2-6:

 茜差す坂道、といえば性犯罪に及んだ後である。顔を真っ赤にさせて悲鳴を上げた彼女に平謝りし、紆余曲折を経て、なぜかトオルは家まで付き添うことになっていた。


「その、良かったの? 地下鉄使わなくて」

「あ、ごめんなさい。疲れたよね。どこかで休む?」

「いや、僕的には助かるんだけど」

「ならよかった。あはは、実はわたしダイエット中なのでした」


 鼻歌を奏でていた少女は、気恥ずかしげに頬を掻いた。表情、態度一つとっても、事件の影響は伺えない。いつもの優等生然とした雰囲気ではなく、楽しげに学生鞄を揺らしていた。


 古賀遥菜コガハルナ

 人呼んで、城附の七英傑と評される生徒の一人であり、城西大附属高校の有名人であった。

 一年E組、“社長令嬢”古賀遥菜。

 一年A組、“城附の虎”長尾景雪。

 二年B組、”人間無骨“森貴史。

 二年壱組、“登校拒否”雲林院秋葉。

 三年C組、”筋肉猛狒“柴田克人。

 校庭外れ、“獰猛番犬”ツナヨシ公。

 仮眠室、“熱血教師”一ノ瀬馨。

 教師だけでなく犬がカウントされていたり、色々と問題児扱いが透けて見える人選だ。なお蛇足として、トオルは”留年候補“として、一時七英傑に名乗りを挙げた時期があった。


 とまあ、名誉なのか定かでない称号だが、非公式ミスコンの優勝者である彼女に関しては、まあ真っ当な異名と呼べるだろう。

 折り目正しく、清く正しい、かは知らない。ただ、遠巻きにもわかる洗練された挙措と定期考査で度々頂上に名を記すことから、他人を寄せ付けないオーラがあると思っていた。

 全校応援が義務な夏冬の大会でもどこか他人事で、いつも静かに読書している。そんな印象だ。

 しかし、今目の前であれやこれやと笑い声をあげる少女は、別人かと思うほど天真爛漫だった。


『このアマ、良ぃパイオツしてやがる。おい、最初に突っ込むときはオレ様に代われよ』

「はぁ」

「どうしたの、夏目くん?」

「あ、いや、なんでもないよ」

「そう?」


 夕暮れの犯罪現場。トオルが慌てて謝罪すると、古賀は両手で胸元を隠しながら「事故だよね……うん、そうだよ」と頷くと、しだいに態度を軟化させ「助けてもらってごめんなさい」と頭を下げはじめた。

 終いには昏倒した男子生徒Aの側で屈み――実は総体予選のチアリーダーを引き受けてほしいと勧誘を受けていただけで、只の早合点だった――保健室に連れていこうと言い出したときには、さすがのトオルも開いた口が塞がらなかった。


(一周回って莫迦なんじゃ)


 もしくは穢れを知らぬ天使か。さっきから、艶やかな髪に天使の輪が輝いて見える。

 高貴な翼すら幻視して、ついついトオルは跪かないよう堪えるので精一杯だった。


「それであのぉ、言ってたバイト先の心当たりって――」

「その前に一つ、わたしは罪を告白しなければいけません」


 トオルの言葉を遮って、古賀が突然切り出した。

 閑静な住宅街は、買い物袋を持った主婦が通り抜けていく。茜色に染まる坂道で、少女はスカートをひるがえした。


「わたし古賀陽菜は、嘘をついていたのです」


 少女はにこりと笑うと、今どき古い立て看板が眩しい、白と緑系統の色調で彩られた質素な建物へ案内した。


「ここは?」

「ささ入って入って。お父さん呼んでくるから」


 古賀は二人分の鞄を持つと、しゅたたとスキップで農作物が陳列された棚を横切ってゆく。

 頭上の看板には、「古賀青果店」と書かれている。

 ゴシゴシと目元を擦って、網膜に焼き付く光信号を何度も疑う。けれど何度やったところで、目の前に広がる光景は変わりそうになかった。


『あぁ? お嬢だか言ってなかったか?』

「その、はずだけど」


 内装は至って平凡な直売店だった。向かって右手側に鮮度命の農作物、肉が並べられ、左手側に自動精算機がある。入り口前の棚には、今どき珍しい直産野菜が箱詰めになって晒されていた。

 地元の居酒屋のような雰囲気だ。よく観察すれば併設されたレストランがある。弁当詰めにした惣菜などを振る舞うのだろうか。

 ショッピングカートの並ぶ入り口でボサっとしていると、三十半ばくらいの夫婦が代車を押してきた。


「いらっしゃい。けど御免なさいねぇ、レストランのほうはもう閉店で……あら、あなたどこかで」


 店の服装だろうか。シャツの上から青いエプロンを着た婦人は、たおやかな仕草で顎に手を当てた。


「知り合いか由里子?」

「ああいえ、えっとなんだったかしら。ごめんなさいねぇ、近頃物忘れがひどくて。もしかして有名な方だったりするのかしら? 俳優やアイドル? それとも火星の大統領?」

「ああいえ、自分は」


 過大評価? され、トオルは慌てて手を振った。


「最近の競技速報か何かで見たんだと思います」

「それはないな」「ないわねぇ」


 むっすりとガタイの良い夫と、おっとりと線の細い妻二人は、うんうんとやけに揃って首を縦に振った。


「気にしないで。これは私たちの家のルールみたいなものだから。あら、そういえばその制服……」

「あ、こんなところに。お母さーん!」

「あら、ハル。お帰りなさい。

 でもだめよ、店に出るなら着替えて来なさいといつも言っているでしょう」

「今は仕事中だ。邪魔にならないようあっちへいってなさい」

「お父さんも。ってそうじゃなくて、ああもう話を聞いてよ!」


 結局荷物を持ったまま戻ってきた古賀遥菜が、ぷくぅと頬を膨らませて怒鳴った。三者が顔を突き合わせる。目の位置や角度、表情の作り方など、どことなく似ていた。

 古賀家の一族はトオルのことを忘れてやいのやいのと言い合っている。天然の入った母親がかき乱し、遥菜が小さく唸る。たしなめる父親が印象的だった。


『……こいつは。

 って、おいうしろうしろ』


 立ち尽くすトオルの後方で耳障りな摩擦音がした。振り返った瞬間、ドン、と子供一人分の体重が押し寄せた。

 白いフローリングの上でたたらを踏む。ローラースケート靴が見えた矢先、ヘルメットを外した少年は遥菜と同系統の色合いをした頭をさげた。


「ご、ごめんなさい、メットがずれて……!」

「一樹。お客さんになんてことを」

「げっ、母ちゃんと父ちゃん。それにハル婆まで」

「なーにーがー、ハル婆だ!」

「ぎゃー、ハル婆が怒ったぁ!」


 遥菜は牛蒡をかかげると、肉用冷凍庫を盾にする一樹少年を追いかけはじめた。訪れていた往年の夫婦は、別段気にする風でもなく微笑ましく見守っている。商魂を売り払ったのか、ごめんなさいねえと古賀母は無料で野菜を配っていた。

 消去法で、無骨な初対面の親父と向かい合う。なぜかアークが口をつぐみ、甚だ気まずかった。


「本当に息子が申し訳ないことをした。私は店主の古賀将典だ。お詫びというわけではないが、今日採れたばかりの新鮮な野菜を包んでおこう。他に欲しいものがあったら」

「あっといえ、僕はその――」


 トオルはことの経緯を一から順に説明した。落ち着いた物腰の古賀父は、極めて愛想がなかったものの、愚直に一々相槌をうった。


「なら調理経験はあるか? 先日厨房係が退職して困っているんだが」

「えっと、いいんですか?

 面接とか必要書類とか、まだなにも」

「娘がはじめて高校の友達を連れてきたんだ。無下にはできない。そもそも君は若いんだ。不得手だとしても、すぐ覚えられる。だからと言って遅刻や無断欠席をされると困るが、不誠実な男ではないのだろう?」

「その、つもりですが」

「ならなにも問題はない。無論、雇用契約だから手続きは必要だが、精々がそのくらいだ。

 なにより、娘は頑固が過ぎてね。子供の頃など、捨て猫や捨て犬を拾ってきては一緒に寝るんだと言って聞かなかったものだ。まさか人間を連れ帰るとは思わなかったが、最近の様子を考えるとかえって安心したぐらいだ」

「は、はぁ」

「まあ、だからといって気安く近づくのは遠慮してもらうがね」


 文明の発達した現代において、ほとんどの工程はオートメーション化され、極限まで簡素化されている。

 首都区と違い、街区にはまだ下町の人情味残る街並みが広がっているというが、疑いもせずに受容してくれる人柄に胸が熱くなった。


「ちょっとお父さんっ。夏目くん怖がってるじゃない。もぅ何言ったの」

「と、父さんは別にだな……」


 プロレス技を掛けていた古賀が駆けてきて、手を腰にやりながらトオルを庇った。父の威厳はどこへやら、薄くなった頭皮をしきりにさすっている。

 とほほ、と足腰を労わりながら戻ってきた弟の一樹が、ふとこちらを指差して叫んだ。


「あー! どっかで見た顔だと思ったら」

「ああぁぁぁ!!」


 古賀遥菜は顔を真っ赤にして押さえ込みにかかると、閻魔様も退くような禍々しい声で耳打ちした。

 ぞわぞわと髪の毛までが怯えるのを見た。全身を小刻みに震わせた一樹は、音速で首を縦に振った。


「さあいこいこ。厨房はあっちだから。

 あ、調理免許持ってても、この店ではわたしが先輩だからね」

「あ、うん。わかったけど。

 ……あれ、僕ってそのこと言ったっけ?」

「あ、あははは。細かいことは気にしない。さ、一名様ごあんなーい」


 背を押されるままに、店の奥へ奥へと連れて行かれる。

 従業員と雇用者の娘。同級生とは違う力関係が成立した。



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