第11話 蜂に刺された男と第二夜 後編

まさか、おかしなやつだとは思っていたがここまで来るとは正気の沙汰ではない


暫くの間、私と青年は向かい合ったままいたが、その折少し離れた場所から三夜の声がしてその声がこちらへ向かってきているのが分かった


それに気づいた青年が私を抱き抱え一番近くの障子をあけ中へ入って身を潜めた

息を呑み三夜と僧侶の声が通り過ぎるのを待った


三夜の声が通り過ぎ本堂の方へ声は消えていった


ほっとした青年は肩を撫で下ろし

そっと細く障子に隙間を作った


「え?」


少し漏れたような心許ない声


サッと障子を一気に引いた

その先に見えたものは私たちが入った廊下ではなくまた別の部屋


そして夜が訪れていた


私を抱き抱えたまま青年はその部屋への敷居を超えたその瞬間に世界がぐらりと歪んだような、一瞬目を瞑りすぐに開いたその時には私たちの日常の世界とは逆、即ち部屋の天井に立っていた


足元は天井、頭の上には床 

夜の暗闇に床からぶら下がる赤い行燈が鮮やかに緋く光りそれは美しくもあり少しひんやりと背筋を通る空気を醸し出していた


二、三歩青年はフラフラと歩みを進めその摩訶不思議な世界を口を開けて見ていた


『ほう、これは第二の夜か』

私は成程と思いひとりごとを言ったつもりだったのだがまさかである

青年が鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてこちらを見ているではないか


『なんだ、青年よ

聞こえたか?』


その顔があまりに面白く揶揄いたい衝動に駆られ更に声をかけてみた


なんと・・・

言葉が出ないようだ


力の入ってない腕からするりと抜け出し

目の前に座ってその顔を下から眺めていた


「お前が話しているのか?」


蚊の鳴くような声で私に尋ねてきたので、短くうむとそれに応えた


「そうか・・・夢を見ているんだな!

そうでなければ猫は離さないし、部屋も逆にはならない!

そうだ・・・成程、これが明晰夢というやつなのか・・・」


まぁある意味察しが良いというところか?


「それにしても変な夢だな・・・

三夜先生を追いかけてきたのにこれでは逸れてしまう・・・

早く目を覚まさないと・・・」


そうだ、この青年は三夜を追いかけてここまできたのだ

正気の沙汰ではないが何か理由があるかもしれない・・・

いや、ただの興味本位で聞いてみるとしよう


『おい青年

お前はなぜ三夜を追いかけ回している?

家の周りだけではなくこんなところまで』


小さく膝を抱え座り込んでいた青年は腕と膝の間からちらりとこちらを見てまた顔を隠し応えた


「三夜先生の生活の中に三夜先生の才能の秘訣や文章のインスピレーションのヒントがあると思ったんだ・・・」


『お前は物書きなのか?』


「・・・」


「違う・・・」


「僕には才能がない」


なんの音も聞こえずその部屋だけが世界で存在しているような空間で青年の声はあまりに小さいがよく聞き取れた


「僕の父は小説家なんだ

それもかなり有名で名前を出せば知らない人はいないであろうというくらいに・・・

その父が三夜先生の作品を読んだらしく偉く褒めていて最初は父から嬉しそうに語られる三夜先生に嫉妬をしたことから一回どんな人だか見に行ってやると自宅を調べたんだ・・・」


ほう


「父さんは僕に何も求めていないんだ・・・

別に小説家になれとも言わないし、勉強だって強制されたことはない

期待されていないんだ・・・

そんな父さんが三夜先生の作品を読んで嬉しそうにいうんだ

この人は本物だ!頭が上がらないな・・・って


心の中で大したことないって・・・

父さんが大袈裟に言っているだけだって・・・

それから三夜先生を見ていても別にそんな特別な人には見えないし、どちらかというとちょっとガサツというか、あまりにも普通すぎて、なんのヒントもないからやっぱり父さんと世間が話を大きくしているだけだろうとどんなものかと三夜先生の本を読んでみたんだ」


「・・・衝撃だった

僕みたいになんの才能もない人間が読んでも鳥肌が立つくらいの美しい文才を感じたんだ

これを読んで父さんは嬉しくなったのかと・・・


それからは三夜先生に夢中になっていった


どんな人があんな本を書くのか


どんな生活をしているとあんな言葉を生み出せるのか・・・」


成程


父への思いから始まった奇行であったか・・・


「でも・・・

三夜先生全然普通で全く分からないんだもん〜

もうやだー

でも見ていたらだんだん好きになってきちゃってやめられないんだもん〜」


・・・


「結局僕は凡人で、父さんや三夜先生が特別ってこと・・・

世間や父さんの仕事関係の人は僕のこと目の前ではちやほやしてくるけど心では残念な子供だと思ってるんだ・・・」


閉ざされた空間に、夢の中だと思っていることもあって本音が出たのだろう

これも何かの縁なのだろうな


『青年

人には人にあったものがあるんだ

馬は走る

花は咲く

人は書く

自分自身になりたいが為に・・・

お前は書くいずれ何かを見つけるであろう』


この場では悟れなくともいずれ訪れるその時にお前が悟ればいいだけのこと


「僕見つけられるのかな・・・」


『諦めなければ必ず見つける』


その時、忽然隣座敷の時計がチーンと鳴った


『そしてお前には何より“愛嬌”がある』


青年はよくわからないという顔をしてこちらを見ていた


時計が二つ目をチーンと打った





障子に手を当ててスッと横に引いた


三夜と住職が畳で気持ちよさそうに寝ている猫と青年を見つけたのは夕暮


青年の目にはうっすら涙の跡があった


その時、三夜と住職の目の前を一匹の蜂が通り過ぎ寝ている青年の頬に止まった




「いってーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・・・」



蜂に刺された男と第二夜 完








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