北辺の習俗と去神譚

 北辺にひとり神ありとう。

 神名、人代にくだりてのちはつまびらかならず。

 その地、三方を海とし、森多けれど実り薄く、夏、短く、冬、海は氷に、森は雪にて閉ざされり。

 人、みこ*1をして神と交わり、神、あたう。

 夏とは獣なり。*2

 その血肉は滋養となり、毛皮は寒さを退しりぞけ、骨は海と森の生き物を呼び、人を養う。


 南方より来たりしつはもの、唯一神の威光をとなえ他の神々をゆるさず。

 兵、北辺の独り神をわんとす。

 北辺の人びと、これに怒り剣を取る。

 やいばを交えること七歳ななとせ、北辺の劣勢くつがえしがたく、覡、神に祈りてかくの如く伝う。

そうす。これすなわち冬なれば、戦は小康にあり。氷雪の精は汝貴なむちが属なり。しかれども氷雪融ければ軍靴阻むすべなく戦禍極まれり。我らに勝算なし。我ら、すでに百の黔首けんしゅを数えず、族の命脈ついえたりと言えり。されどくだること望まず。が神はのみそ」

 独り神、覡を抱きあわれみて血を与う。

 覡、その血を悦びけ夏の毛皮をまとい、おおいなる獣となる。

 獣の哭声、天をき、星を落とし、森をぎ、地を震わす。

 独り神、空を閉ざしたり。*3


 覡、はかりて北辺の人びとをもろともにともがらへんず。

 みなひと、夏となりぬ。

 すなわち覡、獣を率いて冬営の地を襲い、血路をひらく。

 独り神、北辺を遙かに去る。

 行方は詳らかならず。

 ただ、おのが血を分けた獣とともに去れりとのみ。


 神去りし地、夜の明けることなし。

 唯一神の民、おのが神に祈りて夜明けをえども明けず。

 春待てど春来たらず、なつ待てど夏来たらず。

 まどいて異教の神殿にぬかずき夜明けを請えば、すなわち遠き獣の声*4を得る。

 民、声にしたがの毛を拾い、供犠の血に染め、輪にして祈れば、東の空に曙光差す。


 は、独り神が北辺より逐われてのち、地を揺らすものと云われ、くだりて夜の子供たちとも称される獣……狼なり。

 人里のさわりとなりし獣なり。

 今般*5、彼の地になつのあいだに狼の冬毛を拾い、曙光差す空の色に染めて日輪の形に丸め、冬、極夜の窓辺に吊して夜の明けんことを願う習わしあり*6。

 独り神と狼の伝承にまつわる風習か。

 この飾り物をして「曙*7の円毛まるげ」と云う。



*1覡:男の巫

*2夏とは獣なり:狼が夏に児をなすがゆえか

*3独り神、空を閉ざしたり:極夜のことか。あるいは天変地異、大隕石の落下にも似たり

*4遠き獣の声:神託の類か

*5今般:原著は十二世紀の著物なり

*6習わしあり:十二世紀以前の風習なり。近世以後伝わらず

*7曙:ピンク色なり。染色法不詳。伝承、後世の戯作ならんか

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