2-4:

「ぷべらっ」「たぁんすっでごんすっ!」


 二、三、四限授業、組手の部。

 試合結果、一蹴。

 男たちはピンボール玉のように跳ね飛ばされていった。

 礼讃の声が鳴り止まない。訳もなく、ただ虚しく吹き荒ぶ風に背中を預けていた。

 だだっ広い合成樹脂製のハードコートにて、右近・権左両名を昏倒させたアークがくしゃみを一つする。遅れてやってきた感覚にトオルは震えた。


「ぎょぇぇ身体が」

『あぁん? そんくらい我慢しろよ』


 アークは痛みなどまるでなかった風だ。勇者か否かこそ定かではないが、歴戦の士に違いないようで、クラスの荒くれ者二人組をいとも簡単に屠っている。

 世界中が人生を賭して挑戦するMMAを児戯と評するだけあって、その技量、志はトオルなどとは比べものにならなかった。


(やっぱり、すごい)


 大浜オープン、そして授業を通じ、その隔絶した武に僅かながらの尊敬を覚え始めていた。

 通常、MMA競技者は親や道場などから技を磨き、基礎を固めた状態で野に繰り出す。公式戦が開催される中学以降では、生徒を抱える学校側も指南を受けることを公に推奨していた。

 これはいわば、自ら指導力不足を認めるようなものだが、そこは今更だろう。

 昔から塾や通信教育が蔓延る日本社会において、学校に求められるのは社会教育と集団意識の植え付けである。付け加えるならば、似た境遇の生徒を集め、向上意欲を促すことが目的だといえた。


 が、その例外が今も羨望の眼差しを向ける夏目トオルだ。

 やぁ、たぁ、と各々の流派の型をなぞる同級生たちを尻目に、彼の師は動画配信サイト上の有名選手の試合切り抜きだった。

 中でも彼一押しが、最強と名高い十六夜長秀だ。

 弱いのは至極当然だと思えるほど、劣悪な環境といえるだろう。

 トオルの目は自然、アークの一挙手一投足に吸い寄せられていた。


『お前は気合いが足りねえんだよ、気合い』


 まあ、だからと言ってアークが師として優れているわけではないのだが。

 額から流れる汗を拭うと、トオルはとぼとぼ貸し出し用の棍棒型デバイスを倉庫に戻した。

 城西大附属高校は、競技に力を注いでいる。その選手数など生徒総数の半分にも及んでいるほどだ。卒業生の莫大な寄付もあり、設備はどれも最新式だった。

 今使っていたセーフティ付き棍棒もその一つである。試合用であるトオルの社用デバイスIHR――「岩城重工社製打刀改」と似たようなお値段がする。

 さすがに近在一の金持ち進学校だと、事務所のコネ入学に感謝した。


(そういえば、刀は恋人のように扱えって誰かが言ってたなぁ)


 社用と名前がつくように、トオルの武器は会社の備品だ。校内試合においても学校貸し出し用を使っている。

 つまりあれか、レンタル彼女なのか。

 しょうもない考えを振り払ったとき、ポンポンと肩を叩かれた。


「夏目くん。少しいいかな?」


 振り向いた先には、髪を刈り込んだ三十路の体育教師が、柔和な笑みを浮かべて立っていた。

 背後には、隆々とした大胸筋が目立つ男子生徒が控えていた。

 ゴツゴツと岩のような腕を組み、百九十もありそうな彼は、上背のあるトオルでも見上げなければならないほどの巨漢だった。


「あ、はい先生。なんでしょうか」

「いやなに、少し小耳に挟んでね。この前の大浜オープンの話なんだけど」


 小声で囁くよう切り出した教諭は、細められた目の奥だけを動かし、訝しげな様子を隠さない巨漢へ視線を送った。


「柴田くんに予選突破したのは君じゃないかと聞かれてね。それは本当なのかい?」

「あ、は、はい」

「おお、すごいじゃないか。長尾くんといい、雲林院くんといい、近年は度肝を抜かれる生徒ばかりだよ。いや、後で横断幕を作らないと」

『カカ、戦ったのはオレ様だけどな』

「もう、茶々入れないでってば」


 虚空を凪いだトオルを、まるで異星人をみるような目で教師が見つめた。


「あ、す、すみませんこれは」

「……いや、いいんだ。趣味は人それぞれだから」


 これがなごみ世代流行りのエア友達か、と戦慄するよう呟いた教諭は、いつにない優しげな表情となった。うん、アーク殺す。


「それで良ければだけど、一度彼と模擬戦をしてはもらえないかな。

 いやなに、君は冬休み以来一度も登校していないだろう? 腕を上げたのなら一度見せて欲しいんだけど」


 ダメかな、と尋ねる彼のうしろで、巨漢の生徒が押忍との太い声で気合いを入れた。

 その眼には疑惑が渦巻いている。こんなやつが、とさえ言いたげだ。事実、トオルは学校内でも冴えないほうだ。常識的にプロの大会で好成績を望めるはずがない。


 一方、巨漢――柴田家久は一年E組の中でトップの成績を残す生徒だ。校内戦で苦杯を舐めたのは数知れず。HSSO高校生ランキングでも二十万以上遅れを取っている。

 教師側としては内申点を上げてやろうとする善意なのだろうが、ドロドロとした嫉妬心に気づいておらず、ありがた迷惑となっている。

 されど教師の言葉だ。断ることもできず、あれよあれよとトオルは、防具をつけて競技場の真ん中に突っ立っていた。


 取り囲むようにしてクラスメイトが歓声をあげている。多くは柴田を讃えるものばかりだ。中には「あいつが?」「つかそもそも誰?」「ナッツーっしょ」と大浜オープンの結果を疑問する言葉が公然と囁かれている。

 柴田のファンなのだろうか。制服の裾を振り乱し、キンキン声で応援する女子が校舎の窓からのぞけた。

 互いに持つのは得意武器だ。柴田は槍、トオルは刀だ。試合用と同じ能力補佐に加え、知覚能力も助ける。

 また、与えたダメージを計測し、安全対策のためのセーフティ機構も完備されていた。


「ね、ねえアーク」

『はぁぁ、やる気出ねぇなぁ』

「ちょ、ちょっと嘘でしょっ」

『どうせ見掛け倒しの肉饅頭なんだろ? オークは見飽きたぜ』


 辛辣に言ったアークは、飄々飛んだまま帰ってこない。

 そんなことを知らぬ教諭は、今にも合図を出そうとしていた。


「アークぅぅぅっ」

『ったく、男がんな情けねぇ声出すなよ』


 仕方ねぇと呟きながら、背後に回ったアークが両肩を掴む。

 同時、強烈な電子銃声が鳴り響き、立ち会う巨漢が全身を唸らせながら突貫してきた。


『じゃあ、いくぜ』


 そして来たるは全能の力。世界が止まり、あらゆる理から解脱する。

 あとは無我の境地へと向かうだけ。後に残るは敗者の瓦礫と、頂きに立つ己が待っている。

 そう、三界の覇者となるのだ。

 己が瞳に赤い輪が浮かび上がる。チカ、チカ、と弱々しく明滅しながら。

 そして――暴虐の全能感はいつまで経ってもやってこなかった。


『あー悪りぃ。なんか無理だわ』


 は?

 えっ、は?

 首を振りながらアークが言った。時計の針は動いたままだ。風を切る柴田の矛が、今か今かと唸っている。もちろん、持てる武器はトオルの意志それだけ。

 いや、今言わないでよ。

 呆然とするトオルの眼前で穂先が大写しになった。


「ぎょぺぶ!」


 痛烈な一撃で視界に星が流れる。

 無様に倒れ、トオルは保健室へと運ばれた。



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