お兄ちゃんは許しませんっ!

狼蝶

第1話 一点の曇りもない我が人生だったはず・・・?




 ゆったりとしたルームウェアに着替え、珈琲を飲もうとヤカンを火にかけたところでインターホンが鳴り響いた。

 おそらく弟だろうと思い彼の分のカップも棚から出して用意をしていると、高校生になったにしては少し高めの『ただいまー』という声と共に本人だけでない複数の足音が聞こえてくる。

 友達でも来たのだろうかと顔を上げると同時にリビングの扉が開き、数人の男子高校生たちが入ってきた。その真ん中には自分の弟がおり、肩には隣の男の腕が回されている。


 その姿を見た瞬間、ふらりと目眩がして咄嗟に台に手をついて身体を支えた。『おかえり』という言葉が口から出ず、目眩は酷くなる一方で目の前がチカチカして気分が悪くなる。酷い頭痛もし出していよいよ立っていられなくなった。焦ったような足音と弟の声が頭の中でこだまし、意識が朦朧としてくる。

 倒れる瞬間、自分が今まで自信を持って歩んできた人生が、本当は自分の物ではなかったことに気づいた。


********




 光沢のある紺色のネクタイを首元で結びながら、海野うみの海矢まりやは最愛の弟が今日から高校生になるということに成長の早さを感じていた。

 海矢の弟、愛海あいみは今日から高校生だ。愛海は海矢の一つ下だがまだまだ幼く、今でも甘えん坊な時もある。そんな弟がもう高校生ということに、海矢は感動で目に涙が滲んできた。

 愛海は控えめに言ってとても可愛いく、真面目に言うと全世界で一番可愛い。まさに目に入れても痛くない、そんな存在である。何故それほどまでに溺愛しているのかというと、昔から共働きでほとんど家にいない両親に替わり愛海の面倒を見てきたのは海矢だからだ。愛海は自分が育てたと言っても過言ではない。


 愛海は本当に可愛い。色は白くてほっぺたはもちもち。柔らかい髪の毛は触り心地最高で、ちょこんとした目で兄の姿を追い『にいちゃ、にいちゃ』と言いながら行くところをついてくる様子はまるでヒヨコのようで庇護欲がそそられる。そうだ、愛海はヒヨコに似ている。可愛くて、可愛くて、心の底から愛おしい存在。

 そんな愛海が海矢と同じ名門男子高に入学することに、一抹どころか非常に大きな不安を感じる。男子校と言えば、当然女子はいない。そんな中にこんなに可愛い愛海が入ったら・・・まるで飢えた獣の巣に美味そうな獲物を放り投げるようなものである。

 そんな最悪な状況を想像しながら身支度をしていると、廊下をバタバタと走る音がして部屋のドアが勢いよく開かれた。


「兄ちゃん!ネクタイ、やって!!」


 襟元には、どうやったらそうなるのか理解不能なほどに絡まっているネクタイ。ふわふわな髪はどんな寝方をしたのかわからないほど盛大に撥ねており、シャツも上手くズボンに入っておらず裾の部分がしわくちゃになっている。

 手でキュッと綺麗な結び目を作り身支度が整った海矢は、とても入学式当日の朝とは思えないほど悲惨な状態である最愛の弟に目を向け、ふっと口の端を上げた。



********



 「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。在学生を代表して、祝辞を述べさせていただきます――」



 パチパチパチと保護者の拍手に緊張を含んだ目で去って行く新入生たちを見送って無事に入学式を終えたことにほっと息をつき、ガチガチになっていた愛海の姿を思い出して可愛さに悶えていたのがもう数日前のこと。

 学校は通常の授業が始まり、休み明けに交わされていた会話も普段のものに替わりつつある。



「おいまりあー、溜息ばっか零して、どした?」


「おいっ“まりあ”って呼ぶんじゃねぇって言ってんだろ!」


 愛海は男子校で無事に過ごしてるかという心配が耐えない海矢は、隣の席でヘラヘラとしている新妻にいづま大空だいあを軽く睨み付けた。

 海好きで今現在も綺麗な海に釣られて夫婦で海外出張している両親に付けられた名前は、小さい頃から海矢のコンプレックスの一つだった。人から名前を呼ばれると『まりあ』としか聞こえず、皆からの視線が嫌だったのだ。それなのに毎回わざと『まりあ』と呼んでくる大空は、高校で初めてできた海矢の友達と呼べる相手である。高身長に甘いマスクで女子からの人気も高く、現在生徒会長である海矢を補佐する、副生徒会長を務めている。

 『ちゃんと“まりや”って言いましたー』と肩を竦めて反省の色を見せない大空にいつものこととスルーし、大空に向けた顔を元に戻した。


「あ~、アレ?入学式の挨拶で最後に名前言った時にザワついたこと気にしてんの?気にすんなって~。お前は成績優秀、スポーツ万能、みんなからの信頼も厚い我が校のイケメン生徒会長様だろ?堂々としてろっ」


「あ゛あ゛~だからそんなこと気にしてねぇって!もう名前の話題を出すなっ」


「はいはいっと。でもやっぱ“まりあ”って可愛いよね」


「てめぇわざとだろ・・・」



 大空の言うとおり、海矢は頭がよくて成績は常にトップであり、天性の運動神経の良さからどのスポーツも難なくこなすことができる。クラスメイトたちにより一年生で副生徒会長に推薦され見事抜擢されてから生徒会の仕事にも関わるようになり、今では全校生徒が認める生徒会長だ。

 そんな文句の付け所がないほど完璧で順調な人生。胸を張れる人生を、海矢は自身の足でこれまで歩んできたと、そう、思ってきた。

 だが近頃、自分の人生にふと違和感を抱くようになったのだ。絵に描いたような完璧な人生。皆が血涙を流して欲しがるような可愛らしい弟、恵まれた家庭に気の置けない友人。これは海矢にとってリアルな人生のはず。実際に自分で生きてきた正真正銘自分の人生であるのに、どこかでリアルではないという感覚が不安を煽ってくる。

 その不安と違和感の正体が、その日弟が男友達を連れて家に帰ってきたのを目にした瞬間頭をよぎった。








********



「兄ちゃん!兄ちゃん大丈夫!!?」


「あ・・・ああ。すまんもう大丈夫だ」



 一過性の急激な頭痛が治まり、余韻の残る頭を押さえて心配そうにこちらを覗く愛海を安心させようと顔を上げた――その瞬間、見慣れた弟の顔がなんだか至極久しぶりに見たような異様な感覚に陥り、次に何かが頭に引っかかっているような感じがした。そもそも、弟たちの周りで同じように海矢を心配げに見つめる男たちの顔もなんだか見たことがあるような気がする。一人は海矢と愛海の幼馴染みの桐村きりむら辰巳たつみだが、その“知っている”ではない、どこかで昔会ったことがあるような感覚だ。

 次の瞬間、海矢はそうか・・・と小さく呟いた。最近自分の人生に感じていた根拠のない違和感の正体がわかったのだ。


 この世界は、前世妹が夢中になって呼んでいた愛読書の中のものであるということを思い出したのだ。そう思うと今までずっと一緒に暮らしてきた弟の顔は表紙の中央にいた青年の顔にそっくりだし、今目の前に立っている男たちの中にも主人公の青年の周りに描かれていた顔と一致する者がいる。ずっと頭に引っかかっていた謎が解けたように海矢の意識は晴れやかで、スッキリしたという爽快さが感じられた。

 海矢はその本の内容をあまり知らないが、主人公の愛海が高校で出会った彼らと愛し愛される関係になるということは知っていた。


 だがそこで海矢は思った。“フザケルナ”と。

 手塩にかけて育ててきた可愛い可愛い自分の弟を、そう簡単に男たちに渡してたまるか、と。


 話の内容には興味はなかったが、妹の話を聞いていて一つだけ思ったことがある。それは主人公の青年が気の毒だということだ。男たちのアレを、アソコで受け入れるなど、痛くないはずがないだろう。

 そんな可哀想な目に、愛海を合わせられるわけがない。そんなことは絶対に許さない。

 海矢の中で、ひしひしと炎が上りだした。



「あーよかった。あっ、そうだ!今日友達が家に泊まりたいっていうから連れてきちゃった。一緒にこないだ買ったゲームするんだ!ね、いいでしょ兄ちゃん?」


 可愛く笑う愛海に、周りの奴は頬を染めて見惚れる。こんな・・・こんなケダモノたちを家に上げるなんてっっ・・・・・・。

 愛海の部屋でイヤらしいことなんてっ

 そんなことっ、そんなことっ、



「お兄ちゃんは許しませんっ!」


 海矢の我を忘れた叫びは、リビング中に響き渡った。






























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