第6話

  人生で二度目の冷たさで舞弥は目を覚ました。ただ、一度目とは違い舞弥の表情には不快はなく、幸福で満ちていた。

 舞弥は自分の左腕に重さを感じた。顔を動かし、その原因を確認するとヴィクトリカが腕に抱きついていた。

 寝る直前から激しく呼吸を繰り返していたので舞弥の喉は痛いほどに渇いていた。今すぐにベッドから降りて水を飲みに行きたいと思っているが、抱きついているヴィクトリカを振り払うわけにもいかない。そっと腕をひき、ヴィクトリカの拘束を抜け出すことを試みるが、しっかりと抱きつかれているためまともに動かすことすらできない。

 舞弥は脱出を諦め、ヴィクトリカの寝顔を眺める。喉の渇きを忘れるほどに夢中になっている。

「……綺麗だな」

 ポツリと舞弥の口からこぼれ落ちた。僅かにヴィクトリカの頬が赤くなったが、その変化を舞弥は感じることができなかった。

 ヴィクトリカの寝顔を眺めていると口元が寂しくなってきた舞弥はそれを補うために欲望のままに顔を近づける。

 あと数センチでヴィクトリカの唇と言うところで舞弥は動きを止めた。

「い、いつから起きてたの?」

 トマトの様に顔を赤くした舞弥がワナワナと震えている。彼女の目の前には目を覚まし、イタズラ顔で舞弥を見つめるヴィクトリカがいた。寸前まで眠っていると思っていただけに、彼女の焦りは大きかった。

「マヤが腕を引いたときからかな。寝たふりをしたら何かいいことがあるかなと思っていたけど…… 想像以上だったわ。待ちきれずに目を開けたのは失敗した。マヤからの初めてのキスをもらい損ねた」

「…… よくそんな恥ずかしいセリフをなんともない様に言えるね。恥ずかしくないの?」

 ヴィクトリカの言葉にさらに赤を増した舞弥が照れた表情で問う。

「私は誰かに愛を伝えることを恥ずかしいと思ったことはない。愛を伝えると言う行為は人類で最も尊い行為の一つだ。恥ずかしがる理由がない」

「なんか、カッコイイな」

「どうしてだ?」

 本人も気付かぬ間にこぼれ落ちた言葉にヴィクトリカが反応する。舞弥は最初は何に対して言っているのかがわからなかったが、記憶を遡り自分が何を言ったのかを思い返す。無意識に放った言葉だったため思い出すには時間を要したがなんとか思い出すことができた。

「なんでって、ヴィクトリカが思っている以上に人間は自分に素直になれないからね。自分の心を曝け出す告白は、それがどんなことであれ恥ずかしく感じるものだよ」

「そういうものか。それでも私はそれを恥ずかしいことだとは思わないよ。マヤに対してなんて特に、ね」

「うぅぅ、ちょっと待って、心臓がもたない」

 あまりの破壊力に、舞弥は胸を押さえて枕に顔を埋める。それでも恥ずかしさよりも嬉しさが勝るのか、枕に埋めた顔はだらしなくにやけている。

 少し時間が経ち舞弥は落ち着きを取り戻した。その代償に、舞弥の感情は振り切っていた。普段は60、どんなに感情が昂っても80〜100までしか感情が揺れることはないが、現在の舞弥は100を超え、120まで感情が振れている。徹夜明けの若者であってもここまでいくことはない。

「あはは。それじゃあ、私も素直になろうかな」

 舞弥はヴィクトリカの頬に手を当て、唇を押しつけた。昨夜自分がされた時と同じように舌を絡める。慣れない舌づかいでゆっくりとヴィクトリカの口内を刺激していく。予想外の舞弥の行動に最初は驚くだけで反応することができなかったヴィクトリカだったがすぐに舞弥を受け入れ、自分から舌を絡め始めた。

 最初に自制が効いたのは意外にもヴィクトリカだ。彼女はキスで興奮した舞弥が胸に手をかけて瞬間に今はこれ以上してはいけないと、力ずくで舞弥を引き離す。

「どうして離すのよ。そんなに私とするのが嫌なの? 昨日はそっちからシテきたのに」

 少しハイライトの消えた瞳でヴィクトリカに尋ねる。

「そんなことはない。マヤから求められることは嬉しい。だが、今はダメだ。もう昼になるのに食糧などがない。最悪食料を集めるまではマヤとスルことは出来ない。私は今から昨日と同様に肉やキノコなどマヤが採って来ることができないものを集めてくるよ。マヤも落ち着いたら少しでもいいから木の実を採って来てくれ」

 そういってヴィクトリカは舞弥の頬に軽く触れるキスをするとベッドから出る。邪魔だと言い着用後5分で脱いだ寝巻きを着て寝室から出ていった。それからすぐに小屋のドアがバタンと閉じる音が寝室に響いた。

 ドアの音が寝室に響いたことが合図となった。

「ああああああああああああああ…… 私はなんてことを。恥ずかしい、死にたい」

 我に返った舞弥うつ伏せに倒れ込み叫んだ。ジタバタと足を動かし悶えている。りんごが裸足で逃げ出すほどに顔を赤くし、涙目になりながら後悔している。

「私もきのみ取りに行こ」

 一通り羞恥心を解放した後、いつもと変わらないテンションで舞弥は言った。

 ヴィクトリカに脱がされた寝巻きを着てカゴとナイフを持ち森へと入っていった。

 森に入った舞弥は迷わないようナイフで木に印をつけながら歩いているが、その足取りはかなり遅い。時々立ち止まってはボーッと空を眺め、ハッとして頭を振るを繰り返している。原因は昨夜から今までの全て。何もかもが初めての経験で、キャパシティを超えるものだった。

 結局ほとんど集中することができず、集めることのできた木の実は昨日の半分以下。一人分にぎりぎり足りるかどうかというレベル。

「ヴィクトリカ、ごめんなさい。あまり集めることができなかったわ。私の分はなしでいいから」

 小屋に戻ってすぐに舞弥はヴィクトリカに謝罪した。かごに入っている僅かな木の実と申し訳なさそうな舞弥の表情、その中に隠れている昨夜からの影響を感じとったヴィクトリカは木にする必要はないと言った。ヴィクトリカも今日の舞弥の収穫は少ないだろうと予想していたし、元から収穫量に対して文句を言うつもりがなかった。

「大丈夫だよ、こういうこともあるだろうと予想はしていたから。だからほら、見てよ。少しだけど私も木の実を採ってきたし、肉だって昨日より多く採ってきたよ」

「私は全然集中できなかったのに、ヴィクトリカは凄いね」

「……」

 ヴィクトリカは初めて見た感情にどう接するべきか分からず言葉が出ない。

「ご飯にしよう。今日は私が作るからマヤは洗濯をしてくれないか」

 じっと舞弥見つめて考えた結論は出来る限りいつもと変わらない様に接するということ。ヴィクトリカは落ち着かない心を隅へと追いやり、昨日と変わらないよう心がけて言った。

「…… わかった」

 そう言った舞弥はヴィクトリカを置き去りにして小屋に入った。一人外に取り残されたヴィクトリカは空を見て息を吸い込んだ。

 昨夜よりも少しだけ豪華な昼食を挟んで座る。

 会話がなく、気まずい空気の中二人は食事をすすめる。

「今日はこの後、島の探索をしないか」

 半分ほど食べた頃、ヴィクトリカが沈黙を破った。舞弥も食事の手を止め、視線を上げる。ヴィクトリカと目が合い、逸らす。

「そんなのヴィクトリカ一人で行けば」

「いや、二人で行こう。そうすればどちらかが危険な時助け合えるだろう? それに、一人だと寂しいからな。どうしても二人で行きたいんだ」

「わかったわ。そこまで言うのなら一緒に行きましょう」

 なんとか約束を取り付けることに成功したヴィクトリカは内心ホッと息を漏らす。食事をすすめる手が僅かに早くなった。

 食事を終えた二人は探索の準備をして小屋の前に集まった。

「今日はとりあえず北に行こう。島の端まで行って何もなければそのまま時計回りで帰ってこようか」

「……」

 苦笑いしながらも肯定ととり歩き出した。ヴィクトリカの魔法で方角を知ることができるのため目印をつける必要もなく進むことができる。ゆっくりと歩く舞弥のペースに合わせて歩いているが、その舞弥が一人で移動するよりも倍近いスピードで進んでいる。

 森の中を歩く二人の間に会話はない。最初のうちはヴィクトリカが話しかけていたが舞弥の反応が悪く話の種がついたことをきっかけに無言が続いている。ひたすらに地面を踏み締める音だけが響いている。

「あっ、マヤあれ見て」

 急に立ち止まったヴィクトリカが空を指した。指先の空にはモクモクと煙が立っている。何事かと顔を上げた舞弥も流石に予想外だったのか表情を変えた。

「煙? もしかして誰かいるの?」

 舞弥がポツリと呟いた。それを拾ったヴィクトリカはゆっくりと首を横に振る。

「いや、探知魔法で探ってみたが誰もいない。もしかしたらアレはただの煙ではないかもしれないな。少し急ぐが、体力に余裕はあるか」

「ええ、今までゆっくり歩いていたから全然平気よ。…… 走るとかしなければ」

「流石に慣れない森を走ることはしないよ」

 慣れた場所なら走るのかと呆れた舞弥は足の回転を速くしヴィクトリカを追いかけた。

 森を抜け、岩場に出るとはっきりと煙を見ることができる様になった。

 煙を目標に真北からは少し東に向かっていく。煙に近づくにつれそれは草木などからではなく地面から出ている湯気であることに気がついた。それと同時に塩の匂いが強くなってきていることにも。

「もしかして」

 それが身近にある舞弥は地面から出ている湯気を見るとその正体に気が付いた。頬が緩み声に歓喜の色が乗っている。

「これが何か知っているのか?」

 正体を知らないヴィクトリカが尋ねる。彼女に知らないものはないと思っていた舞弥は少し自慢げに答える。その姿にヴィクトリカは舞弥が少し子供のように見えた。

「温泉だよ。自然の力で沸いたお風呂みたいなもので、日本ではビジネスの人流になるほど有名だよ。私は温泉が好きでよく通っていたよ。場所によって効果は違うけど、私が通っていたところは入ると肌がツルツルになるの」

「ほお、それは良いな。早速入ってみようか」

 前は急げとばかりに服を脱ぎ出したヴィクトリカを慌てて舞弥が止める。

「ちょっと、なんでいきなり脱ぎ始めるのよ。もしかしたら誰かいるかもしれないのに」

「人がいないことは確認しているから大丈夫だよ。それに、裸を見られるくらいなんてことないよ」

 ヴィクトリカの言葉に舞弥の気分は沈む。

「だから平気なの?」

「何が」

 小さくこぼした舞弥の心をヴィクトリカが拾った。聞かせるつもりのなかった言葉を拾われたことに言葉を詰まらせるがそれも一瞬で、舞弥は溜め込んでいた感情を爆発させた。

「普段から誰かに裸を見せているから私なんかに見られたり、セックスしても平気なんでしょ!? 私はこんなにも心がざわめいて何にも手がつかないのに」

「違うよマヤ、確かに私は裸を見られ慣れている。でもそれは私の入浴を手伝ってくれる使用人相手だ。それ以外の人には他と相手が家族でも見せていない。誰かと体を合わせるのも、勉強しただけでマヤが初めてだ。当然ドキドキしたさ。それも、心臓が張り裂けそうなほど」

「なら、どうして平気なの。あの時も平気そうだったし」

「それは、私が王族だったからだ。王族は感情を表には出さない様生まれた時から訓練される。下手に感情を出せば相手につけ込まれる隙になるからな。本当は今もドキドキしているよ。ほら、私の胸に手を当ててごらん」

 ヴィクトリカは舞弥の手を取り自分の胸に当てる。ドクンドクンと激しく高鳴る鼓動が舞弥の手に伝わる。自分以上に激しい鼓動に舞弥はどこか嬉しそうな表情をする。

「本当だ。よかった、私だけじゃなくて。ごめんね、勝手に嫉妬してきつく当たって」

「気にすることはないよ。元はと言えば感情を見せなかった私が悪いんだ」

「ありがとう。私ももう少し素直になるべきだった。…… ねえ、本当に誰もいないのよね?」

「ああ、探知魔法には反応がない。どうしても気になると言うのなら結界を張ってもいいけど、どうする?」

「お願いしても良いかな、やっぱり温泉には入りたいから」

「任された」

 ヴィクトリカが手を叩くとヴィクトリカを中身に半円の空間が広がった。

 ぐるりと一周結界を確認し、ヴィクトリカは服を脱ぎ始める。ヴィクトリカが服を脱ぎ始めたところで一度自分の目でも周囲を確認し、服を脱ぐ。服をたたみ、風で飛ばされないよう石を乗せる。

 手でお湯の温度を確認し、ゆっくりと浸かる。じんわりと体の奥に熱が入っていく。

「ああ、気持ちいな」

「そうでしょう。もちろんお風呂もいいんですが、温泉は何か違うんですよね」

 足を伸ばしきり、蕩けたようにくつろいでいる。少し前までは冷たく、痛い空気を出していた沈黙も、今この時は温かい。

「マヤ」

「なんですかンンンっ」

 雰囲気を壊したヴィクトリカは舞弥の口内を侵略する。舌を絡め、唾液交換をし、唇を離す。二人の間に艶かしい液が伸び、消える。

「するなら言ってからにしてください。心構えができていないと恥ずかしいから」

「わかった、これからはそうするよ。あ、マヤは好きな時にしてきてもいいよ。私はいつでも準備できているから」

 満足したヴィクトリカは再び空を見上げる。

 中途半端に気分が上がり、寸止めされた舞弥は対称に不満げな顔をする。

「続きはしないの?」

 上目遣いでヴィクトリカを見る。そんな舞弥の反応にヴィクトリカはニヤリと笑う。

「そうだな、マヤがどうしてもと言うのならしようかな」

「うぅぅぅ、イジワル。絶対に言わない」

 そう言った舞弥はヴィクトリカから離れ、小さくなる。ヴィクトリカは残念そうに舞弥を見るが、それは表面だけように水面には写った。

 しばらくするとモジモジしながら舞弥がゆっくりとヴィクトリカに近づいていく。

「あ、あの、やっぱり続きして」

 待ってましたと言わんばかりにヴィクトリカは舞弥に襲い掛かった。

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