第五章 その⑤ アヤトのこれから

 リリィさんの裸婦画を描き始めて、さっそく後悔した。

 リリィさんはまるで落ち着きがなく、ベッドの上をもぞもぞと動き、ポーズを変える。

 くねくねと腰を曲げ、柔らかそうな身体をねじったりしながら、あえて俺を挑発するようにチラチラと上目遣いで見つめてくる。


「あのぉ、ちょっと落ち着いてくれませんかね。これじゃあエスキース下書きも作れやしない」


「えー。アヤトはプロの画家じゃないのぉ?」


「あのねぇ。グラビア撮影してるわけじゃないんだから、ポーズはいちいち変えなくていいの! こんな堪え性の無いモデルは初めてですよ」


「ぐらびあなんとかって何だい?」


「とりあえずジッとする。ステイ!」


 犬に「待て」の訓練をする飼い主のようだ。


「はい。そのままね、そのまま。いいですよリリィさん」


「絵のモデルって、意外と忍耐が要るんだね」


 リリィさんの声は無視して、木炭を走らせる。

 最終的にリリィさんはベッドに横向けに寝そべるポーズとなった。

 絵の構図を決めるエスキース下書きを作る段階に何とか入ったが、それはそれで別の意味で後悔していた。

 今回、彼女をありのまま見てキャンバスに書き写しているのだが、これが嘘くさいんだ。

 彼女の現実離れした大きな瞳や顔立ちの良さ、まるで漫画に出てくるセクシーキャラのような腰のクビレやヒップラインをありのままに描き写せば描き写すほど、現実離れした絵になる。

 要は「これ、どうせお前が想像した二次元キャラだろ」と言われそうなほどリアリティに欠けるのだ。

 これはある意味リリィさんへの誉め言葉でもあるのだが……。


「あー、なんか違うんだよなー!」


 俺はイライラして頭を掻き、天を仰いだ。


「何が違うんだい?」


 リリィさんが俺の肩越しに絵をのぞき込む。


「わっ! ダメダメ。お覗き禁止!」


 とっさに絵を隠すも、彼女はばっちり内容を捉えていた。


「おー。これはまた可愛く描いてくれたねー。うれしいよー」


 べたべたと俺に抱き付くリリィさん。


「あー、もう離れなさいって。見られたから仕方ないんで聞きますけど、この絵、なんか嘘くさくないですか?」


 絵について人に意見を伺うなんてこと、転移する前の俺なら、まず無いことだった。

 

「えー? ボクの魅力が十分に出てるじゃないかー。何がご不満なのさ」


「なんか現実離れしてませんかこの絵。ありのまま絵を起こしているはずなんですけど、本物っぽくない気がするんです」


「うーん」


 リリィさんは口元に手を添えて目を閉じたと同時に耳が垂れさがる。

 彼女は考え事をするとき耳が垂れ下がる。


「アヤトはさ。ボクをどう描きたいの?」


 予想外の質問だった。

 てっきり詳細な指摘や技術的なアドバイスが飛んでくるもんだと構えていた。

 そう言えば、俺は彼女をどう描きたいんだろう……。

 これまでにも感情に任せてキャンバスに筆を走らせることはあったが、対象をどう描きたいかを考えたことはなかった。

 今回も対象をありのまま写そうとしていた。ただそれだけしか考えていないことに気付いた。


 隣に居るリリィさんをじっと見つめた。

 顔も体もとても美しい。

 エルフという種族は神が依怙贔屓えこひいきしているのでは? と思うぐらい容姿が本当に優れている。

 がめつい部分はあるけど、知的で聡明だし絵にはいつも真剣で真摯に向き合っている。

 そして画廊の一件から見てもとても純情なんだと思う。

 年齢相応の狡猾さがあってもいいのに、そういう駆け引きは出来ないようで思春期の少女のように感じることがある。

 イイ女だと率直にそう思う。彼女と一緒に居る時はとても楽しい。


「なに? 急に黙って」


「俺が、リリィさんをどう描きたいか。ちょっと掴めた気がします」


「そう。それはよかった」


 ニッコリと笑う彼女の笑顔に、少しときめいてしまったことは黙っておこう。


 下書きを再開し、キャンバスに線を描き増やしていく。

 ときにリリィさんをじっと凝視し、ときには目もくれずキャンバスに集中する。

 彼女の傷跡、かなり目立たなくなったな。

 だけど、火傷によるミミズ腫れと何度も縄で縛られた跡はシミになり体に刻まれている。

 リリィさんは傷跡をまじまじと見られることも覚悟のうえでポーズを取り続けている。


「ねぇー。ちょっと休ませてよー。何時間続ける気だい?」


 リリィさんの声にハッとする。気づけば二時間が過ぎていた。


「すみません。作業に集中し過ぎて気づきませんでした」


「まぁいいんだけどさ。ボクも少し……ね?」


 リリィさんがベッドの上で太ももをもじもじさせていた。


「あー。おしっこですか」


「ちょっとは言葉を包めっ!」


 リリィさんは俺にビンタをかました後、逃げるようにトイレに向かった。


「もぅ! ホントなんなのっ!」


 置き去りにされた俺は、ちょっとヒステリック気味叫んだ。



 リリィさんが中座したため、本日は作業終了だ。進捗的にもこの辺が潮時だった。


「ありゃ? もう終わりかい?」


 リリィさんが下着姿のまま戻ってきた。


「そうですね。俺もそろそろ帰らなきゃいけないですし」


「えー。泊まっていきなよー」


「仕事があるんです。今日出発しないと明後日プリムスに帰れない」


「そんなに稼いでいるのに、まだ兵士なんてしているのかい?」


 その発言に俺は少し引っかかった。

 俺が兵士を続ける理由。プリムラ姫に近づきたい一心で兵士になったけど、姫の絵を描いた後、俺はどうしたいのだろうか。

 このまま衛兵を続けながら、絵を描き続ける?

 異世界から帰る方法を考える?

 プリムラ姫への愛を貫く?

 俺は……。


「ボーっとしてどうしたの?」


 リリィさんが顔をのぞき込む。


「いえ、ちょっと将来のことを考えてました」


「将来……」


 少しの間、二人は沈黙した。


「アヤト、ボクと一緒にこの画廊で働かないか?」


「えっ?」


 彼女の提案に俺は虚を突かれた。


「それって……」


「うん。まっ、まぁそういうことだよっ」


 リリィさんは照れながら俺に告げた。

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