森の中の大賢者

ひまとま

大賢者へと至る道

第0話 世界の異物

0-1 始まりは私利私欲から

 とある場所のとある一室にて、ピチャピチャと水気のある物を何かに叩きつけるような音と、調子外れな鼻歌が聞こえる。その音はその部屋のみで聞こえている音であり、外に漏れ出るほどの音ではない。だが、そんな小さな音でも、その中心にいる人物は楽しげだ。

 部屋では、鏡台の前に座るのは1人の女性。美しい金髪に、透き通るような碧眼。服装は染み一つ無い真っ白な布を使用した、まるでギリシャ神が着ているようなそんな服を着ている。そんな女性が、自身の顔に何やら水のような透明な液体をつけていた。


「この保湿ローションもこれで最後か〜」


 女性はピチャピチャと肌に液体をつけながら、チラッと机の上に置いたボトルを見る。


「結構気に入ってたんだけどなぁ〜。地球にしか売ってないし……どうしよっか」


 本来は保湿ローションなるものは、肌に擦り付けるのではなく、肌に馴染ませるようにしてやるものであって、洗顔後あるいは入浴後につけるのが良いとどこかで聞いたことがあるのだが、この女性はそんなことはせずにピチャピチャゴシゴシと擦り付けていた。


 保湿剤を塗り終わったのか、鏡に映る少しつやのある自身の顔を見て呟いた。


「うん。今日も私は綺麗きれいで美しい。妖艶ようえんな美女と万人から言われても過言かごんではない程ね。こんな美人にしてくれた化粧品を紹介してくれた信者に感謝しなきゃね〜!」


 はたから見ればナルシストな女性だと見られがちかもしれないが、『信者』という言葉と我々が住んでいる世界を『地球』と言い表していることから、実は彼女が別の世界の住人であり、さらにその他大勢の人物から崇められている存在であることがうかがえる。

 つまり、このことから推測できることはただひとつ。


「やっぱり美の女神たるもの、美しいひとでいなきゃね?」


 この女性は異世界の女神様である。


 ***


『女神様ぁ〜、会議の時間ですよぉ〜』


 扉の外から、のんびりとした少女の声が聞こえた。

『会議』というのは、時折開かれる神々の話し合いの場である。


 例えば、世界をどのように進化させていけばいいか、どの程度の介入をすれば技術が発展するか、文化や医療や食物等……世界の中で暮らす人間達がどうすれば絶滅せずに暮らしていけるか。

 世界を創り出した神々は、お互いが苦手な場所をおぎなったり、持っている知識や情報を交換したりして、世界を発展させるために会議を開くのだ。


 要するに、この世界はまだ創りたての、まだまだ赤ちゃんの世界なのだ。


 少しでも刺激すると、あっという間に悪い方向へとかたむいてしまうほど繊細な世界。それを何とかして良い方向へ持っていき、滅ぼさないようにするのが彼ら神々の大事な仕事である。


 そう。『大事な』仕事である。


「今忙しいから、あと少しで行くと伝えてらっしゃい」

『わかりましたぁ〜』

「さて……と」


 スッと目を細め、暗殺者の如く素早い動きで扉へと近寄り、聞き耳を立てる。


 トテトテと声の持ち主の足音が遠ざかっていく。

 その様子を確認して満足したのか、小さく「よしっ」と呟いてガッツポーズをした彼女は、再び鏡台の前へと戻り、座り直した。

 そして、化粧品が入っているであろう引き出しを開けると、中を確認し始めた。


「少なくなった物と、中身が無くなっちゃったのは……と」


 大事な仕事より、自身の美を高めることで忙しいとおっしゃる美の女神。

 ガサゴソと漁りながら引き出しの中身をかき回す。そんなに数を持っているらしいが、化粧品は多ければ良いという訳ではない、と思うのだよ。うん。


 確認し終えた彼女は、左手には手鏡を持ち、右手の人差し指は何もない空間へと向け始めた。


 宙へ向けた人差し指は、人には見えない何かを触っているようだ。その様子はまるで、地球に存在するタブレットを操作しているように見える。

 左手にもつ手鏡は自分を映し出しているのか、それにしては目を手鏡へと向けていないようにも見える。


「これとこれと……後はこれも、と♪

 やっぱ私のように美しさを保ち続ける天才には、信者からの寄付金が必要なの♪」


 何やら楽しげに気になることを言いながら、ツンツンと同じような場所をつつく仕草をする彼女に、何やら欲しいものを目一杯買うような危うい印象を持ってしまう。

 先ほどの言葉から推測するに、信者から奉納されている金銭を寄付金と呼び、そしてその金銭で化粧品を買っているらしい。他の神様がどうしているのかは不明だが、おそらく、神としてしてはいけないことをやっているような、そんな雰囲気がする。


「後は……あぁぁああああ!!!はっ!」


 何かを見つけたのか、大声で叫び、何かに気付いたのかすぐに口を塞ぐ女神。


 そして小さな囁き声で、「げ……げんてい……ひん……?」と呟いていた。


 残り一つとか、今ならこの値段でとか、上手い言い回しで買い物客を惹きつける手法をとっているのか、女神様が悲鳴を上げるような品があったのは確かだ。

 そして、自らの手鏡へと右手を突っ込んだ。


 ……突っ込んだ?


 ……いや、どっからどう見ても突っ込んでいる。あの小さな手鏡に、自らの腕を肘まで突っ込んで中を掻き回している。鏡だと思った物が、実は物を入れるための袋の代わりだったとか誰が予想できるのだろうか。


 ジャラッという音ともに、鏡から手が引き抜かれる。その手には、銀色のコインが数枚と、茶色いコインが数枚。まるで百円玉と十円玉のように見えるが、そのコインの表面には数字が書かれておらず、何やら少女の横顔のようなものが描かれている。しかし、美の女神である彼女の顔とはまた別の顔。つまり、別の人間、あるいは神の顔が描かれているということだ。


 手に乗っているコインの数を見て顔をしかめた彼女。


「お金が足りない……圧倒的に足りない……!」


 どうやら、『限定品残りあとわずか』と書かれていたらしい。


「最終手段はあるけど……うーん、後の処理が面倒くさいのよねぇ」


 ここで彼女が悩む『最終手段』について解説しよう。

『最終手段』とは、この女神が信仰されている世界、あるいは別の異世界に生きとし生けるものをにえとし、足りない金額を補うという物だ。これは俗に言う、借金と何ら変わらない。生け贄にされた生物は即座に手段を実行した者の元へと送られ、その後の処理は自分でしなければいけない、という誓約付きだが。


 理不尽極まりないような手段だが、これはあくまでも最終手段であり、そして主に悪魔と呼ばれる生物が使用する裏の手段でもある。つまり、神が使用してはいけない手段である。


 しかし、さも当然のように最終手段を口に出す女神。

 これは……過去に一度やっている者の発言だ。しかも後処理とか言ってる。


 過去に生け贄として送り込まれた生物は一体どうなったのだろうか……。


「前回はバレなかったし……まぁ今回も大丈夫でしょう!」


 この女神、自分の私欲を満たすために、また生け贄を選ぶつもりだ。


 その時、コンコンと扉がノックされた。


『女神様ぁ〜、まだですかぁ〜?』


 バッと扉の方を見る女神。その顔は余裕のある表情ではなく、悪事を暴かれそうな悪人のような引きった表情をしていた。が、すぐに平常心を取り戻したのか、先ほどのような余裕のある笑顔に戻り、扉の向こうにいる少女へ返答した。


「もうちょっと!もうちょっとだから!待っててちょうだい!」


 その笑顔は少しだけ引き攣っていたが、そんな表情が見えない外の少女は『は〜い』という返事だけすると、またトテトテと扉の前を離れていってしまった。


「よし……善は急げっていう言葉が地球にあったはず……やるなら今しかない!送られてきた奴は全部この世界に放り込めば良いのよ!」


 バレなければ何をやってもいい。そういう思考を持っている彼女は、迫る会議の時間に焦りながら、空中にあるであろうタブレットを操作し始めた。


「世界は『地球』。生物はランダムで、国籍もランダム。年齢も性別も……ああもう面倒くさい!世界の指定以外は全部ランダムにしてやるわ!!」


 地球から何が送られてくるかわからない。人間なのか、それとも虫なのか、別の生き物なのか。地球に存在する生き物であれば何でも良いという選択をした美の女神。


 果たしてその選択が良い結果になるのか、それとも悪い結果になるのかは、誰にも予想できない。


 女神の部屋の中心、鏡台と扉から離れた場所に二重の円が描かれ、その中に地球の絵が描かれる。その地球はゆっくりと回っており、そして……まばゆい光に部屋が飲み込まれた。


 ***


 光が収まると、円の中心に描かれていた地球は消え、二重の円の中心には一人の青年が立っていた。

 リュックを背負って、真っ白なトレーナーと群青色のジーンズと丸眼鏡を身につけた青年が立っていた。


「なんてこと……」


 ランダムに設定して、人間が召喚されるとは思っていなかったのか、美の女神は顔から血の気が引いたかのように青くなった。

 体にまとわりついた光はまだおさまっておらず、こちらの言葉も届いていないようだ。それをわかっているのかいないのか、そんなことを気にする余裕もないのか、彼女は何度も「どうしよう」「どうすれば」と焦りからくる同じ言葉を何度も呟いている。


 ここで、この女神が前回何を召喚したのか記述しておこう。

 今回の取引が初めてではないのは、この女神がポロッと口からこぼした言葉から推測できたとは思うが、その召喚した物が元の世界でどうなったのか、そしてどのように処理したのかはまだ出ていない。


 さて、何を召喚したのか。それは虫だ。しかも厄介な、名前の始まりが『ゴ』から始まる例の黒光するあの虫。それが数百。想像するな、ゾッとするぞ。

 それを見た瞬間の女神と言ったら、悲鳴どころの話ではない。もはや顔面蒼白になり、何を言っているのかわからないほど喚き散らし、その虫たちを、創造神が作る世界に捨てた。そう、捨てたのだ。

 その時は創りたての世界ではなく、世界を再構築するために無駄なデータを削除している途中だったため、その世界に存在する『余計なもの』と一緒に消えていった。だから、新しく創っている世界には例の虫は含まれていない。安心してほしい。


 では、召喚された生き物は、元の世界ではどのような扱いになるか。


 答えは、『死んだ』という扱いになる。

 原因が何であれ、元の世界で原因不明の死を遂げた、という扱いになってしまう。つまり、他所よその世界へ呼んだ者が『殺した』ということになるのだ。


 さて、話を戻すが、今この世界はまだ創りたての状態だ。確かに捨ててもバレないと思うが、相手は人間。しかも20歳前後の人間であるため、意思疎通が可能な状態。それでこの世界に捨てたとなると、いつかは自分自身がこの世界に送ったことがバレてしまう。

 自分が『裏の手段』に手を出していたことも、別の世界から生物を殺してでも召喚したことも……女神は考えた。どうすれば、この状況を回避できるかを。


 そして、思いついた。


「そ、そうだわ!あの手がある!」


 その手とは……。


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