第7話 ほんとに彼は「友達」ですか?

 話は一週間前に遡る。

 まもなく交代、というときに遅番のアルバイト二名から、今日は休みます、と連絡が入った。

「なんなのあいつら!」

 その話を聞いて、吉屋響が吠えた。ただでさえ声の大きな人だ。事務所で大声をあげたら、店内に丸聞こえだった。

「しーっ」

 由佳子は唇に人差し指を当てた。

「これだからボンクラ大学生どもは!」

 吉屋の怒りはまったく収まりそうもない。

「大丈夫です、わたし閉店までいるんで」

 由佳子は吉屋をたしなめた。ただでさえ定時に帰れない、しかもラストまでが決定となったのに、余計な体力を使わせるのはごめんこうむりたい。

「ワンオペなんて無理よ、わたしも残るわ」

 吉屋が腰に手を当て、宣言した。

「いいんですか?」

 正直助かる。商品知識がまだまだ乏しい由佳子一人で夜の混雑を捌くのは、試練でしかない。

「もちろん」

 吉屋は責任感が強く姉御肌だった。遅刻や欠勤にうるさい。遅番がちょっと遅れただけで、理由を問い詰める姿を見た。こういう風紀委員がいてくれるのは店として助かるが。すぐに沸騰のは困りものだ。

 光太郎に、今日の予定はキャンセル、とラインをした。アメコミを観にいく予定だった。由佳子自身は興味なく、約三時間映画を観るよりも帰って寝たかった。しばらく会っていなかったので、予定を入れたのだった。

 事務所に内線が入った。

「小梅出版の梅崎さんです、吉屋さんそっちにいますか?」

 幸田だった。

「営業さんですよ」

 そばでイライラしっぱなしの吉屋に、由佳子は伝えた。

「梅干しでしょう? いつも退勤寸前にくるのよねえ」

「梅崎さん……」

 吉屋は営業にあだ名をつけているのか。「小梅」の「梅崎」だからって、さすがにいかがなものか。

 吉屋が出ていった。

「じゃあ、失礼します」

 森が立ち上がった。気配を完全に殺していた。お年寄りを夜まで働かせるわけにもいかないし、そもそも頭数に入れていない。

「お疲れ様でした」

「予定あったんじゃないんですか」

 さっき映画に行く、と話してあった。

「大丈夫です。別にそこまで観たいものでもなかったし」

 ちょっと光太郎の顔を見たいな、と思っただけだった。

「だったらはじめから断ったほうがいいですね。時間の無駄ですよ」

 森がばさりと斬った。

「あちこちにいい顔しすぎですかね」

 さきほど遅番の若造が悪びれもせず、「休みます」と電話してきたときも、わかった、と受け入れてしまった。休むのなら代わりを見つけてきて、と言っても、ぎりぎりだし、と渋られた。こちらもぎりぎりだということをわかっちゃいない。すぐに諦めた。どうせこないのなら、頭を切り替えたほうが早い、自分がやればいい、と。

「倉橋さんの美点でもありますけど、他人の都合に自分の時間を譲りっぱなしだと、自分がぶれてしまいます。足元がおぼつかなくて、まっすぐに立てなくなります。今回は急でしたから仕方ないですが、遅番の学生たちにはきつく言ったほうがいいですね。酔っ払って頭が痛いから休むなんて、働いている自覚が足りません。世の中を舐めてもらっても結構、しかし仕事を舐めたらいけません」

 森は去っていった。

「レジ、代わらなきゃ」

 由佳子は独り言をつぶやいた。


「店長さん、やってんなあ」

 声がした。

 コミックコーナーにいる体格のよいスーツ姿の男が、にやけ顔で由佳子に手を振った。

「ちょっと、なんでいるのよ」

 光太郎だった。

「今日は営業回り、早めに終わったし直帰だったからさ。さっきまで近くの喫茶店にいたんだ。おどかしてやろうかと思ってさ」

 はい、差し入れ、と幸太郎は手にしていた袋を由佳子に押し付けた。

「弁当がうまそうだったから」

 大盛りのハンバーグ弁当が底にあった。パンとプリンもある。

「部活してる若者じゃないんだから」

 炭水化物多すぎやしない? と由佳子は笑った。

「ああ、なんか自分の感覚で選んでたなあ」

 光太郎はおおらかに笑った。好きなものを食べるために、ガチめのトレーニングを毎日こなしている男なだけある。

 袋越しに、弁当のあたたかさを感じる。由佳子は少しだけ涙ぐみそうになった。やっぱり自分は無理しているのかもしれない。

 そして、申し訳なさが襲ってきた。ラインで「ごめん」、はい終了、なんて、失礼すぎる。

「せっかく本屋にきたんだから買おうかな」

 光太郎が『進撃の巨人』を手に取った。

「社割で買っておこうか?」

「なに? 今日うちの家まで配達してくれるの?」

 少しどきりとした。

「いいよいいよ、すぐに読みたいから。展開気になるし」

 光太郎の笑顔に余計、由佳子は申し訳なくなった。

「ごめんね」

 由佳子は後ろ髪をひかれながら、レジに向かった。

「すみません、レジ入ります」

 凛に声をかけた。

「遅番軍団はどうしたんですか?」

「今日はお休み。頭が痛いんだって」

「たまにあるんです、あの人たち。だらしないったら」

 幸田は遅番の大学生と同じ年頃だが、彼らを子供扱いしている。

「そんなで大学卒業できるのかしら」

 幸田の表情は冷たかった。下と見たらとことん冷たいらしい。

「今日は帰って大丈夫よ」

「少し残って、棚を整理しています。なにかあったら声をかけてください」

 幸田がカウンターから出ようとすると、店内に大声が響いた。

「合コン!」

 レジのそばの児童書コーナーからである。有吉がずんぐりとした背の低い男性と話していた。

「吉屋さん、感情を声の大きさで表現しすぎ」

 幸田が顔をしかめた。

「いつ? どこで? だれと?」

 会話のようだが、吉屋の声ばかり聞こえてくる。興奮していることだけはわかった。さっき事務所で発した大声とはずいぶん違う。

「お会計お願いします」

 光太郎がやってきた。

「残りの巻、買わないでね」

 わたしはバーコードをスキャンしながら言った。

「ん?」

「わたしが後日届ける」

「そんなサービスこの店にあるのか?」

 光太郎がおどけて驚いた、という顔をした。

「わたしのサービス。どうせ近所なんだし」

「大丈夫か?」

 光太郎の口癖だった。

 落ちこんでいる人を見れば、そうやって声をかける。光太郎は誰にだって優しい。そこがちょっとばかり気に食わない。しかし、だから自分にも優しい。由佳子は思う。

「できるだけ、早く届ける」

 シュリンクを破るのに苦戦していると、幸田が一冊手にして、

「これは出版社がつけているビニールなんで、取りづらいんです。でも本のうしろに破きやすいように切れ目がついているんで」

 そう言って手際よく両手で横から引っ張り、あけた。

「すごい!」

 光太郎が拍手をした。

「……常識ですから」

 幸田が照れた。

「もしかして、こちらのお客さま」

「どうも、いつもお世話になってます、倉橋の大学からの友人の鷹村です」

 光太郎は営業らしく爽やかに自己紹介をした。

「そうなんですか……」

 ぼんやりと幸田が答えた。

 光太郎は幸田の顔をじっと眺めている。

「どうかした?」

 由佳子は訊ねた。

「こちらの……幸田さん?」

 光太郎がエプロンについているネームプレートを見て、言った。

「似ていない? 大庭に」

 そう言われ、由佳子は幸田の顔を見た。幸田はなにが起きているのかわからないらしく、表情を固くしている。

「なんですか」

「そうかな……、よく、わからないな」

 由佳子は曖昧に答えた。動悸が起こっている。そして、その名前を久しぶりに聞いて、気持ちがざわついた。言われれば確かに、大庭ニナに似ている、かもしれない。

「いや、なんだかすごく似てるよ、うん、ほんとうによく似ている」

 光太郎は初対面の相手を失礼なくらいに眺めた。

「お友達、ですか?」

「大学の同期でいたんです。いつも本を読んでいた。図書館か、本屋にいた」

 心から懐かしそうに、光太郎が言う。死んだ恋人、とは言わなかった。

「あれ、なんだったっけ、ガラスの本」

「なに?」

「ガラスがタイトルにあって、大庭がいっつもカバンに入れて持ち歩いていたやつ。題名は……、俺も一度読もうとしてみたんだけど、部活が忙しくって放り投げちゃったんだよなあ、黒っぽい? 紺色っぽい表紙の……」

「部活があっても小説なんて読まないでしょ」

 由佳子は憎まれ口を叩きながら、どんどん自分が縮こまっていく気がする。

 このまま小さく、小さく、誰からも見えなくなってしまうのではないか、と不安になるほどだった。

「海外の作家ですか」

 幸田が訊ねた。

「たしか、そう」

 幸田が、すっと、カウンターから出ていった。

「もしかして、探してくれるのかな」

 光太郎は幸田の去っていったほうを目で追った。

「似てないでしょ」

「ん?」

「似てない、幸田さんは似ていない」

 できるだけ、平静を装って告げた。

 鈍感な光太郎にはきっとばれない、ばれてくれるな、と願った。

「そうかなあ」

 光太郎は頭を掻いた。

 お客さんが会計をしにやってきた。

 まるで監視されているみたいに緊張した。この緊張は、仕事している姿を、友人に見られているから、だけではなかった。

「これじゃないですか?」

 幸田がやってきて、光太郎に文庫本を手渡した。

「これだ!」

 光太郎が大喜びしているのを視界の端に捉えながら、由佳子はぎこちなく接客をした。

「ありがとう、これも買うね」

「わたしも、すごく好きな本なんです。だから、嬉しいです」

 列の最後に光太郎は並んだ。

「手伝います」

 幸田がカウンターに入った。なんだか、頬が上気しているように見えた。いつもより表情が柔らかい。

「あっ」

 由佳子は図書カードリーダーからでてきたレシートを見て、声をあげた。

「どうしました?」

 幸田が怪訝そうに訊ねた。

「図書カード、間違った額を引き出してしまいました」

 由佳子はカウンター越しのお客さんに頭をさげた。


 光太郎が去ってからも、由佳子は不安を払うことができなかった。閉店までの時間がとても長く感じられた。

 幸田は珍しく、「気にしないほうがいいですよ」と優しい言葉をかけた。光太郎が去ってから、由佳子がテンパっていると感じたのだろう。

「ひさしぶりに返品しましたけど、託送票が残りわずかでした。遅番、ちゃんとドライバーさんにくださいってメモ残しているのかしら」

 結局最後まで幸田もいてくれた。

「明日聞けば? わたしたちが先に先にやろうとすると、あの子たち、すーぐ膨れるんだから」

 吉屋は肩を揉んでいた。

「八時間後には出勤ですからね、今日は帰りましょう」

 幸田が腕を伸ばした。

「ごめんなさいね」

 由佳子は謝った。

「学校があるのをわかってるのに、遅番に『早くきて!』って無茶振りすることもあるし、お互い様よ。それにワンオペじゃ今日はさばけなかったって」

 吉屋は慣れた手つきで釣り銭準備金を数えている。

「そうですよ、シフトぎりぎりだし、突然誰か休んじゃったとき大変なのは、当たり前ですから」

 まったく、早番に頼りっぽなし、まかせっぱなしだ。

「そうね」

「ところで、わたしも緊急事態なんだけどさ」

 吉屋が身を乗り出した。

「えっ、お休みですか?」

 由佳子はいつもシフト作成に頭を悩ませている。いま一人でも欠けたら、この店は崩壊してしまう。

 自分が先か、店が先かのせめぎ合いとなってしまう。

「ちがう、来週仕事終わりに、ちょっと飲まない?」

「飲み会ですか? わたしお酒飲めないのでいいです」

 幸田は首を振った。

「凛ちゃんは絶対参加。それと倉橋さんもお願い!」

 吉屋が手を合わせて拝んだ。

「どういうことですか?」

 由佳子はさっぱりわからなかったが、ひさしぶりに大勢で飲んでみるのもいいかもしれない。親睦も兼ねて。

「合コン行こ!」

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