第3話

 結論から言えば、Z氏は死んだ。


 彼がこの洞穴で目を覚ました時、状況的にはもうほとんど詰んでいたと言っていい。

 目の前に鎮座する、水晶型のダンジョンコアに浮かぶホログラム状のメニュー画面には、残り58DP――あと一時間もしないうちに死亡するという現実が記されていた。


 激しい頭痛と息苦しさに襲われ、死の予感をひしひしと感じながらも、状況を打破するためにメニュー画面を調べてみるZ氏。しかし、手持ちのDPではモンスターの一体すら召喚することができないらしい。

 使用可能なスキルの中で唯一有用そうなのは、50DPの『隠し部屋作成(低)』のみ。低というのは天井が低いわけではなく低級という意味だ。


 他に何か生き残る術はないかと、Z氏は地面を這いずりながらダンジョン入り口まで移動する。外に出ようとすると透明な壁に阻まれてしまったが、外の様子を伺うことはくらいはできた。

 ダンジョンの外は何の変哲もない森の中だったが、よく目を凝らしてみると、少し離れた場所で何かが動いているのが見えた。もしかして人間かと期待したZ氏だったが……そこにいたのは一匹の巨大な狼だった。


 凶悪な牙で鹿のような生き物の喉元に食らいつき、豪快に肉を引き千切って捕食する野生動物の姿。それは現代日本でぬくぬくと育ったZ氏には衝撃だったようで、狼と目が合った瞬間、パニックに陥ってダンジョンに逃げ戻った。

 そして、ダンジョンコアを噛み砕かれては堪らないと『隠し部屋作成(低)』を使用し、壁に出現した隠し部屋にコアを抱えて引っ込んだ。Z氏が入った瞬間に穴は塞がり、狼が入ってくる様子もなく、大きく安堵のため息を吐く。


 ……そして、残ったDPは5――つまり自分に残された時間があと五分しかないことに気づいた。 


 そうなったら後の祭りだ。使用できるダンジョンスキルなど一つもない。狼をおびき寄せてダンジョンに引き入れれば僅かながらDP源にもなったはずだが、頭に浮かんでも実行できたかは微妙なところだろう。


 刻一刻と減っていくカウント。増していく息苦しさで魚のように口をパクパクとさせ……そこでふと、ダンジョンマスター固有のスキルの存在を思い出す。頭の中で固有スキルと念じると、新たなホログラムがコアから出現した。



固有スキル:他力本願

スキル詳細:自身の記憶とダンジョンマスターとしての権限を他者に委譲する。



 それを見て、Z氏は渇いた笑いを漏らした。


『君自身の心象を現した固有スキルが発現する』


 神様はそう言っていた。なら、それがZ氏自身の本質だったということだ。

 怠惰で、甘ったれで、結局のところ他人がなんとかしてくれると心の底では思っている。

 あの世界――とりわけあの国にはそういう若者は多かっただろうが、Z氏はそういった性質をより濃く持っていたのだろう。……とまあ厳しい言い方かもしれないが、今はとても他人のように思えないので許してほしい。


 残りDPが0になる寸前、Z氏はスキルは発動させた。

 Z氏の記憶とダンジョンマスターとしての力はダンジョンコアに取り込まれ、彼の肉体は分解されて生物としての死を迎えた。そして、固有スキルの効果により、最初にコアに触れた誰かが記憶と力を引き継ぐことになった。

 ……あわよくば、その誰かさんに自分の意識が上書きできれば、などと考えていたようだが、今の俺の状態を考えるとそれは叶わなかったらしい。


 それが日本からやってきたZ氏――安田真輔やすだしんすけ、三十三歳の最期だった。



▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲



「ダンジョンマスター……ねぇ」


 洞穴内で見つけた簡素な隠し部屋に座りながら、俺はひとりごちた。


 ダンジョンについての情報は王都の図書館で片っ端から集めた時期もあるが、ダンジョンを管理する『ダンジョンマスター』なんてものに関する記述など一つもなかったように思う。

 俺の知識が遅れているだけの可能性もゼロではないが……十中八九、ないだろうな。こんな世界を揺るがすような事実が明るみになれば、流石に俺みたいな名誉F級探索者の耳にも届く。

 それよりも、今一番気にすべきことは……。


「これだよなぁ」


 目の前に表示されるメニュー画面には、累計1950DP、残り1890DPという文字が浮かんでいた。

 今のままだと丸一日と七時間半程度で俺は死んでしまうことになる。存在ごと消えてしまったZ氏のように。

 なんだかやけに計算が早くなっている気がするが、D氏の記憶の影響だろうか。まあいいか。


 Z氏の記憶とダンジョンマスターとしての権限は無事に俺に引き継がれたらしい。

 能力はともかく、この記憶というやつが少々厄介で、Z氏の体験やら経験やらを何もかも鮮明に覚えているわけではない。

 例えるなら……ガキの頃の思い出に近いな。何かのきっかけがあったら思い出せるし、ふとした瞬間に頭に浮かんだりもする。Z氏の記憶は、自称神様からこちらの世界に送られる前後ははっきりとしているが、日本にいた頃の思い出なんかはかなり曖昧だ。そのくせ漫画やゲームの知識、その他の役に立たなそうな雑学などはしっかり頭に残っているのだが。


 ちなみに、俺が触れたZ氏のコアは跡形もなく消えてしまった。あれは人間で言うところの心臓そのものらしく、今は俺の胸の中にあるようだ。

 普通に心音も鳴っているので、今の俺の胸部がどうなっているのかは不明だ。開いてみるわけにもいかないしな。


 ……とりあえずそれは置いておこう。

 大事なのはダンジョンマスターの力――ダンジョンスキルについてだ。Z氏に対する恨み節もそこそこに、まずは生き残るために何ができるかを考える。なっちまったもんは仕方がない。そういう割り切りは昔から得意だった。

 幸いと言っていいのか、熟考する程度の時間は残されている。


(メニュー)


 そう心で呟くと、一定時間が経過して消えてしまったメニュー画面のホログラムが再度出現する。

 そこに記載されているのは累計DPと残りDP、各種スキルの項目だ。一つの項目に意識を集中すると、より詳細な画面に切り変わり、さらに集中するとスキル詳細がわかる。

 ここらへんはZ氏が嗜んでいたテレビゲームと操作感が近いおかげでスムーズだな。


 ダンジョンマスターとしての権能は大きく分けて二つ。ダンジョンスキルと固有スキルだ。そのうち固有スキルの方は使えない、というか念じてもホログラムが現れなかった。Z氏の『他力本願』がすでに役目を終え、その効果でマスターになった俺にはそんな特典はないということだろうか。


 ダンジョンスキルの方はさらに四つに分かれており、そのどれもが大なり小なりDPを消費することで使用できる。


 まず一つが『ダンジョン増築』。DPを消費して階層を増やせる能力らしい。今の状態だと2階層まで増築が可能だが、考えなしに残りDPの大半を使うわけにはいかないので一旦保留だ。


 次が『ダンジョン改築』。これはダンジョン内の構造を自由に変更できるスキルのようだった。壁に穴を空けたり、道を広くしたり、はたまた迷路のような凝った造りにしてみたり。階層面積を拡張するのは別途DPを消費するようだが、1000DPでワンフロアを自由に改装できる。Z氏が使った『隠し部屋作成』などの一風変わった部屋作りもこのカテゴリだ。

 さらに追加でDPを支払うと階層全体を森のようにできたり、天井を空のような見た目に変更できるらしい。……もうなんでもありだな。


 続いて『アイテム生成』。装備品やポーション類、スキルオーブなど、アイテム一覧の中から自由に生み出せるらしい……が、それはD氏の記憶のおかげで知っているだけで、メニューに表示されているのは食料品と日用品の類だけだ。

 ちなみに、そのどれもが日本産。俺の記憶にある王都の露店の品なんかはラインナップにないので、ここは完全にZ氏基準になっているようだ。

 最も高コストのアイテムが累計値と同じ1950DPとなっているので、累計DPによってラインナップが増えていくものだと思われる。


 最後は『モンスター召喚』。アイテム生成と勝手は同じで、こっちはモンスター一覧の中から選ぶようだ。例によって、累計DP以上のコストのモンスターは表示されていない。

 表示されている中で最安のモンスターはゴブリンだが、消費DPは意外と高く100だ。ゴブリン十体で1000DP――ダンジョン改築でワンフロア丸ごと自由に作り変えるの同コストとは、だいぶバランスが悪い気がするな。まあ今はいいか。


 なお、作成したアイテムや召喚したモンスターは、ダンジョン内に自由に配置できるらしい。これらのスキルを駆使して、他のダンジョンマスターたちは各々のダンジョンを作り上げたんだろうな。と納得したところで、


「…………ん?」


 ふと、小さな疑問が脳裏を掠めたが、自分でも何を疑問に思ったか分からなかったので頭の隅に追いやった。


 ダンジョンスキルをどうするか考える前に、一つだけ試さなくちゃいけないことがあった。……というか、これができないとぶっちゃけ詰むので、現実逃避してスキルについてあれこれ考えていたというのが本音だ。


 俺は隠し部屋から出て、洞穴の入り口まで戻った。


 緊張の一瞬だ。これによって俺の命運が決まると言ってもいい。

 意を決してダンジョンの外に一歩を踏み出し……。


「出ら……れたな。普通に」


 拍子抜けするほど簡単に、無事ダンジョンの外に出ることができた。Z氏の時にはあったはずの透明の壁に触れることはなかった。

 コアと一体化したことで制限がなくなったのか、それとも何か別の理由があるのか、詳しくはわからないが、とりあえず最初の関門はクリアだ。


 しかし、メニュー画面を見ていて、あることに気付く。

 ……DPの減るスピードが早い。


 数えてみると、きっかり三十秒でDPが1消費されている。どうやらダンジョンを出てしまうとDPの自然消費量は倍になるらしい。微々たる量かもしれないが、今の俺にとっては死活問題だ。


 外に出られたのだから、実はDPがなくなっても死なないんじゃないか? という考えも一瞬頭を過ったが、生憎とそこまで楽観的にはなれなかった。

 ……ダンジョンで目覚めてからずっと、Z氏が体験した頭痛と息苦しさを薄めたような、真綿で首を絞められるような不快感を感じているからだ。


「……確か、ダンジョン外のものを吸収するとDPになるんだよな」


 それなら、うってつけのものが近くにある。

 少し歩くと、先ほど討伐したゴブリンは野生動物にも食い荒らされず、そのままになっていた。

 一度あげた餌を取り上げるのは申し訳ないが、背に腹は代えられない。


 状態の良さそうなやつを一体、急ぎ持ち帰る。ダンジョン内の地面に置き、"取り込む"と強くイメージした。

 するとゴブリンの死体は、滴っていた青い血ごと光の粒子になってダンジョンに吸収された。……心なしか、気分は少しだけマシになった気がする。


「本格的に人間辞めてる気がするな……っと、入ったDPは……意外と高い、のか?」


 野生のゴブリンを吸収して増えたのは212DP。相場が分からないので何とも言えないが、今のDP残高を考えると決して無視できない数字だった。

 ダンジョンと森を往復して残りのゴブリン八体を取り込むと、個体ごとにわずかな差はあったものの、残りDPはちょうど4000まで増えた。これでダンジョン内なら三日近く生き延びれる計算だ。


 改めてアイテム生成を確認してみると、ラインナップがいくつか増えている。やはり所持DPによって解放されるらしい。自然消費で4000を切っても4000DPのアイテムは表示されたままなので、一度表示されたら消えない仕様のようだ。


 あとは、ものは試しとばかりにそこらへんの石ころも吸収してみたが、DPは1も増えなかった。もっと大量に入れれば違うのかもしれないが、少なくとも今は試す気になれないな。


「一安心……とは言えないが、少しだけ猶予は延びたな……」


 時刻は日付が変わる少し前といったところだが、状況が状況なので目は冴えている。

 しかし、改めて落ち着いて考えると、いくつか疑問が浮かんでくるな。


 まず最初に気になったのは、ダンジョンマスターの力を引き継いだ直後に1890DPも所持していた理由だ。

 マスター不在の間にもDP回収機能は正常に働いていたと仮定しても、なぜこんなに高い数値だったんだろう。


 俺がダンジョン内で野宿したからか?

 ……いや、ゴブリンの死体の具合から見て、俺が洞穴に入ってから目を覚ますまで、せいぜい数十分ほどしか時間は経過していない。

『モンスターとそこそこ戦える生き物がダンジョン内で一時間も過ごせば自然消費分なんてすぐ補えるよ』という神の言葉を思い出す。普通に考えれば、ダンジョン1階層で挫折した俺はまともなDP源になっていないだろう。

 ということは、この洞穴には他の誰かが長期間寝泊まりしたことがあるか、野生動物の寝床になったりしていたんだろうな。


 これって履歴とか見れないのか? とDPの欄を集中して見ると、今まで獲得したDPが一覧として表示された。なんという親切設計。

 一番上の欄は先ほど吸収したゴブリン。一番下はD氏が初期に与えられた58DP。スクロールするまでもなく1ページで完結する内容だ。


 Z氏の58DPが自然消費で55DPになり、55DPが『隠し部屋作成(低)』の使用で5DPになり、あとはまた自然消費で1。ここまでが約二百年前の出来事。……ダンジョンが世界で初めて発見された時期と一致する。


 そして、次の収支履歴の更新が今日で……今日?


『迷宮歴208年 10月14日 個体名ノイドから1892DP獲得』


 履歴にはそのようなことが書かれていた。紀年は王国でもポピュラーな迷宮歴――ダンジョンが発見された年から数えた年号――が記されている。ちなみに、この世界の暦は三十日×十二ヶ月の計三百六十日。十月は古い言い方で暁の月と言ったりするが……使われなくなって久しいのでどうでもいいか。

 どうやら予想は外れ、俺が滞在したことでかなりのDPが入っていたらしい。2DP消費していたのは自然消費の分だろう。


「ん~……わからん」


 そこでふと、自分自身のステータスはメニューで確認できるというZ氏のダンジョン知識が頭を過る。

 鑑定スキルは一部の者しかもっていない超レアスキルだが、ダンジョンマスターは自分と自分のモンスターに対して疑似的な鑑定を行うことができる……らしい。


 よし。


(……ステータスオープン)


 Z氏の記憶の影響か、そのワードに若干の気恥ずかしさを感じながらも心の中で唱える。すると、俺自身の情報を表す、メニュー画面と同様のホログラムが表示された。



名前:ノイド

種族:人間(ダンジョンマスター)

所持スキル:なし

特殊称号:レア初討伐(ゴブリン)

     英雄の萌芽



 どうやら、内容は鑑定スキルで知ることのできる情報とさほど変わらないようだ。名前はそのまま、種族は人間(ダンジョンマスター)とかいう変な状態になっている。あと所持スキルの欄を見るに、ダンジョンスキルは所持スキルにカウントされないらしい。普通の鑑定スキルで分かるのはここまでだな。

 よく分からないのが特殊称号という欄だった。ダンジョンスキル同じように、その部分を注視してみると、例によって詳細な情報が表示された。

 そこには……。



・特殊称号

特殊条件達成で得られる称号。所持しているだけで様々な効果がある。


・レア討伐(ゴブリン)

レア個体モンスター(ゴブリン)を討伐した証。体力がわずかに上昇する。


・英雄の萌芽

合計モンスター討伐数が0体の状態でレア個体モンスター討伐した証。戦闘スキルの効果に補正がかかる(効果大)。



 …………。


 ……なんじゃこりゃ?

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