第33話 救出

「さ、それじゃあティナちゃんを搬入口まで運びましょう。ゴールはすぐそこです」


 大波田は梯子で水槽から降り、ティナの入った小水槽のワイヤーを巻き下ろした。水槽の底が台車の上に着くと、フックを外す。


 写真も書き置きも準備した。ティナも無事に小水槽へ移せた。餌も回収できた。研究室ですべきことは全て済ませた。


 大波田は台車を押しながら、研究室を出る。餌の入った麻袋を持った釣井もそれに続いた。


 一階の一番端にある人魚搬入口。人数が少ない深夜を選んだが、誰に会うかわからない。細心の注意が必要だ。もちろん、見られたからと言ってティナを運んでいるとはわからない。しかしそれにより警察にすぐにバレてしまうかもしれないし、何かしらマイナスになることは間違いない。


 今日一番の緊張を感じながら、廊下を歩く。走りたいところだが、重たい台車を押している以上それは難しい。


 角を曲がればすぐそこが搬入口だ。どうか誰にも会わないように。文字通り、手に汗を握っていた。


 搬入口の前に辿り着く。周囲を確認するが、幸いにも誰もいない。急いで釣井に搬入口の扉を開けてもらい、台車を中に入れ込む。最後に釣井が扉を閉め、二人は胸を撫で下ろした。ドラマであれば今の考えがフラグになっているところだった。


 深夜の搬入口は暗かった。入り口付近にあったスイッチを押すと、広い搬入口が明るく照らし出される。


 コンクリートの壁に、横にズラリと並ぶ青い車体にMMLという文字が書かれた人魚運搬専用トラック。今は九台が並んでいる。袖ヶ浦へ向かった一台を含めて、全十台をMMLが所有している。東日本で捕獲された人魚はこれらのトラックで回収に向かう決まりになっている。ちなみに西日本地域は大分県にある人魚保護施設、通称MMS( Mermaid & Merman Shelter)が回収を担っている。その名の通り、保護を目的としているので研究はしておらずMMSに集められた人魚は船でMMLまで輸送されるのだ。


「よし、釣井さん手伝ってください」

「はい!」

「まず、コンテナの上に登って蓋を開けてください。フック式なので簡単に開くと思います」


 釣井は指示された通り、備え付けられていた梯子を上り、コンテナの上に上がる。


「ワンピース着て来るんじゃなかった」

「誰も見ないですし、今そんなこと気にしてる場合じゃないです」

「はい、すみません」


 大波田はトラックの背後に設置されている太いホースを引っ張り出し、蓋の開いた部分に向かって先を投げ入れる。慣れた飼育員でないと成せない所業だ。ホースの横についてあるボタンを押すと、コンテナ内に海水が注ぎ込まれる。


 彼は続いて別のボタンを押す。すると研究室よりも高い天井からぶら下がっているワイヤーが下に降りてきてた。大波田はその先のフックをティナがいる小水槽に手早く引っ掛けると、すぐに巻き上げボタンを押した。あらかじめプログラムされているワイヤーフックは巻き上げられた後、ちょうどトラックの上に来る位置で止まる。


 大波田は釣井が登った梯子を使ってコンテナの上に上がると、小水槽の蓋を外した。


「さあ、ティナちゃん今度はこっちに入って」


 小水槽に移るときと違い首を横に振ることはなかったが、ただコンテナの中を見下ろして動かずにいた。


「どうしたの?」


 大波田がティナに語りかけると、代わりに釣井が答える。


「きっとMMLに来た時にもこのトラックに乗って来たから怖がっているんです。大丈夫ティナちゃん! 少しの辛抱だから。すぐ網野先輩に会えるから!」


 釣井の訴えかけにティナは心を決めたようで「わかった」と頷くと、コンテナ内に飛び込んだ。


 すぐに人魚の状態を判断し、適切な言葉を投げかける。大波田は釣井が網野への愛の力だけでなく単純に人魚研究者として成長しているのだと思い直した。


「何かありましたか?」

「いえ、何でも」


 大波田はコンテナから下へ飛び降り、水槽となっている部分とは別の扉を開く。そこには小さな荷台が備え付けられており、ここに人魚保護に必要な道具やその他諸々一式が入れられているのだ。そこに排水した小水槽を押し込み、扉を閉める。


 水槽部分のコンテナ内への注水も終わったようなので、ホースを巻き戻す。


 それを確認した釣井は、


「また後でね」


 と、ティナに投げかけて蓋を閉めた。


 大波田が三つ目のボタンを押すと、トラック正面にあるシャッターが上がる。ガードレールの先は崖で、その向こうには月明かりに照らされた海が見えていた。


 釣井もコンテナから降り、助手席に乗り込む。それと同時に大波田も運転席に乗った。


「すごく手際がいいですね」


 釣井は労いの気持ちも込めて大波田に言った。彼はシートベルトを締めながら、


「慣れればこのくらいは誰でもできますよ。面倒くさいのはメンテナンス作業です。マジで飼育員の領分超えてますよね」


 と、エンジンをかけ、アクセルを踏む。思った以上の急発進に、釣井は命の危険を感じ、まだ締めていなかったシートベルトを急いで着用した。


「釣井さん、網野さんに電話を」

「あ、わかりました!」

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