濁し、なぜか状況に戸惑う跨麟を気遣うように頭をポンポンと撫でた。

 普段であればその手を容赦なく弾き飛ばしていただろう跨麟も、ヴァルのこととなると拒絶という二文字が働かなくなり、ジワリと頬が熱くなるのを感じてそれ以上の追及をせずに言葉を詰まらせる。

 特段美形に弱いわけではなかったはずなのだが、何故だか彼のこととなると途端にこうなる。制御できないにどういうことなのだろうと頭を抱えたくなるものの、ヴァルは跨麟の葛藤を知ってか知らずか、腕を組んだあたりから随分と機嫌がさそうで、少しだけ形の良い唇が上がって見えた。


「それで、これからどうする?」


「まずは軽く何か食べましょうか。ここならいろいろと面白いものもあるし」


 そう言って跨麟が指をさしたのは、雷門の向こう側にある【仲見世通り】であった。

 沢山の店が連なる通りは、浅草ならではの土産物から、ここでしか味わえない食べ物など取り扱う物は様々で、見て歩くだけでも十分楽しめる観光スポットだ。

 中には外国人観光客を意識した忍者の衣装や、達筆な面白日本語がプリントがされたTシャツなども売っており、それを楽しそうに手に取る光景をあちこちで目にする。

 そんなごった煮状態の仲見世通りをゆっくりと歩きながら、土産物屋で物色したり、匂いにつられて食べ物を購入したりとあてもなく楽しむ。

 食べ物屋は数多くあり、その種類も様々だ。焼きたての煎餅や、雷おこし、きび団子や揚げ饅頭。串に刺した濡れおかきなんてものもある。

 そんな中、特にヴァルが反応したのは意外にも【人形焼き】であった。数ある人形焼きの中でも、跨麟たちが立ち寄った店では剽軽ひょうきんな七福神の顔面を模した人形焼きが積み重なるようにして置いてあったのだが、ヴァルにはそれがどうにも不気味に見えたらしい。確かに見慣れない者からすれば、生首の形をした奇妙な物体に見えるかもしれない。さらに中の餡子が所々透けていたりすると、より不気味さが増すのはご愛嬌だろう。


「なんだ、あれは……生首? 呪物の一種か?」


 ヴァルが人形焼きを覗き込みながら、食べ物かどうかも怪しいというような顔をしているのを見て、隣にいた跨麟は思わず笑う。


「ち、違うわ。神様のお顔を模してるだけで、れっきとした食べ物なの。甘くて美味しいわよ?」


 跨麟はそう答えるや否や、人形焼きをサッと二つ購入し、一つをヴァルに手渡す。

 大男が恐る恐る受け取る仕草がなんとも可愛らしく、跨麟は笑いをかみ殺しながらも人形焼きを口に含んだ。

 焼きたてを手渡してくれたのか、温かくしっとりとしたカステラ生地に、上品な舌触りのこし餡。一瞬だけツンとくるような甘さが鼻を抜けるが、すぐにカステラ生地と混ざって舌の上でねっとりと蕩けていく。後味は意外とさっぱりとしており、手頃な大きさもあってあっという間に食べ終わってしまうが、おかわりは後々を考えてグッと堪える。


「あ、美味い……」


 人形焼きのビジュアルに引いていたヴァルであったが、跨麟につられて食べてみたら意外と口に合ったらしい。


「でしょう? こういったお菓子、故郷には無かったの?」


「そうだな、焼き菓子はあったのかもしれんが……さすがに顔を模したものはなかった気がするな。そもそも人の顔なんて食べにくくないか? しかも神だろう? 不敬では……」


「ぶふっ!」


 彼の真剣な表情と言葉に、我慢できずに吹きだしてしまう跨麟。


 文化の違いなのだから笑ってはいけないと思いつつも、お菓子一つでこんなにも真剣に考えこんでしまう彼がどうにも面白くて我慢が出来なかった。

 確かに言われてみれば、人の顔だと改めて考えながら食べるとなると少々食べにくい気もする。なまじ造形がしっかりしているものなどは目が合うような感覚を覚える時もあるくらいだ。

 それが神を模したものならばなおさらだ。宗教が浸透しているお国柄出身であればヴァルのように不敬だと思うのかもしれない。


 しかし、日本では昔からあらゆるものに神が宿るといい、見えないながらも身近な存在とされている。

 そのせいか神がデフォルメされたりゆるきゃらになったり、性別を変えて際どい衣装を着こなしては画面の中で踊ったり、プリントされて土産物になったりと、他の国と比べても神聖さが今一つ欠けているような気がしないでもない。

 それでいいのか日本人と思わずにはいられないことはあるものの、いうなれば可愛いは正義。つまりそれに尽きるのである。この人形焼きがかわいい部類に入るのかは少々謎であるが。


 人形焼きはむしろ縁起物なのだというと、ヴァルはこれが? というような微妙な表情を浮かべながらも、齧りかけでさらに不気味になっていた人形焼きを口に放り込む。

 見た目の不気味さはさておき、味は気に入ったようだ。


 気を取り直して仲見世通りの散策を続ける。

 彼にとってはどれも目新しいものばかりなのだろう、表情こそ変わらないまでも、形の良い瞳には好奇心がありありと浮かんでいた。

 異性と二人で出かけるというデートのようなシチュエーションに、浅草は少々渋いかもしれないとは思ったものの、目を輝かせている彼を見れば、案外悪くないチョイスであったのかもしれない。


 そうして仲見世を抜けた先にある朱塗りの楼門、【宝蔵門ほうぞうもん】までたどり着くと、ヴァルと跨麟は仁王像が守る門をくぐり抜け、本堂のある敷地へと足を踏み入れた。

















 ****

 ちなみに今は仲見世通りで食べながら歩くということはできないらしいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る