第12話 決戦! ドーハ炎上

「見事なゴールだったな。杉浦。初めての代表戦で、しかもあの土壇場でいきなり点を取れるのは凄いよ」


 国際ユース選手権のウルグアイ戦に後半から出場した拓矢は、試合終了直前に右足のボレーシュートで同点ゴールを決め、鮮烈な日本代表デビューを飾った。ウルグアイ代表の圧勝という戦前の予想を覆し、試合はそのまま2-2の引き分け。卑劣なテロに対する反骨心でチームが一丸となって掴み取った、日本代表にとっては大健闘と言っていい結果であり、拓矢個人としても胸に溜まっていた鬱憤を力一杯ぶつけて叩き込んだ初得点である。試合後、シャワーを浴びてラフな私服に着替え、意気揚々と帰りのバスに乗り込んだ選手たちは、デビュー戦で一躍ヒーローとなった新入りの拓矢に惜しみない賛辞を贈った。


「ありがとうございます。でもいいパスをもらえたからってだけですよ」


 やはり未玖の安否が心配でならない拓矢は大舞台でゴールを決めたという実感も湧かず、ただ控え目に謙遜の言葉を返して押し黙るだけだった。スタジアムを出発してホテルへ向かうバスの中、車窓には近未来的な摩天楼が派手なネオンに彩られて煌めく、潤沢なオイルマネーに支えられて発展しているドーハの街の夜景が映っている。


「向こうに見えるのが、今回の大会スポンサーになってる石油王の会社のビルだぜ。凄いよなあ」


 後ろの席に座っていたチームメイトが、窓の外に見える大きな十階建てのオフィスビルを指しながら拓矢に言った。建物の屋上にはAJOCという社名が書かれた大きな看板が飾られ、夜の暗闇の中にライトアップされて明るく光り輝いている。その付近にはオイルタンクや製油工場などからなる大規模なコンビナートがあり、中東でも指折りの国際石油企業の勢威を人々に誇示しているかのようであった。


「そんなことより、京都の攻撃の件はどうなったんだろうな。見たところ、どうもまだ動きがないみたいな感じなんだが」


 ザデラムの動向がやはり気になっていた選手たちはそれぞれスマートフォンで情報を漁るが、要求が受諾されないままタイムリミットを過ぎたにも関わらず予告されていた京都への爆撃はまだ始まっていないようで、インターネットで検索しても新たに何かがあったというニュースが見当たらない。一体どうなっているのかと皆が不思議に思っていたその時、街の大通りを走っていたバスが突然、急ブレーキをかけて停車した。


「どうしたんですか? 運転手さん」


 運転席の近くにいた選手の一人が驚いてそう声をかけても返事はない。バスのドライバーをしているカタール人の男はただ前方の空を見上げて無言のまま、わなわなと小刻みに身を震わせていた。


「大丈夫ですか? もしかして事故でも……」


 不審に思った拓矢が席を立って駆け寄り、運転士の視線の先に目を向ける。次の瞬間、彼は驚いて思わず大きな声を上げた。


「ファル……!」


 空に輝く満月を背にして、一匹の巨大なドラゴンがこちらに向かって飛んで来る。姿や色がはっきりとは見えない暗闇の中でも、拓矢はその正体がすぐに分かった。拓矢たちが試合をしている間にダルヴァザを飛び立っていたファルハードが、何とこのドーハに現れたのだ。


「何で、ロシアじゃなくてこっちに来たんだよ。あいつ……」


 軍隊が発射した迎撃ミサイルの雨を物ともせずカタールの首都の上空に侵入したファルハードはバスの真上を通過して高度を下げると、拓矢が先ほど窓から眺めていたAJOCの本社ビルのすぐ横を凄まじい速さで通り過ぎ、それから夜空に大きな弧を描いて方向転換した。


「おいおい、まずいな。これじゃあバスが動けないぞ」


 選手の一人が、バスの窓から外の様子を覗いて言う。怪獣の出現で街はたちまちパニックとなり、急いで逃げ出そうとする市民たちの車が殺到して、広い大通りはすぐに大渋滞となってしまったのだ。日本代表チームを乗せたバスは発生した混雑に巻き込まれ、その場で身動きできずに立ち往生した。


「これは無理だ。皆、バスを降りて走って逃げよう。少しでも早くあの怪獣から離れないと危険だ」


 咄嗟に状況を判断したレーマン監督が、通訳を介して選手やコーチたちにそう呼びかける。ようやく我に返った運転士がボタンを押して前方のドアを開け、選手たちはそこから次々と車外に降りていった。


「未玖を助けようとしてたんじゃないのかよ。ファル……」


 ファルハードは未玖の救出に動くに違いない。そう思ってファルハードの復活を心待ちにしていた拓矢は一瞬、自分の期待が残念ながら外れてしまったのかと肩を落としかけた。だがよく考えれば別の可能性もある。ファルハードが自分に会いに来たのでもないようであれば、未玖は実はこの近くにいて、彼女を助けるためにファルハードはこの街へやって来たのではないだろうか?


「アラブの石油王の本拠……もしかして、未玖はあそこにいるのか?」


 ファルハードは口から赤色の熱線を吐き、AJOCの本社ビルの屋上に飾られていた看板を撃って木端微塵に破壊した。獲物を狙う鷹のように、ファルハードは屋上を爆破されて黒煙を噴き上げているビルの周りをぐるぐると飛び回りながら甲高い咆哮を夜空に響かせている。


「やっぱりそうだ。未玖……!」


 未玖はあの建物の中にいる。バスから降りた拓矢はそう確信し、街路にごった返している車と人をかき分けてAJOCのビルに向かって走り出した。


「お、おい! どこへ行くんだ杉浦!」


「よせ! 危ないぞ! 戻って来い!」


 早く未玖を助けに行かなければ。驚いて後ろで叫んでいるチームメイトやコーチたちの制止を振り切り、拓矢は試合の疲れも忘れて無我夢中で全力疾走した。




「来おったか。怪物め!」


 AJOC本社の最上階にある社長室の窓から空を見上げて、ラーティブは震える声で忌々しげに吐き捨てた。

 先ほどからファルハードはこのビルの上を何度も繰り返し旋回し、威嚇するような鋭い雄叫びを上げながら襲撃の機を窺っている。ダルヴァザのガスクレーターの炎からたっぷりと熱を吸収したファルハードの体にはエネルギーがみなぎり、赤い閃光が電流のように全身に迸って夜の闇に輝いていた。


「危ない! ご主人様!」


「ぐああっ!」


 突如として、高度を一気に下げたファルハードは大きな地響きと共にビルの目の前に降り立った。建物が大きく揺れ、衝撃で社長室のガラス窓が割れて粉々に砕け散る。窓から離れた位置のソファーに座っていた宏信や佳那子の元へもガラス片が飛んできて、危うく二人に当たりそうになった。アミードは体を張って素早くラーティブを後ろへ下がらせ、飛び散ったガラスから主人を守る。


「か、神よ……!」


 身長四十メートルのファルハードが前屈みの姿勢を取って頭を下げ、十階にいるラーティブたちを彼らの背丈よりも大きな目玉でぎろりと睨みつける。もはや顔面蒼白となったラーティブは思わず神への祈りの言葉を呟き、ソファーに座らされたまま身動きできない宏信と佳那子も恐怖にすくんだ。


「は……早く! ザデラムはまだか!? ジルコフ!」


「今ようやく来たところだ」


 狼狽して大声で叫ぶラーティブに、コンピューターに向かっていたセルゲイが冷静な声で答える。次の瞬間、上空の雲を貫いて降ってきた青い稲妻が、今にもAJOCの本社ビルに襲いかかろうとしていたファルハードの背中に当たって爆発を起こした。

 咄嗟に振り向いて空を見上げたファルハードの目に、雲の上から降下してきた奇怪な飛翔体の姿が映る。日本にいたザデラムが超高速飛行でアジアを横断し、ラーティブたちの元へ到着したのである。


「良かった。これで助かったぞ。すぐにあのドラゴンをザデラムに撃滅させろ。我々に刃向かってきた罰として血祭りに上げてやるのだ!」


「分かっている」


 セルゲイはコンピューターを操作して未玖の脳に電気信号を送り、銅剣を使ってザデラムに戦闘を開始するよう命令させた。

 太い剣の刃から発せられる未玖のテレパシーを受信したザデラムは、地上のファルハードに向けて再び両手の鋏から稲妻を放つ。背中の翼で羽ばたいたファルハードは真上に飛び、素早く離陸して稲妻の直撃をかわした。狙いを外れた稲妻は地面に炸裂し、大きな車庫をその中に停まっていたタンクローリーごと爆破して炎上させる。


「飛行速度ではザデラムの方が上だ」


 夜空へ飛び立ったファルハードは高度をぐんぐん上げてザデラムに接近し、激しい空中戦を展開した。

 セルゲイの言う通り、スピードで上回るザデラムはファルハードの背後に回り、長い突起の先についた口から紫色の破壊光線を放って攻撃する。身を捻って一発目のビームを辛くも回避したファルハードだったが、続けて発射された二発目は避け切れず、右の翼を撃たれて爆発を起こしながらふらふらとよろめいて軌道を乱した。


「くっ……!」


 ビームが命中したのを見てセルゲイがにやりと口元を歪めた刹那、ファルハードは急に空中でくるりと身を反転させて逆方向へ飛び、後ろから追尾してきたザデラムに体当たりを仕掛けて正面衝突した。体重では勝っているファルハードの重い巨体をぶつけられてザデラムは弾き飛ばされ、仰向けに引っ繰り返って工場の上に落下する。


「おのれ……。思ったより知恵の回る奴だ」


「慌てることはない。第二形態にチェンジさせて格闘に持ち込め。日本での戦いの二の舞だ」


「了解」


 ラーティブの指示で、セルゲイは再び未玖の頭に電気信号を送信し、地面に叩き落とされたザデラムを地上戦用の第二形態へと変形させた。

 体勢を立て直して浮上したザデラムの下半身が溶けて柔らかい泥と化し、太い二本の脚と尻尾になって再び固まる。両手の大きな鋏も溶解して形を変え、カマキリの前脚のような鋭い鎌へと換装された。大地を揺らして着陸したファルハードは、前回の戦いでは自分が手痛い敗北を喫しているザデラムの陸戦型の姿を見て警戒しながら身構える。


「まずいな。このままでは……」


 手足を縄で縛られた状態でソファーに座らされていた宏信は、何とか縄をほどこうと密かにもがき続けていた。その横で佳那子は周囲を見回し、ソファーのクッションの上に落ちていた大き目のガラスの欠片に目を留める。先ほどファルハードが着陸した際に、衝撃で割れて飛び散った窓ガラスの破片である。


「宏信さん、これ……」


 小声で耳打ちするように言った佳那子が、視線でそのガラス片を指し示す。宏信はしめたと喜んで彼女に笑みを見せた。


「ああ。これはいいね」


 触ればケガをしてしまいそうな、その尖ったガラスの角に宏信は自分の手を縛っている縄を近づけ、ゆっくりと押しつけて擦った。すぐに縄が切断され、彼の両手に自由が戻る。


「よし。奴らは怪獣に夢中で気づいていないようだぞ」


 ザデラムの操縦に気を取られている様子のラーティブたちに見つからないようこっそりと、宏信は佳那子の手首に巻かれていた縄をほどき、それから二人は足を縛っていた縄もそれぞれ自分の手で外した。

 だが、ここからどうすればいいかは問題である。いくら怪獣同士の激闘が間近で行なわれている混乱の中とはいえ、いきなり立ち上がって逃げたり未玖を助け出そうとしたりすればすぐに気づかれて制圧されてしまうだろう。太った中年のビジネスマンでしかないラーティブはともかく、セルゲイは銃を持った屈強なテロリストだし、ラーティブのボディーガードを務めるアミードも恐らく武術の心得がある。どこまでも慎重に、一瞬の隙を突いて勝負に出なければ成算はないのだ。ほどいた縄を手足に緩く巻き直してまだ縛られたままのふりをしながら、そっとアイコンタクトを交わした二人はしばしこのままじっと機会を待つことにした。


「あの怪獣たち……どっちが勝つのかしら」


「さあね。未玖がファルハードと呼んでいるあの赤いアヴサロスが、思いのほか善戦してくれているようだけれども」


 ビルの外では、第二形態に変身したザデラムがファルハードを押し倒し、組み伏せて右手の鎌をその胸に振り下ろしている。旭川での一戦目と同じ展開でまたしてもザデラムの勝利かと思われたが、ダルヴァザでエネルギーを十二分にチャージして再戦に備えていたファルハードは以前のように簡単には負けず、長い尾の先端についた重い骨の塊にそのエネルギーを集めると、尻尾を振り上げて鋭い棘の生えたその凶器でザデラムの脇腹を殴りつけた。高熱の炎のような赤い光を帯びた棘のスパイクが突き刺さり、爆発を起こしてザデラムを吹き飛ばす。マウントポジションからザデラムを叩き落としたファルハードは立ち上がり、興奮して大きく咆えた。


「しぶとさは見事なものだな。だが……」


 未玖を介してザデラムを操っているセルゲイが、不敵な愉悦を浮かべながらまた電気信号の指令コードをコンピューターに入力する。夜のドーハを揺るがせながら、二大怪獣の死闘は続いた。

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