第3話 おかえりの祈り・後編
アンティーク調の店内。いつものゆったりとした雰囲気とは反対の、緊迫した空気が流れている。一言発するだけ、一歩横に動く事すらはばかられるような緊張感。義介と、ボンと、夫婦。何が生み出したわけでもない三すくみが生まれ、皆が動けなくなっている。
知ってか知らずか―――いや、恐らく意図的だろうが―――ボンの「にゃあ」という一声で緊張の意図は緩み、義介と夫婦で笑い合う余裕が生まれる。内心ボンに感謝しつつ、義介は本題に入る前のコーヒーブレイクを図る。
「コーヒー、入れましょうか」
「え、ええ。いただきます。正直もう腰が抜けそうで」
男性はそう言うと窓際の椅子に座り込んだ。よほど、よほど緊張していたのだろう。同じように女性も座り込む。二人で肩を合わせてため息をつく。無理もない。先ほどまで大地震かと思うほどの揺れに襲われていたのだから―――それが亡くなった娘さんに由来するのだから。
義介は電気ポットでお湯を沸かし、マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れる。コーヒーは好きだがドリップコーヒーを淹れようとまでは思わない。ドリップコーヒーがめんどくさいというよりは、インスタントコーヒーの便利さが勝つのだ。
お湯が沸くまでのほんの少しの間に、義介は冷蔵庫からフリーズドライの帆立を2粒取り出す。そしてボンの元へ。
「ありがとう、ボン」
「にゃぁ」
あくまで猫と飼い主のやり取りのように、義介はボンに帆立を渡す。立場はむしろ逆なのだが。先ほどの揺れの原因である霊―――恐らく夫婦の娘―――を、言い方は悪いが追い払ったのも、そのあとの緊張感を取り去ったのもボンなのだ。故に、これはおやつというよりお礼、みつぎ物に近いかもしれない。なんとなく、猫用のおやつであることは黙っている。
かち。電気ポットがお湯が沸いたことを告げる。目分量でお湯を入れ、フレッシュと砂糖と共に夫婦の元へ持っていく。
「すいません、テーブルがないもので。ミルクと砂糖はご自由に」
お盆を差出し、取るように促す。男性はミルクを、女性は両方を取った。義介はブラックだ。カウンターに戻り、少しだけ距離を取る。窓際からカウンターまで2歩あるかないか。顔も見えるし声も聞こえる。何より、程よい距離というのはコミュニケーションには欠かせない。3人、それぞれ一口飲む。コーヒーの香りよりも、苦みよりも、まず温かい飲み物がざわついた心を落ち着けてくれる。思わずふぅ、とため息が出る。それは義介の目の前の夫婦も同じだったようだ。
「コーヒー、ありがとうございます。僕は、半田恭介(はんだきょうすけ)と申します。こちらは妻の幸子(さちこ)です」
恭介の紹介で、幸子は頭を下げる。
「この度は助けていただき、本当にありがとうございました」
「いえ、改めまして。百八義介と申します。先ほどもお聞きしましたが、その―――」
義介が言い淀んだ言葉に夫婦は気づいたようだった。
「はい、あれは僕たちの娘です」
『こじれるぞ』
ボンの言ったとおりになった。ボン曰く『素人に毛が生えた程度の強引な降霊術』によってこじれたのが、この二人の娘なのだろう。今日は店仕舞いだな、義介は少しだけ腹を括った。
「少しお待ちくださいね」
義介は二人を置いて店の外に出る。そして入り口以外のシャッターを閉め、「CLOSED」の看板を掛ける。これで誰も入ってこないだろう。
「すみません。私たちのせいでお店が………」
妻、幸子は申し訳がなさそうに頭を下げる。
「いいえ、祈祷師としての仕事をするだけですから。よろしければお二人のお話を聞かせてください」
恭介は神妙な面持ちで、じっとマグカップを見つめる。その様子を幸子は肌で感じているようだ。口を開こうとはしない。二人が話し出せるようになるまで、義介はじっと待つ。ここで急いでもしょうがない。というより、二人がじっくりと考え抜いた言葉の方が真に迫っていることの方が多い。義介はいつもそう自分に言い聞かせる。
やがて。
「先日。こちらに来た時に、お祈りをご提案いただきました。ですが僕たちはそれでは、その、満足ができなかったのです。もう一度、娘に会いたかったのです」
~~~
始めに、インターネットで霊媒師の方を探しました。百八さんと同じように、霊とかそういうのを商売にされている方は多いんだなぁと思いました。その中から一人、恐山で修行をして実績があるという方に連絡を取りました。すごく人当たりのいい方で、その時は安心したのを覚えています。
提示された金額は、普段ならとても払えるものではありませんでした。ですが「これくらいが相場だ」と、「人の魂を降ろすのだから私にもリスクがある。リスクを含めてこの料金を貰っている」と。そう言われるとこちらとしては何も言えません。幸か不幸か、娘が亡くなった時の慰謝料がありましたので、それで払うことができました。
ああ、いい忘れていました。娘は交通事故で亡くなりました。交差点で信号を待っているときに、娘は少しだけ私たち夫婦から離れたところに居ました。そこにダンプカーが突っ込んできて―――。
恭介はコーヒーを一口飲む。
私たちが、私がここあから離れていたのがいけなかったんです。もしあの時ちゃんと手を繋いでいたら、せめて私たちどちらかの隣に居たら―――
幸子。もうよくわかってる。今はその話をする時じゃない。
恭介は幸子の肩を抱き、話を進めた。
そうですね。娘が亡くなった時の話もしました。ああ、そういえば「交通事故なら一緒にお清めもしておきましょう」と言われました。それ込みの料金で800万。そう言われました。安くはありません。でも、娘ともう一度話せるのならそれは安いと思いました。後払いでいいと言われたので、詐欺だとは思いませんでした。当日は霊媒師の方が娘の霊を連れて自宅へ来てくれるとのことでした。そのあたりはあまり説明してくれませんでしたが、それまでの対応が親切だったので信じることにしました。
初老の男性でした。目が、妙に瞳孔が開いていたのを覚えています。ちょっとびっくりしましたが、霊媒師の方ならあり得るのかも、とか思いました。
うちのリビングで、話をしました。僕たちからは謝罪を、娘からは近況を聞きました。姿かたちも声も初老の男性でしたが、確かに娘と話したという実感を得ることができました。
ええ、その後からです。家にいるときに、娘の声や足音が聞こえるようになりました。まるでそこにいるかのように。いないのはわかっています。でも聞こえるんです。そこにいるんです。混乱して、すぐに霊媒師の方連絡を取りましたが繋がりませんでした。
娘は私たちが寝ていてもお構いなしに物音をたてます。苦情が来ないのが不思議なくらいです。仕方がないので私たちのどちらかが起きていて、作業をしながら娘に話しかけるようにしました。すると、もう片方は寝られるようになりました。そうなってから2週間です。
一呼吸置いて。
僕たちは娘が苦しんでいるんじゃないかと思います。何度も何度も霊媒師には連絡しましたし、インターネット上で他の霊媒師や祈祷師の方にも連絡をしました。ですが皆さん引き受けてくれません―――もう、ここだけが頼りなんです。
~~~
噛み殺さなくて正解だった。
薄々わかっていたが、あれは迷子だ。それでいて未練は強い。褒めるのは癪だが、義介の護符はそれなりの強度がある。その護符を燃やしつくしかけたんだから、よほど名残惜しいものがあるのだろう。
親子の愛、というやつなのか。人間の言う親子とか血縁とかいうものはよくわからん。血のつながりというやつを大切にするくせに、平気で利用したり殺したりする。その神経がわからん上に、あそこまで両親に執着する理由もわからん。
なんにせよ、追い払うだけにしておいて正解だった。あそこで噛み殺していたら義介に何を言われたかわかったものではない。何より、交通事故で娘を一度失った夫婦が、娘を妖怪に噛み殺された夫婦のレッテルまで背負うことになるのだ。さすがにそれは不憫というものだろう。
~~~
「私からご提案できるのは、一つです」
義介の言葉を、夫婦は鬼気迫る表情で聞き入った。
「私がご提案するのは、『あるべきところへ還る祈り』になります」
「あるべきところに還る………」
幸子が復唱する。意味をかみしめる様に。
「はい。残念ですが娘さんの居場所は、もうこちら側にはありません。ですので、あちら側に送り還すことになります」
夫婦は無言のまま。義介はそれを了承ととった。
「娘さんにはまずはお家から、事故現場へと戻ってもらいます。そしてそこからあちら側へ戻ってもらいます。それで、祈りは終了です」
続けざまに、義介は料金の説明に入る。この手の話に情を持ち込まない。悲しんでも、悔やんでも、もうこの人たちの娘さんは元には戻らないのだ。故に、義介の取るべきスタンスは一つだ。
「まず、事故現場へと戻す祈り。こちらは5万円になります。それからあちら側へ戻ってもらう祈り、こちらが12万円です。合わせて17万円いただきます」
「少し、考えさせてもらえませんか」
口を開いたのは恭介の方。
「ええ、二人で相談なさってください。ただし、店内で。今日中にお返事をいただきたく思います」
そう言うと義介は奥の作業台に籠った。二人には時間がいる。だが娘さんの方には時間がない―――悪霊になってしまう可能性も否定できないのだ。
霊はそこらかしこに存在している。ボンのような妖怪も含めればその数はもっと増える。だがそのほとんどはただ存在しているだけのことが多い。それらの霊は多かれ少なかれ未練を残してこちら側にいるが、その未練を果たそうとする意欲はそうないのだ。未練を、まるでアルバムをめくるような気持ちで見ることで彼らは満たされることが多い。とされている。
だが、夫婦の娘さん。ここあちゃんは違う。彼女は強烈な未練とエネルギーを持っている。その未練を果たせぬままエネルギーだけが暴走した霊のことを悪霊と呼ぶ。そうなる前に、彼女を送り還さないといけない。故に、夫婦に余裕を与えるわけにはいかないのだ。
花墨の戸棚を開ける。これらはすべて義介が生成した花の灰だ。義介は祈りを花言葉と結びつけて行う。それぞれの花言葉と祈りの目的を照らし合わせ、最も適した花墨を選ぶ。バイカウツギ『回想』。エキザカム『復帰』。そしてユウセンギク『さようなら』。
「百八さん」
男性の声がする。
「娘を、お願いします」
鼻声。
~~~
作業は至極簡単で、単純で、残酷。だから義介はそれほど説明をしていない。バイカウツギの花墨を用いた紙製の『回想』の護符で家と事故現場を紐づける。これは「あるべきところを思い出すように」という祈り。同時に、家全体に「送還」の祈りをかける。これは結果的に「家から追い出す」祈り。
彼女は家に居場所がなくなり、『回想』しながら事故現場へとたどり着く。交差点で、回想の護符を辿り彼女が来たことをボンが確認し、義介は回想の護符の周りに送還の護符を置く。同時に、家で夫婦に回想の護符を外して燃やしてもらう。もう彼女に逃げ場はない。
あとはもう待つしかなかった。彼女が護符に囲まれ、唯一開けているのはあちら側への道、次元のずれの方向。彼女がそちらを選んで歩き始めることを、もう”祈る”ことしかできない。
5時間待った。昼前に始めたから、もう日が暮れるころ。下校していく小学生を眺めながら義介はただ待ち続けた。端から見ると不審者に見えただろう。警邏中の警察官が声をかけてくる。
「こんにちは。ちょっとお話、よろしいですか」
「ええ。私は百八義介と申します」
義介は立ち上がり名刺を差し出す。すると警察官は納得した表情を見せた。
「あなたが百八さんでしたか」
「ご存じでしたか。いや、お恥ずかしいですね」
「………この事故は私も現場に居ました。ですので、百八さんが来られている理由はわかっているつもりです」
彼は神妙な面持ちで、姿勢をただした。
「ありがとうございます。我々にはできない被害者のケアをしてくださって。本当に、ありがとうございます」
「いえ、お互いの役割を果たしているだけですから」
「ですがあなたの役割に、あの家族は救われているはずです。では」
警邏に戻る彼を見送る。
地面に置いた5枚の護符を見る。『回想』の護符がほんのり赤くなっている。もう、タイムリミットだ。
義介は『回想』の護符を破り捨てた。そして手を合わせ、祈る。四方に置かれた『送還』の護符が赤くなっていく。義介は祈る。ただ。『あるべきところへ』と。
5分ほど経った頃。
護符は元の紙の色に戻り、あたりはすっかり暗くなっている。義介がほっと一息ついたころ、目の前の輪郭がゆがみ、ボンが現れた。
「いったぞ。ちゃんと」
「………ええ。ありがとうございます」
「………今日、帆立食べていいぞ」
ボンは再び輪郭を歪め、街の景色へと消えていく。
義介は護符を片付け、立ち上がりため息を一つ。あれ、猫用なんだよね。
~~~
半田夫婦へは、無事に娘さんが戻ったことを報告した。感謝の言葉と、伝えていたより少し多い金額を受け取った。元の、いやむしろ新しい生活がこれで始められます。とのことだ。
狭いアンティーク調の店内には義介と、ボンと。客のいない商店街が外に広がる変わらない日常が戻ってきていた。
「おい義介」
「なんですか、ボンさん」
「お前なんで陰陽師って名乗らないんだ」
「私は祈祷師ですから」
今回のそれは、祈りというにはあまりにも荒々しく乱暴で強引なものであった。端的に言うと、彼女の居場所をこの世からなくし、絞り出すようにしてあちらへと追いやったのだ。それはもはや”祈り”と呼ぶには過ぎる。”陰陽道ではないか”と指摘されてもしょうがないことではあった。
「お前の腕なら十分陰陽師としてやっていけるだろうに。もったいないねぇ」
「私だって今回のは不本意でしたよ。詐欺師まがいの霊媒師とやらがいらんことするからですよ」
義介には珍しく、その語気には少々の怒りが混ざっている。
「そういやそいつどうなったの。野放し?」
「いいえ、本町神社に報告してあります」
「そうかい。取っ捕まるといいな」
ボンの発言に、義介は鳩に豆鉄砲を食らったような顔をする。
「なんだよ」
「いや、ボンさんこっち側なんですね。てっきり騙される方が悪いってスタンスかと」
ボンは大あくびを一つ。
「おれは曲がったことも嘘つきも否定はしねえよ。けどな。霊とか妖怪とかのことをわかった風に喋る奴が嫌いなんだよ」
「じゃあ私も該当するんじゃないですか」
義介はかねてより疑問に思うことがあった。数百年を生き、時に陰陽師に追われて過ごす妖怪猫又。そんな存在が何故この店に、自分に良くしてくれるのか。陰陽師とは名乗らないにしても、その気になれば義介はボンを祓うこともできるのに。
「お前は、自分の領分をわきまえてる。そうだろ」
しっくりくるような、こないような。ただ少なくとも、義介は「自分が何でもできる」なんて思ったことはなかった。きっとそんなことを思っていたなら、「祈祷師」と名乗ることは無かっただろうから。
「おれ、今日ハンバーガーがいい」
「じゃあ駅前まで行って買ってきます。何バーガーがいいですか?」
「てりやき」
数百年を生きる猫又には、塩分も何もないらしい。この世はまだ自分には理解できないことに満ちている。
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