第10話 地獄での雌伏

 ザデラムによるテロ攻撃を受けて対応を決めかねている日本政府に、ウラルヴォールクはとうとう回答期限を定めた最後通牒を突きつけた。


「我々の主敵はあくまでもロシアの現政権であって日本ではない。それゆえ日本に対してはでき得る限り寛大な精神で交渉に臨んできたつもりだが、いつまでも悠長に返事を待っていられるほど我々も気が長くはないことも忘れるな。今から四十八時間以内に要求が受け入れられない場合は、ザデラムは速やかに京都へ侵攻し、歴史ゆかしき日本の古都を容赦なく灰燼に帰すであろう!」


 日本の政治家たちはこの空前の事態に狼狽して混乱し、国会での議論は紛糾するばかりでなかなか答が出ない。ザデラムを操ることができる未玖の監禁場所の捜索も難航しており、打開の糸口が見つからないまま刻々とタイムリミットが迫っていった。


「まずいな……。どうしたらいいんだ」


 ドーハの高級ホテルの一室で、拓矢は懸命にインターネットで情報を集めながら焦りを募らせていた。ウラルヴォールクが提示した回答の期限まで、あと五時間余り。このような緊迫した状況下で、拓矢たち日本代表の面々はこれから同じドーハ市内にあるサッカースタジアムへ移動し、今夜いよいよキックオフされる国際ユース選手権のウルグアイ代表との初戦を戦わなければならないのだ。試合中に回答の期限切れの時刻を迎えることになるというタイムスケジュールは、母国のことが心配でならない彼らの精神にとってはあまりに酷なものであった。


「大切な恋人がテロリストに捕まっているとあっては、もはやサッカーどころではないのは人として当然のことだ。試合に出られるメンタルコンディションでなければメンバーから外しても構わないが、どうする?」


 U-18日本代表を指揮するドイツ人のミヒャエル・レーマン監督は、ガールフレンドの未玖をウラルヴォールクに囚われている拓矢を特に気遣ってそう声をかけたが、拓矢は敢えてウルグアイ戦への出場を志願した。日本からもロシアからも遠く離れたこの中東のカタールで、ホテルで留守番しながら一人でただ気を揉んでいても何か事態が好転するわけではない。もしかしたらどこかで試合を観ているかも知れない未玖のためにも、サッカー選手として今の自分にできることを全力でした方がまだ幾らかましだろうと思ったからである。


「事態そのものがどう転ぶかについては、残念ながら俺たちにはどうすることもできない。俺たちにできるのは、怪獣のために恐怖と悲しみに沈んでいる日本の人々に熱いプレーで勇気と希望を与えることだけだ。気合入れて行くぞ!」


「おうっ!」


 キャプテンを中心にそう意気込むチームの輪の中に、拓矢も加わって一緒に声を上げた。だがスタジアムへの出発直前、ホテルのロビーに集合していよいよバスに乗り込もうとしていた彼らは、そこに置かれていた大型テレビに映し出されている映像を見て呆気に取られることになる。


「ファル……? あいつ、何を……」


 衛星放送によるニュース番組の中継を見て、拓矢は思わず唖然となってしまった。

 広い砂漠の真ん中に開いた巨大な穴。その内部には真っ赤な炎があふれんばかりに燃えたぎっている。まるで火山の火口のようなその灼熱のクレーターの中に、ファルハードは傷ついた体を沈めて目を閉じ、うつ伏せの姿勢のまま静かに眠りについているのだ。


「あの、これってどこの映像なんですか? それにあの火山みたいなでっかい穴って……」


 カタール人のニュースキャスターが状況を詳しく解説しているようだが、当然ながら拓矢には彼が話しているこの国の言語が全く理解できない。アラビア語が分かる通訳に、拓矢はそのテレビで流れているニュースの内容を訊ねてみた。彼によると、画面に映っているのはトルクメニスタンのダルヴァザという場所から生中継されている現在の様子なのだという。


「ダルヴァザにあるガスクレーターは、元は天然ガスを採掘していたガス田だった場所だ。ところがガスを採ろうと地下を掘っている内にトンネルが崩落して、地面が大きく陥没して巨大な穴ができてしまった。それで、地中にある有毒ガスが外に出てきて危険だからと、技術者たちは穴に火を着けてガスを燃え尽きさせようとしたんだ」


 中東の事情に詳しいその通訳の男性は、イランの北に位置するトルクメニスタンでおよそ半世紀前に起きた出来事を拓矢や他の選手たちに説明した。


「ところが、地下にあったガスの量が予想以上でいつまでも無くならず、それから何十年も経った今でもまだ燃え続けたままってわけさ。どんどん湧いてくる大量の可燃ガスが相手じゃそう簡単に消火もできないから、もう放っておくしかない状態でずっとこんなヴォルケーノみたいな有様になってる。地元の人は、ここを地獄の門なんて呼んでるよ」


「へえ……。確かに地獄の業火みたいな凄い景色ですね」


 可燃性のメタンガスが激しく燃焼しているその灼熱地獄は、熱を食糧としているファルハードにとっては逆に心地良い天国のような場所だろう。それにしても日本にいたファルハードがなぜわざわざこんな遠くの中央アジアまで長旅をして来たのか、ザデラムとの戦いで消耗したエネルギーの補給のためだとしても不可解さは残る。


「俺を追い駆けてこっちまで来た……なんてことはないよな」


 駒ヶ岳の火口の中にいたファルハードは、数百キロメートル彼方の旭川にいる未玖や拓矢の居場所を正確に察知し、二人を助けるためにライジングスタジアムに駆けつけることができた。遠くからでも気配を探れる動物特有の野性の勘というものか、それとも体内にレーダーのような器官でもあるのか具体的な仕組みは不明だが、今もファルハードは拓矢がこのカタールにいることをきっと知っているのだろう。ファルハードが日本を離れた自分を追って西へ移動したという可能性について考えた拓矢はふと、もっと重大なことに気がついた。


「まさか……ファルは未玖を追って……?」


 今の理屈からすれば、拓矢だけでなく未玖が今いる場所も恐らくファルハードは本能的に探知できているはずだ。もしかすると、ファルハードは未玖を助けるためにトルクメニスタンまでやって来たのだろうか。つまり、ファルハードはこれから未玖のいる所へ向かおうとしており、未玖はファルハードの進行方向にいるはずだという推理が成り立つのではないか?


「ロシアのテロ組織が自分たちの国に未玖を拉致したんだとしたら、その手前のトルクメニスタンでパワーを充電してから奴らのアジトに乗り込んでいくっていう計画は十分ありだな……」


 旧ソ連の一部でもあったトルクメニスタンからならば、ロシアの領土は目と鼻の先である。ザデラムとの戦いで負った傷を癒し、エネルギーを蓄えて戦闘準備をしているファルハードがダルヴァザから飛び立って次の行動を起こせば、ウラルヴォールクに未玖が監禁されている場所もきっと分かってくるだろう。拓矢は、その可能性に希望を託すことにした。


「とにかく、今は待つしかなさそうだな。ファルが元気になるのを……」


 難航している事件の解決に向けて、今回もまたファルハードが頼みの綱となってくれる。密かな期待を寄せながらファルハードの体力の回復を待つことにした拓矢だったが、未玖がまさかロシアではなく自分のすぐ近くにいるなどとは、彼も夢にも思わなかったのである。




*作中に登場したダルヴァザのガスクレーター(通称:地獄の門)は実在します。1971年にソ連がガス田の掘削を行なった際に掘っていたトンネルが崩落して地面が陥没しクレーターが発生。放出される有毒ガスを燃え尽きさせようと火を放ったもののガスの貯蔵量が予想以上で、半世紀が経った現在でも鎮火せず未だに燃え続けています。

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