第18話 ケイオスの民

 曰く、この広く先も果も何も見えない混沌世界のどこかに、ケイオスと呼ばれる異世界に通じる扉――、『ケイオスの扉』が存在しているという。


 扉の数は108つ。

 その全てが『ケイオス』と呼ばれる異世界に繋がっていると言い伝えられている。


 ケイオスがどのような世界であるかは、カタスヨの園以上に不明である。

 唯一わかっているのは、カタスヨの園とは異なる世界であるということ。


 そこにあるのは平和と平穏で満ちた暖かな世界。カタスヨの園のように、不確定的な要素もなければ、名前もわからぬ生き物や化け物などは蔓延っておらず、それどころか多くの人種が平和的かつ友好的に暮らしているという。


 その他にも、カタスヨの園にはない様々な文化が花開き、様々な技術が発展した先進的で豊かな、それこそ『楽園』にも似た地だという話もある。


 そしてそんな世界に住む者達こそが、『ケイオスの民』だった。


「『ケイオスの民は黒い瞳を持ちし、叡智の民であり、その瞳は、この世界の全ての深淵を見定める為にあるという。その智能はこの世の全てを凌駕せんとばかりのものであり、その技術は世界の全てを支配せしめん程の力を有する』――だったな、確か」


 スラスラと淀む事なく、バディが伝承の一部を口にした。

 一言一句間違えずに伝承を口にしたバディの記憶力に、アウルが瞠目する。


「凄い! それだけの内容、よく間違えずに覚えていますね」

「……これぐらい、一回聞けば覚えられるだろ」


 ふいっ、とバディがアウルから顔をそらしながら言った。

 いや、覚えられないから言ってるんだけど……、というツッコミは、アウルの心の中にしまわれた。やっぱり、宝探し屋さんの考えてる事ってよくわからないや。小さな嘆息が、アウルの口からこぼれ出た。


「……それで。この蓮の花とケイオスの民とが、どう関わってくるっていうんだ」


 バディが、ふっと言葉を続けた。


「あ、はい、えぇっと、」と慌ててアウルは、母から教えられた話を、記憶の中から手繰り寄せた。


「母が教えてくれたお話によると、この滝の上……、つまりはこの岩壁の上の地、ですね。そのどこかにケイオスの扉があって、そこからケイオスの民達が、この蓮の花をここへ流してくれてるんだそうです」

「流してくれてるって、どうして」

「贈り物なんだそうです。ケイオスの民から、異なる世界で生きる私達への。この混沌世界を生き抜く者達への、ちょっとしたご褒美だと」

「褒美? これがか?」


 バディが怪訝そうに、池に目を向けた。


 理解できない。そう言いたげに、その口元が歪んでいる。

 その不服そうな声音に、アウルの方も、思わずムッと唇を尖らせた。


「……それはまぁ、ご褒美と言うと、確かにご褒美感は薄いかもしれませんけど」


 でも毎日、いつ死ぬかもわからない混沌とした世界で、それもこんな鬱蒼とした、あの大鴉達のような化物だって居た林の中で、こんな美しいものが拝めるのならば、それだけで心が癒されるというものである。


 バディには理解できないようだが、アウルとしては、この光景だけで満足が行くものがある。それに母との思い出もある地だ。


 それを否定するような言い方は、いくら命の恩人相手でも見過ごせるものではなかった。


(まぁ、宝探し屋さんだし。やっぱりこういうのは、わかりやすく、これぞお宝! って感じのほうが嬉しいのかもだけど)


 とは言いつつも正直なところ、バディがお宝で喜ぶような性格にも見えない。


 どちらかと言えば、ジュードの方が喜びそうなイメージがある。研究肌で無愛想な態度のバディが、宝を前に手放しに喜ぶとは、なんだか到底アウルには思えない。


(この人、なんで宝探し屋なんてやってるんだろう)


 チラッと、バディの横顔をアウルは見上げた。


「……別に。この光景を馬鹿にしているわけじゃない。ただ、これがケイオスの民からのご褒美、という点が理解できないだけだ」


 バディが、気まずそうに口を開いた。

 どうやらアウルのムッとした声音から、自分の失言に気づいたらしい。罰が悪そうに、その唇がすぼめられた。


「伝承によると、ケイオスの民がカタスヨの園での出来事に干渉する事は、ほぼないと言われている。もしあるとしたら、それはケイオスの扉を開く者が現れた時に限る筈だ。しかも開けるにはキーである『世門盡玉よもづだま』が必要とされている。お前の話が正しければ、滝の上の扉は鍵を必要とせずに年中開きっぱなしの状態になっている、という事になる」


 バディの説明に、「あ」とアウルは声をあげた。


『世門盡玉』。これもまた、ケイオスの扉の伝承に登場する玉の名前である。


 ケイオスの扉を開ける為に必要な鍵として、言い伝えられている。

 その数は扉と同じく108つあるとされ、やはり扉同様に、カタスヨの園のどこかに散らばっているという。


「世門盡玉を使ってケイオスの扉を開けるには、世門盡玉から課される試練をクリアしなきゃいけねぇ。伝承では、この試練を超えられた奴のみが、ケイオスの扉を開く事ができる。そして、」

「――ケイオスの民に、願いを叶えて貰える」


 バディの言葉を引き継ぐように、アウルは口を開いた。


 バディがアウルの方へ、ちらりと視線を投げた。

 アウルが口を挟んできたのが、予想外だったらしい。


 だが特に意を唱える様子はなく、そのまま池の方へ視線を戻すと、「そうだ」と小さく頷いた。


 そして再び、伝承の一説を唱え始める。


「『洪大な混沌の渦より玉を見つけ、玉より課せられし難関を乗り越えし者にのみ、叡智の民は願いを一つ、成就する機会を与える』。これが、伝承で語られているケイオスの扉に関する記述の全てだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る